http://www.asyura2.com/16/senkyo213/msg/282.html
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元記事http://blog.livedoor.jp/donnjinngannbohnn/archives/1911998.html
「日本には言論の自由がある」。よく聞く言葉だ。政治は思うようにならないが、中国や北朝鮮と比較して、言論環境だけはましだとの意見である。では、誰も彼もがこう口にしながら、なぜ政治に反映されないのか。
結論から言うと、わが国には言論の自由はないと思っている。民主主義制度下において、言論の自由とは、報道の自由にほかならない。政治が顔の見える範囲、声の聞こえる範囲で行われていたアリストテレスの時代と違い、近代以降は社会事件も政治の動きも、文字通りメディア(媒介)を通じて知るほかないからである。
マスメディアは普通選挙とともに民衆支配の両輪をなす。新聞やテレビは情報による支配装置にすぎない。
「それでも、今はネットも使えるし、街頭演説だってできるじゃないか」
多くの人がそう反論するだろう。しかし、SNSにどれだけの影響力があるのか。人気ナンバーワンのブログの1日当たりのアクセスはせいぜい10万回程度。政治経済系で支配権力と逆の情報発信をするブログでは、5万回あれば間違いなく最高値である。そう見積もっても、NHKとは1000対1程度の差がある。一方、街頭演説で足を止めてくれる人は何人いるだろうか。
社会科学者のマックス・ウェーバーによれば、普通選挙法の普及は大衆プロパガンダの必要性から政党における会計や広告についての戦略を強化するので、権力の分散という意味での民主化をもたらすことはなく、むしろ少数者による支配を強めるとされる。大衆は4年に1回小学校の体育館で名前を書く機会があるために、自分たちが政治を決めていると信じ込んでいるのである。
民主主義のキーワードは欺瞞(ぎまん)である。アリとゾウほど違うものを同一視させて、「自由がある」と錯覚させるところに、民主政治の狡猾(こうかつ)さと恐ろしさがある。
■参考記事
ジャーナリズムの本当の目的http://blog.livedoor.jp/donnjinngannbohnn/archives/1843435.html
報道の自由に乾杯!http://ken-sugar.tumblr.com/post/5857056732/%E5%A0%B1%E9%81%93%E3%81%AE%E8%87%AA%E7%94%B1%E3%81%AB%E4%B9%BE%E6%9D%AF%E3%81%AA%E3%81%A9%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%AA%E3%81%AB%E3%81%B0%E3%81%8B%E3%81%92%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8B
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