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沖縄に機動隊集結の秋。日活ロマンポルノが復活する!
http://mainichibooks.com/sundaymainichi/column/2016/09/25/post-1112.html
サンデー毎日 2016年9月25日号
牧太郎の青い空白い雲 587
今から45年前の1971年秋は「騒乱の季節」だった。
沖縄返還協定が6月17日に調印。この協定を批准すべきか? 国論が二分していた。
当時、僕は27歳の誕生日を迎えたばかりの駆け出し記者。警視庁第一方面本部の警察を担当する「サツ回り」で、連日、激しい批准反対デモを取材。家に帰る暇もなく、築地警察署内の記者クラブ「柳クラブ」に寝泊まりする毎日だった。今でも鮮明に覚えているのは、11月14日の「渋谷暴動事件」である。批准阻止のゼネストに呼応した革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)の学生ら約400人が、渋谷で警戒中の機動隊を火炎瓶で襲撃。関東管区機動隊新潟中央小隊の巡査(当時21歳)が鉄パイプで殴打され、殉職した。
11月19日、日比谷公園で(僕の目の前で)過激派の学生が投げた火炎瓶で(10円カレーで有名な)レストラン「松本楼」がアッという間に全焼。正確に日時まで覚えているのはその4年半前、早稲田大学の友人が学生結婚した僕のためにパーティーを開いてくれた思い出の場所。「我が青春」が黒焦げになったような気持ちで......取材どころではなかった。
× × ×
その翌日も「思い出の日」になった。後から考えると、この日は昭和の文化史に残る日で、日活ロマンポルノの第1作「団地妻 昼下りの情事」が公開されたのだ。
50年代後半から60年代は日本映画の黄金時代。日活には石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎、吉永小百合......ドル箱スターが顔を揃(そろ)え「我が世の春」だった。
ところが、60年代後半から次第に映画の観客数は減少する。テレビが最大の娯楽になっていた。日活は経営難に陥り、71年、ワンマン社長・堀久作が電撃退陣。映画製作は困難になった。映画各社は急激に衰退。この年、日活以外でも東宝が専属俳優の解雇を実施。年も押し詰まった12月末に大映が破産した。映画産業も「騒乱の季節」だった。
そこで、日活は採算面から低予算で利益が上がる「エロ路線」で生き延びようとする。「日活ロマンポルノ」に転換した。
公開初日に見た「団地妻 昼下りの情事」は白川和子主演。確か、団地に暮らす平凡な主婦が日々の生活に欲求不満を募らせた揚げ句、浮気に走り、それをネタに売春組織に引きずり込まれ破滅する......というストーリーだった。
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日活社内で「小型映画」と言われたロマンポルノは当初上映館500程度と見込んでいたが、翌年には766館。人気はまずまずで、何よりも若手の映画人にとって「自由な作風」が魅力的だった。通常3本立て。異常な量産で17年間に約1100本が製作された。しかし、80年代に入ると過激なアダルトビデオ(AV)が登場。88年、ロマンポルノは姿を消した。
それが、である。この秋、日活ロマンポルノが28年ぶりに復活するのだ。実はこのところ、ロマンポルノの名作?が、都内の映画館でリバイバル上映されたり、海外の映画祭で特集上映が組まれたりして話題になっていたという。とくに、若い女性の関心が集まっているという。ロマンポルノにはAVとは違う、女性の複雑な心理が描かれているからか?
今回製作された塩田明彦監督の「風に濡れた女」はスイスで開かれた「第69回ロカルノ国際映画祭」のコンペティション部門に出品され、若手審査員賞を受賞した。
「ロマンポルノ」の再稼働! 11月中旬から、東京・新宿武蔵野館などで、新作5本が順次公開される。いずれも18歳未満は鑑賞禁止の「R18+」に指定されているが......平成の若者はどんな反応を見せるか?
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2016年秋。日本のメディアはほぼ無視しているが、安倍政権が強行した、沖縄県東村高江周辺の米軍のヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)の増設工事現場では沖縄県民と全国から集結した機動隊が争っている。沖縄騒乱、ロマンポルノの復活―。僕は「因縁」を感じずにはいられない。
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