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なぜメディアは石原慎太郎に甘く舛添要一に厳しいのか 金子勝の「天下の逆襲」
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/190610
2016年9月27日 金子勝 慶応義塾大学経済学部教授 日刊ゲンダイ 文字お越し
舛添前知事(左)と石原慎太郎元知事/(C)日刊ゲンダイ
豊洲市場の問題は、この国の“無責任体質”を如実に表している。盛り土がされていなかったことに誰ひとり、責任を感じず、責任を取ろうとしない。
最高責任者だった石原慎太郎元都知事は、盛り土をしない書類に押印までしておきながら、平然と「自分は知らなかった」と言い放った。しかも、盛り土ではなく地下を空間にするプランは、もともと自分が部下に提案したものだったのに、当初「私はだまされた」「部下から提案があった」と、部下に責任を押しつけていた。
責任を取ろうとしないのは、石原慎太郎に限らない。経済再生相だった甘利明も同じだ。大臣室で賄賂まがいのカネを50万円も受け取り、テープも残っているのに睡眠障害を理由に国会から姿を消し、ほとぼりが冷めたころ、「違法性はなかった」と、素知らぬ顔で国会議員を続けている。
民間企業も例外ではない。東芝の粉飾決算では、当時、社長をしていた3人も、不正会計に直接、関わっていなかったと言い逃れ、結局、不起訴となった。
いつもトップは「知らなかった」の一言で許されている。なぜ、こうした事態が次々に起きているのか。その大きな原因は、メディアにある。今のメディア報道は、権力の腐敗を追及する姿勢がなく腰砕けだ。仕返しを恐れて大物は叩かず、叩きやすい相手については、分かりやすいイメージをつくり上げ、視聴率を取ろうとして一斉に叩く。
石原慎太郎と舛添要一に対する報道の違いを比較すれば、よく分かる。
舛添知事に問題があったのは確かだが、スイートルームとファーストクラスを使った豪華出張は、石原知事も同様だったはずだ。石原知事は、都庁への登庁も週に2、3度。なのに、石原知事が批判されることは、ほとんどなかった。
メディアが舛添知事を血祭りにあげたのは、「チャイナ服を買っていた」「家族とスパに行っていた」と分かりやすくて視聴率が稼げ、叩きやすいキャラクターだったからだろう。
その間、コワモテの甘利明に対しては追及が本当に弱かった。いまでも石原慎太郎に対する批判は弱い。小池百合子都知事についても「政治とカネ」の問題があるのだが、人気者だからか、メディアは触れようともしない。巨悪は許すが、小さな悪は許さない社会は腐っていく。
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