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岸信介はこうして「極刑」を免れた〜明かされるGHQ尋問の真相 超エリート官僚の、狡猾な戦術(現代ビジネス)
http://www.asyura2.com/16/senkyo213/msg/416.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 9 月 25 日 09:40:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 


岸信介はこうして「極刑」を免れた〜明かされるGHQ尋問の真相 超エリート官僚の、狡猾な戦術
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49732
2016.9.25 魚住 昭 『週刊現代』2016年9月24日・10月1日号 現代ビジネス


■したたかな岸の供述

岸信介はなぜA級戦犯として起訴されなかったのか。その謎を解くカギを探して、GHQによる岸の第1回尋問調書(1946年3月7日付)を読み解く作業をつづけている。

この尋問があったときA級戦犯28人はまだ起訴されていない。つまり岸にも起訴される可能性が十分にあった。そうなれば最悪、極刑も覚悟しなければならぬ状況に置かれていた。

にもかかわらず「岸は快く、ためらうことなくしゃべった」と捜査官は記録している。

これにはちょっと驚いた。岸は言葉を濁して相手の不信を招くような真似をしていない。いざというとき肝が据わり、最適の対応ができる。そこに彼の真骨頂があるのかもしれない。

尋問の主なテーマは、岸が経営に携わった満州国の実情だった。岸は捜査官の問いにこう語っている。

「関東軍が満州の支配権を握っていて、われわれが何かやろうとすると、必ず関東軍の許可がいった。関東軍の意向を無視すれば地位を失うぞ、と私も同僚もしばしば関東軍に脅された」

「私が満州で多くの軍幹部と親しくなったのは事実だが、関係が常に良かったわけではない。石原莞爾・参謀副長のような人から叱責されたこともある」

要は自分を関東軍と同一視してくれるな、関東軍の絶対権力に従わざるを得なかったと言いたいのだろうが、本当だろうか。

そもそも商工省工務局長で、官界のホープといわれていた岸が渡満したのは、満州の産業開発を急ぐ関東軍の熱心なオファーがあったからである。

1936(昭和11)年10月、満州に着いた岸は関東軍参謀長の板垣征四郎(東条の前任者)に会うなりこう言った。

「私は日本で食い詰めて満州に来たわけではない。産業経済については任せてもらいたい。もし関東軍の言いなりになれというなら、自分ではなく誰か代わりの者をよこしてもいい」

超エリート官僚の強烈な自負心の表明だった。これに対し板垣は「いや、産業経済の問題は君に任せるつもりなのだから、そのつもりでやってくれ」と答えた。こうして岸は満州の産業経営の主導権を握った。

やがて満州で「二き三すけ」という言葉がたびたび人々の口の端に上るようになる。二きは関東軍参謀長の東条英機と満州国総務長官の星野直樹。三すけは満鉄総裁の松岡洋右、満州重工業開発総裁の鮎川義介、そして岸信介である。

この5人が満州の実力者という意味だ。しかも三すけは長州出身の縁戚トリオだから、関東軍でも簡単に手出しできなかったろう。関東軍に従わざるを得なかった、という岸の供述には、関東軍の横暴を強調することで自分の責任を小さく見せようとする意図も透けて見える。

岸を尋問した捜査官も岸の供述を真に受けてはいない。捜査官は調書にこう書いている。

「ある商工大臣の経験者が『岸は軍閥の手先だった』と明言していたが、その証言のほうがどう見ても、岸本人が尋問で語っていることよりも真実に近い」

尋問調書には興味深い点が他にもある。その一つが、日米開戦の翌年4月に行われた翼賛選挙をめぐる話だ。東条内閣の商工相だった岸は、大臣の身分のまま、地元山口から衆院選に立候補した。

郷里の人々からは「代議士になるのは大臣になるためなのに、大臣になっているのに代議士になろうというのはおかしい」という声が出た。当時の衆院は軍部に牛耳られて無力化していたからなおさらである。大臣にまで登りつめた岸がそんな議会に籍を置くことに、いったい何の意味があるのか。

が、岸は本気だった。このときの心境を岸は最晩年の1983(昭和58)年公刊の『岸信介回顧録』(廣済堂出版刊)で詳しく語っている。これは岸の政治哲学の核心に関わる問題なので少し詳しく説明しよう。


■岸が目指した国家の姿



岸は商工省時代の1930(昭和5)年、鋼材調査のためヨーロッパに出張し、ドイツに滞在した。そのとき第一次大戦でドイツが敗れた原因についても研究した。彼が出した結論は、軍部だけで戦争したためということだった。軍部が失敗したとき、それをカバーする力がドイツには存在していなかった。

これを言い換えると、国家はつねに複数の柱で支えられていなければならぬということだ。でないと、柱が一本折れただけで国家は脆くも崩れ去る。

つねに先を見通し、どんな事態が起きても国体を護持できる体制を作らねばならない。そのためには軍とは別の強力な政治勢力が必要だ。それが国民と密着した政党というわけだ。

前にふれたように(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49125)岸は国粋主義者だったが、天皇制の絶対化には反対した。彼が理想としたのは、国民と苦楽を共にするフレキシブルな天皇制と、それを支える重層的構造の強靭な国家である。その中軸として、彼は将来、岸新党を結成することを視野に入れていたようだ。

岸は出馬に際し、首相の東条に「もし、首相が現職閣僚の出馬に反対なら、商工相の地位を去っても立候補する決意だ」と告げたところ、意外にも東条は全面的に賛成したという。

選挙の結果は約3万票をとってトップ当選。岸は調書のなかでこの選挙を振り返り「蔵相の賀屋興宣や財界人の藤山愛一郎、著名作家の山本有三らが来て応援演説をしてくれた。活動資金はすべて自前で、総額で約1万円かかった」と述べている。

これは事実ではない。岸は1981(昭和56)年公刊の『岸信介の回想』(文藝春秋刊)でも〈東條さんとの関係においても、金銭的に東條さんを援助したこともぜんぜんありませんし、また東條さんから、金をもらったこともありませんしね〉と述べているが、思い違いだろう。

岸は他界する4年前の『岸信介回顧録』でこう述べている。

昭和17年の翼賛選挙への出馬には〈軍は反対だったが、東条さん(首相)だけは賛成してくれて、選挙資金として五万円出してくれた。当時の五万円は今の何千万円になるか見当がつかないが、相当使いでがあると思ったことを覚えている〉。

*参考:『岸信介−権勢の政治家−』(原彬久著・岩波新書)

『週刊現代』2016年9月24日・10月1日号より



 

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コメント
 
1. 中川隆[4165] koaQ7Jey 2016年9月25日 10:08:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[4571]

この人は一番肝心な事を隠しているね

岸信介と昭和天皇は JPモルガンの傀儡でアメリカ金融資本の手先でアメリカのスパイだったんだよ

アメリカが自分の手先の岸信介や昭和天皇を戦争犯罪人にする訳ないだろ:


 日本では「関東軍の暴走」という話をよく聞くが、もし本当なら日本軍は軍隊の体をなしていないということになる。説得力がない。もし、参謀本部や陸軍省が関東軍を押さえられなかったとするならば、理由はひとつしか考えられない。皇族の介在だ。

 1941年6月に今度はドイツがソ連へ攻め込む。「バルバロッサ作戦」である。当初、ドイツ軍が優勢なときに米英の支配層は傍観、1943年1月にドイツ軍がソ連軍に降伏してから慌てて動き出したことは本ブログで何度も指摘してきた。バルバロッサ作戦が始まった半年後、日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃、アメリカとの戦争に突入する。その翌年までグルーは日本に滞在、日本とアメリカとの戦争を回避するために努力したというが、当然だ。彼らは日本をソ連侵略の手駒と考えていたのだから。投資の回収をどうするかも大きな問題だっただろう。

離日の直前、グルーは岸信介からゴルフを誘われている。
(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)

 大戦後、グルーは日本からニューディール派的、つまり民主主義的な要素を払拭する活動を始める。その中心になったグループがジャパン・ロビーだ。

日本国内でもJPモルガンの傀儡に反発していた勢力も存在する。例えば、血盟団や二・二六事件を引き起こした将校たちだ。現在の表現を使うならば、この傀儡たちは新自由主義者。庶民は貧困化し、東北地方では娘の身売りが増えた。労働争議や欠食児童も問題になっている。その一方、支配層は裕福になり、貧富の差は拡大した。

 こうした政策の背後にはJPモルガンがいたのだが、この巨大金融機関と最も親しくしていた日本人は「適者生存」、つまり弱者切り捨てを主張していた井上準之助。1920年の対中国借款交渉を通じて親しくなったという。浜口雄幸内閣と第2次若槻礼次郎内閣で大蔵大臣を務めている。この井上は1932年、血盟団に暗殺された。その前、1930年には浜口雄幸首相が銃撃されて翌年に死亡、井上が殺された翌月には三井財閥の大番頭で、ウォール街とも親しくしていた団琢磨が暗殺された。二・二六事件は1936年である。

アメリカの金融資本が大きな影響力を持つようになった切っ掛けは1923年9月1日の関東大震災。その復興支援の調達をJPモルガンに頼ったことから、この金融機関は日本に大きな影響力を持つようになる。その代理人として1932年に来日した人物がジョセフ・グルー駐日大使。そのいとこであるジェーンが結婚した相手がJPモルガンの総帥だったジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアだった。またグルーの妻、アリスは少女時代に華族女学校(女子学習院)で九条節子(貞明皇后)と親しくなっている。つまり、皇室にもパイプがあった。

 グルーが日本へ来た1932年までアメリカの大統領はハーバート・フーバー。スタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働き、利益のためなら安全を軽視するタイプだったところを見込まれて「出世」した人物である。


JPモルガンと日本とを結ぶキーパーソンはジョセフ・グルー。

駐日大使として1932年に赴任してきたが、彼のいとこのジェーンはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻だ。またグルーの妻、アリス・ペリーは少女時代に日本で生活、華族女学校(女子学習院)へ通っている。そこで後に大正(嘉仁)天皇の妻(貞明皇后)になる九条節子と友人になったという。


 グルーは1932年から41年まで駐日大使を務めているが、妻と皇室との関係も利用して松平恒雄、徳川家達、秩父宮雍仁、近衛文麿、樺山愛輔、吉田茂、牧野伸顕、幣原喜重郎らと親しくなったという。

1941年12月に日本軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃してアメリカに宣戦布告した直後、グルーは大使の任を解かれたが、42年になって岸信介(つまり安倍晋三の祖父)はグルーをゴルフに誘っている。それから間もなくしてグルーはアメリカへ戻った。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201608030000/


2. 2016年9月25日 13:46:59 : ko7D6voqkE : MqUbGQI7@3Y[54]
>>1. 中川隆[4165] koaQ7Jey 2016年9月25日 10:08:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[4571]

> グルーが日本へ来た1932年までアメリカの大統領はハーバート・フーバー。スタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働き、利益のためなら安全を軽視するタイプだったところを見込まれて「出世」した人物である。

そのアメリカの大統領、ハーバート・フーバーは「ルーズベルトは、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図った『狂気の男』」[1]と言っている。
つまり、フランクリン・ルーズベルト(第32代大統領)の前任者、フーバー第31代米大統領から見れば、日米戦争を起こしたのはフランクリン・ルーズベルト第32代大統領であり、岸信介が戦争を起こしたわけでは無い。
それ故岸信介を戦犯として極刑を科す根拠も無い。

[1]【真珠湾攻撃70年】 「ルーズベルトは、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図った『狂気の男』」 フーバー元大統領が批判★3
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1323310737/
1 :有明省吾 ◆BAKA1DJoEI @有明省吾ρ ★:2011/12/08(木) 11:18:57.96 ID:???0 ?PLT(12066)
【ワシントン=佐々木類】ハーバート・フーバー第31代米大統領(1874〜1964年)が、日本軍が1941年12月8日、
米ハワイの真珠湾を攻撃した際の大統領だったフランクリン・ルーズベルト(第32代、1882〜1945年)について、
「対ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図った『狂気の男』」と批判していたことが分かった。


3. 2016年9月25日 19:26:15 : xEx6AP8t12 : ZvPvUrYdEYs[71]
口だけじゃ ないよこっそり 袖の下

4. 2016年9月26日 14:25:56 : NgcsZl6vsQ : t8JVYMFJR@M[48]
こんな奴の孫が「国のために。。。国民を守る。。云々」とか、噴飯ものだわなぁ。。笑

全て自身のためだわなw


5. 2016年9月26日 15:15:30 : 5T81EwuK9Q : 4SpTkWmIJYQ[46]
>ルーズベルトは、「対ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図った『狂気の男』」

ルーズベルトがそこまでして戦争をする動機が分からない。
正義のため?
英雄視されるため?
狂気のため?


6. 2016年9月26日 22:42:22 : unA9hWYW1I : ZvrK62aHhUQ[180]
●いわゆる対米開戦に、まんまと追い込まれた「軍国主義日本」が、緒戦順調に勝ち進み、逆に追い込んだ筈のアメリカが、半年間もひどい苦戦に追い込まれた史実は、一体何なんだ!!

●しかもヒトラーは、対米宣戦布告と同時に、待ち構えていた「ドラムビート作戦」と称するたった5隻のUボートの計画的展開による、アメリカ大西洋岸の全面海上封鎖でもある、一大通商破壊作戦を直ちに発動させ、僅か7ヶ月間で、397隻、200万トン以上、人員の犠牲者5000人にも及ぶ大損害を与える、予想以上の大戦果を得ている!!

●しかも、前任のハーバート・フーバーは、ルーズベルトのニューディール政策に、執拗な敵意と反感を抱き、単なる政敵以上の妨害工作等、アメリカ極右グループの、札付きボスジョージ・ロックウェルらとも、何らかの関わりがあり、云わば親ナチス系に属していた、最も胡散臭い、アジテーター男である!!

●ネトウヨどもが、金科玉条と持て囃す、かかるためにする、ただ思いつき場当たりやら、時系列前後の脈略も、整合性も全く欠いた、ただヤツらに都合のいいだけの、いわゆる「フーバー陰謀論」など、悪辣なデマゴギー以外の何物でもない代物だ!!

 


7. 2016年9月27日 23:52:41 : pRIXbMWV9A : PGy@LqWgidI[72]
中国侵略当時から、
戦争を起こして利を得る為、
好戦派で固める為、
人事に絶大な影響力を有していた皇族軍人
(閑院宮・伏見宮)に
なぜ触れないのでしょうか。

陸軍=参謀総長
海軍=軍令部長

その上に天皇。

命令系統を記した画像がどこかにあるでしょう。


8. やもめーる[-269] guKC4ILfgVuC6Q 2016年9月28日 20:45:23 : 6AYBkpEBUo : LnMLsdSFQ2w[-21]
中川隆は某所で「中国が攻めてきたー」などと
裏社会ジャパンハンドラーズの「クスリ」で
発狂する前にまずこの国の恥部
糞長州軍部財閥の腐ったエリート幹部
連中どもが第二世界大戦中、中国大陸で
何をしたか小学校から学びましょう。(笑)

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