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「現在の「象徴天皇」像が、今後も継承されるか否かの分岐点に、我々はいる。:山崎 雅弘氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/20704.html
2016/9/8 晴耕雨読
https://twitter.com/mas__yamazaki
白井聡「今回の『お言葉』を通じてわれわれが知ったのは、象徴天皇制とは何であるのかについて、われわれがいかに何も考えてこなかったか、ということだったのではないか」(週刊新潮/Yahoo)http://bit.ly/2ciNMRk
「われわれは常識のなかに胡坐をかいて思考停止に陥っていたのかもしれない。いつものように、今上天皇の言葉は穏やかであった。にもかかわらず、『象徴とは何か』を語るその姿に、私は一種の烈しさを感じ取った」
私も白井さんと同じように感じた。
元号が平成に変わって28年、「象徴天皇とは何か」という問題について、本気で日々考えてきたのは天皇だけで、国民は形式的な言葉を無難に解釈して済ませ、問題と向き合うことから避け続けてきた。
正しい「象徴天皇」とは何なのか、何をすればそれになるのか、マニュアルのような前例はない。
今上天皇は、独立した思考を持つ個人としてそれを考え、自分のスタイルで一つの像を創り出された。
今、今上天皇の「象徴天皇」像づくりという業績を振り返るなら、それは「成功した」と感じるのと共に、一人の国民としていかに「その方面」での思考作業をサボってきたかを突きつけられているような気になる。
日本国憲法を土台とする戦後の民主主義を「価値あるもの」と捉え、戦前・戦中への回帰を絶対望まないのであれば、「象徴天皇制とは何か」という問題についても、国民の間で合意形成が必要だったと思うが、今上天皇が自分のスタイルで創り出した「象徴としての天皇」像を見せられるまで、具体的なイメージを主体的に形成できなかった。
「政治的発言をしない」という消極的基準とは違う、積極的な「プラスの価値創出」が、果たして可能なのかについて、「国民の総意に基づく」と憲法で定義される国民(皇室を研究する一部の学者を除く、ほとんどの一般市民)の側は、真面目に考えたことがなかったと思う。
現在の「象徴天皇」像が、今後も継承されるか否かの分岐点に、我々はいる。
今上天皇の国民向けメッセージの話で、今でも思い出すのは、そこで語られる言葉の内容には一切触れず、後ろに写っている石は、等の「自分と関わりない話」に反射的にすり替える態度が一部で見られたこと。
画面の中にいる人物が、自分に向けて何か大事な話をしている、という現実から逃げるかのように。
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