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百田尚樹と週刊新潮が『カエルの楽園』の書評を載せない新聞を批判! でも新潮社の雑誌でも書評はゼロだった(笑) https://t.co/1JnP0p5gEj
— litera (@litera_web) 2016年9月11日
百田尚樹と週刊新潮が『カエルの楽園』の書評を載せない新聞を批判! でも新潮社の雑誌でも書評はゼロだった(笑)
リテラ 2016.09.11
http://lite-ra.com/2016/09/post-2554.html
今年7月、「二度と書けない本」と豪語していたノンフィクション『殉愛』(幻冬舎)がプライバシー侵害や名誉毀損にあたるとして東京地裁に認定された百田尚樹氏。判決が出る前の3月に証言台に立った際も、取材を怠った事実を開き直り、逆ギレさえしてみせた百田氏だが、今度は別の著作をめぐって怒り心頭であるらしい。
それは、今年2月に発売された小説『カエルの楽園』(新潮社)の件。現在、同書は27万部を売り上げているというが、“書評が載らない!”と怒っているのである。
そんな百田氏の思いを代弁するかのように、『カエルの楽園』の版元である新潮社が発行する「週刊新潮」(新潮社)が、「大ベストセラーの書評を載せない「大新聞」のご都合」なる特集を掲載した。
この「週刊新潮」の記事は、〈紛うことなき大ベストセラーながら、なぜか大新聞の書評に“黙殺”され続けている作品がある〉といい、同社刊行の橘玲『言ってはいけない』とともに『カエルの楽園』を紹介。〈発売から4カ月遅れで産経新聞が載せた以外、新聞紙面に書評は見当たらない〉と訝しがるのだ。
もちろん、記事中には百田氏も登場し、こんな主張をしている。
「僕も一応、ベストセラー作家の端くれですから、これまでは新刊が出てれば多数の書評が載り、著者インタビューのオファーがいくつもありました。ところが、『カエルの楽園』に関しては書評も、そして、取材依頼もほぼ皆無でした。アマゾンのレビューはすでに750件を超えているのに、ですよ」
そして「週刊新潮」は、ベストセラーだというのに書評を載せない新聞に対し、〈事なかれ主義の産物〉〈あくまで優先されるのは自分たちの“ご都合”〉〈大新聞は“問題作”をまともに論じられないような状況にあるのだ〉と息巻くのである。
4ページも使って何を主張しているかといえば、『カエルの楽園』は新聞社にとってイデオロギー的に不都合だから、書評を載せずに黙殺している!と言いたいらしい。
いやはや、百田氏が不憫すぎてかける言葉も見つからないが、“裸の王様”の氏には進言する編集者もいないのだろうから、代わりに本サイトが教えてさしあげよう。別に新聞社や書評委員が自分たちの“ご都合”で『カエルの楽園』を黙殺しているのではなく、理由はじつに単純。ふつうの良識をもちあわせていれば、この作品を「文芸作品」とは見なさない。『カエルの楽園』はたんなる「プロパガンダ」であって、どんなに売れていても大川隆法の本が書評に出ないのと同じで、批評に値しないと判断しているだけだ。
本サイトは『カエルの楽園』の書評を載せた数少ないメディアのひとつだが、同書の内容をあらためて紹介すると、寓話だというエクスキューズのもとに、ウシガエルの見立てた中国人や韓国人を「根っからの嘘つきだ」とヘイトスピーチを投げつけたり、安保法制反対派を稚拙で愚かしいカエル、安倍首相と思しきキャラを勇敢なカエルとして描き、挙げ句、最後には平和を唱えた結果、日本人は大虐殺されて国が滅ぶという、「ネトウヨの妄想をお話にしてみました!」という域を出ない作品だ。
なにも本サイトは政治的スタンスの違いから百田氏憎しでこんなことを書いているわけではない。書評家の豊崎由美氏も、「TV Bros.」(東京ニュース通信社)の書評連載で同作を取り上げ、〈げんなりするほど一方的な寓意しかないこんな低レベルな読み物は、とても寓話とは呼べず、たんなるプロパガンダ〉と“メッタ斬り”にしている。
だいたい、政治的には百田氏と同様のスタンス、バリバリの改憲派である読売新聞だって書評を出していないわけで、その時点で新聞社の“ご都合”だの“事なかれ主義”だのとは何の関係もないことがわかるだろう。
しかも、もうひとつ百田氏に現実を突きつけてさしあげると、『カエルの楽園』を“無視する”この姿勢は同書の発行元である新潮社も同じなのだ。
新潮社には、「新潮」「小説新潮」「新潮45」「yom yom」「波」といった文芸誌やオピニオン誌があり、それぞれ書評コーナーが設けられている。だが、これらの雑誌のバックナンバーを目を皿のようにしてチェックしてみても、『カエルの楽園』の書評はただの1本も見つけることができなかった。
それどころか、「『カエルの楽園』を黙殺するとはけしからん!」といっしょになって鼻息を荒くしている当の「週刊新潮」ですら、書評コーナーで『カエルの楽園』をこれまで一度も取り上げていないのである。ちなみに、先に挙げた新潮社の雑誌で『カエルの楽園』が取り上げられたのは、「波」3月号が掲載した刊行記念の著者インタビューと、「週刊新潮」5月26日号に百田氏が寄稿した「トランプ大統領誕生で『カエルの楽園』が予言の書になる日」という記事、「新潮45」5月号に掲載された「百田尚樹『カエルの楽園』サイン会 爆破予告顛末記」という記事のみ。しかもこの「新潮45」の文責は「出版部担当N」とあり、これは『カエルの楽園』の担当編集者である中瀬ゆかり氏のことだろう。つまり、本人と担当編集者しか本の紹介をしていないのである。
書評に載せないのはおかしい!とがなり立てる雑誌の発行元が書評コーナーで取り上げていないという現実、それこそが『カエルの楽園』の評価を物語っているだろう。実際、本サイトは以前、この本を取り上げた際に、複数の新潮社の文芸編集者に意見を聞いたが、全員、困惑顔で「あれは小説じゃないでしょう」「あんなものを出して本当は恥ずかしい」と語っていた。今回の「週刊新潮」の記事だって、おそらく編集者がやりたくてやった記事ではないだろう。百田センセイは被害妄想をいい加減にして、この現実をきちんと認識したほうがいい。
それでも百田氏がどうしても文芸作品として認めてほしいというのなら、中瀬氏に頼んで新潮社が勧進元の山本周五郎賞に『カエルの楽園』を候補作にしてもらえばいい。選考委員である作家たちからどんな批評が飛び出すかは火を見るよりも明らかだが、本サイトとしてもぜひ選評を読んでみたいものだ。
あ、もちろん、以前、山周賞候補になった『海賊と呼ばれた男』のときのようにノミネート辞退、なんて逃げ方はナシですよ?
(編集部)
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