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原発派の嘘と謀り以上に反原発派の思想が最悪である。
私が原発反対の放射能危険論者であるため、この情報が日々流れてくるが、前々から書いているように私は政治家に微塵も期待したことがないので、泉田知事が不出馬だろうがどっちでもいい次第である。しかし今回の騒動では別の問題の方が重要だろうと思うので、それについての雑感を書いてみたい。おそらく原発反対の多くの人とは意見が違うだろうが、それはそれで構わないと思う。また、このネタは多いので、これくらいでアカウントは消えないだろうし。
事の流れをごく簡単に書くならば、出馬していたのを撤退し、その理由は表向きには、新潟県が出資する第三セクターの子会社によるフェリーの購入をめぐって、偏向した批判的報道が原因となっている。泉田知事本人が声明の中で「新潟日報社が発行する県紙の「新潟日報」で「憶測記事や事実に反する報道が続いた」、「このような環境の中では十分に訴えを県民に届けることは難しい」と述べている。
まずこれを意味不明と思うのが、自称覚醒者の大多数の発想であろう。確かに地方新聞ごときで何が動くのか、もともとネットを中心に世論を固めてきたのが反体制派であり、知事に真の意味でやる気があれば地方新聞の嘘を打破するため、出馬を維持すると考えるのが人情である。しかし現実は違う方向に進んでおり、脅しだ圧力だいろんな噂が出ている。所詮ネットだしその辺で右往左往するのがいいと思うし、そこが外れているわけではない。
しかし今回の問題で本質はそこではないだろう。もともと自殺うんたらと知事は語り、命はある程度かけてきたはずである。それよりこの泉田知事を応援してきた反原発の人々、この対応と態度がすこぶる酷く悪すぎるほうが、知事以前に反原発とか社会を変えるとかいう点では、よほど問題である。このままいくと、原発推進派知事候補がそのまま通ることになるので、いやだと思う人が多いのはわかるが、それこそが本末転倒の極みであろう。
まずは出来レースの極みである。泉田氏出馬撤回と同じタイミングで、原発推進派の知事出馬が決まっているが、これは出来レースであることを意味する。泉田知事は出来レースには入っていないと思う自称覚醒者の、勘違いぶりはすさまじいものがある。でも本質はここにさえない。本質は理由が何であれ、泉田知事が出馬を自分自身で撤回したということにある。理由は何であろうがこれは関係ないのだ。脅しだから撤回したというならそれでもいい。
自分や家族の命はとても大切なものだし、それは裏の理由になりうる。脅しにかけられたのではと書き込むネット市民と反原発派が、いかに無責任が極まっているか、これだけでもお笑いに値する。しかしもっと問題は泉田知事は素晴らしかった、頑張ってくれたという自称覚醒者が、泉田知事にもう一度出馬してもらいたいという、依存と無責任の極みを堂々と社会変革であるかのように名乗ることである。泉田知事は理由は何であれ自分で決断だけはしたのだ。
泉田知事の三期は素晴らしかった、我々はろくに応援もしてこなかった、そんな見捨てていたも同然の泉田知事が不出馬に切り替えた、だから人々は応援するふりをして応援だ出馬の為に交渉だと、どこまで人間は自己中心的なのだろうか。ほんの少しでも恥があれば、絶対のこの行動は起こせない事である。この行動を起こしている人々とは結局のところ、自分では真の努力は絶対にしないが、泉田知事に責任を押し付ける輩に過ぎない。
これは本当に吐き気を通り越すほどに醜い。なぜなら泉田知事は理由は何であれ自分で出馬を撤回しているからだ。たとえそれが脅しであれ命の危険であれ他の理由であれ、ネットごときに載っている話の何があてになるだろう。それもてきとうに情報を調べた気になり、自分が出馬するわけでもなく自分がお金を出すわけでもなく、泉田知事応援してますよと言う嘘を振りまく自称反原発派が、いかに嘘つきかはもはや語るまでもあるまい。
本当に新潟の再稼働に反対であり、家族を守りたいのであれば自分が出馬すればいいことであり、誰か反原発派を出馬させ全身全霊を捧げればいいことである(もうできないが)。これが反原発派という嘘つきと体制派との圧倒的な差である。反原発派は正しい情報、心のありよう、健康や社会の在り方などを建前としながら、本心はそれを主題にはしておらず、その場だけで動き情報戦の意味も知らず、正しいしか興味がなく究極的なまでに依存症であることを、今回のことでも証明してしまったのだ(毎回だが)。
日本において反原発派や医療問題を指摘する人々、食やその他の問題を指摘する人々が、絶対に主流にならないのも誰も見ないのも、相手にされないのも自己満足なのも、絶対に負け続けるのも当然のことである。テレビの中では正義の味方は必ず勝つが、それはテレビが作ったからであり、悪の組織は常に前々から緻密に計画を練り統率され、正義の味方とやらはいつもいきあたりばったりで、自分たちが間違えたことは言っていないと勘違いしているだけだ。
つまり今回の泉田知事騒動は、参議院選挙から続いた日本のシステム管理の仕上げでもあり、絶対に反体制派が勝つことなど無理であることを証明したのである。反体制派とはどこまで行っても自分では何もせず、ネットで署名したら何かが動くと思っているレベルであり、自分ではリスクなど決して冒さない人々である。ネットで呼びかけしたら自分はリスクを冒していると思っているのだから、その思想のスバラシサには感嘆するよりない。
はっきり言うなら、泉田知事は意味不明な理由によって、市民を見捨てたといってもいい。しかしそれには見捨てる理由がある。知事撤回の後の行動にこそ見捨てるべき理由があるのだ。誰が先頭に立って危険を冒してきたものの行動を矯正しようというのか。まさに山本太郎を応援する日本人と同じである。「応援してます」という嘘つきに共通するのは、自分たちは真の意味での努力は決して行わず、自分は立候補もせず泉田知事を動かそうとする究極の偽善性なのである。
私は究極の欺瞞には付き合う気がおきない。日本人が思う反原発と私が思い描く反原発は、全く向いている方向が違っているのだ。
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