それにね、戦場の兵士は死んでそれで終わりではないの。 遺族にお金を渡してそれで終わりというケースばかりではないでしょう。 障害を負って生き残った場合、その後の人生はどうなるか? 誰がどう保障してくれるのか?そちらも考えた方がいいでしょうね。マスコミに載らない海外記事 人々が目にしてはいけないことになっている戦争写真 Chris Hedgesのコラム より http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/-chris-hedges-1.html 戦争は残虐で、人間味の無いものだ。個人の勇気ある行動といった夢想や、民主主義といった夢想的な目標のばからしさをあざわらうものなのだ。産業技術を駆使する戦闘は、攻撃してくる相手など見たこともない何十人、いや何百人もの人々を、一瞬で殺害できる。こうした高度な工業生産による兵器の威力は無差別で、信じがたいほどだ。瞬く間に、団地にいる全員を生き埋めにし、粉砕することが可能だ。そういう兵器は、村々を破壊し、戦車や、飛行機、船舶を灼熱の爆発で吹き飛ばすことが可能だ。生き残った人々にとって、傷は、酷い火傷や、失明や、四肢切断や、一生続く痛みやトラウマとなって残る。こうした戦闘から戻ると、人は変わってしまうものだ。しかもこうした兵器が使われてしまえば、人権にまつわるあらゆるあらゆる論議も茶番劇と化する。 ピーター・ファン・アットマールの『二度目の服務:死なずにすみますように』と、ローリ・グリンカーの『戦後: 紛争中の世界からの退役軍人』という、一度見れば忘れることのできない二冊の戦争写真集によって、戦争の写真というものは、ほとんど常に、大衆の目に入らぬよう隠されていることがわかる。こうした写真は暗部であり、実際に戦地に赴き、戦争の苦難を味わった人々しか、その本能的恐怖とは直面することはできないが、それでもこうした作品は、少なくとも、戦争の残虐さを暴こうとする努力である。 「道端にしかけられた爆弾が、乗っていた車両に命中し、ガソリン・タンクを発火させ、他の二人の兵士も焼死させた際、この兵士は体の90パーセント以上に火傷を負った」アットマールの写真集にある、手術室にいる血塗れの兵士の写真には、横にそう説明がある。「彼の迷彩服は、ヘリコプター上で彼を処置した衛生兵によって引き裂かれ、ベッド中に垂れ下がっていた。皮膚の塊ははげおち、わずかに残った皮膚は半透明になっていた。彼は意識を失ったり、回復したりしており、数秒間、彼はかっと目を見開いた。担架から、ERのベッドに移される際に彼は叫んだ。「父さん、父さん、父さん、父さん」そして「眠らせてくれ、頼むから眠らせてくれ。」ERには、もう一人のカメラマンがおり、上からの場面を撮影しようとして、医療スタッフの頭上からカメラを突き出した。兵士は叫んだ。「クソ・カメラを目の前からどけやがれ」彼の最期の言葉はそういうものだった。六ヶ月後、ある冬の午後、私は彼の墓にお参りした。」アットマールは書いている。「彼の最期の光景は脳裏から離れない。」 「車内には三人いて、ジープに火がつきました」イスラエル兵士ヨッシ・アルディティは、グリンカーの本にある引用で、火炎瓶が車中で破裂した瞬間について語っている。「燃料タンクは満タンで、今にも爆発しそうで、私の腕や顔からは皮膚が垂れ下がっていましたが、動転はしませんでした。誰も入ってきて、助けてくれることなどできず、火をくぐり抜けて、ドアに向かう他に脱出方法がないことは分かっていました。銃をもって出たかったのですが、両手が火傷していて、触れませんでした。」 [『戦後』の抜粋と、Chris Hedgesによる前書きを読むには、ここをクリック。] アルディティは六ヶ月入院していた。退院後の三年間、二、三ヶ月毎に、合計20回の手術を受けた。 「私を見る人は、戦争が本当は何をするのかを見るのです」と彼は言う。 映画のような、非常に写実的な戦争の画像は、心臓がドキドキするような恐怖、すさまじい悪臭、耳を聾するような轟音、戦場における極度の消耗が、はぎ取られている。そうした画像は、戦闘の主要要素である混乱や混沌を、巧みな戦争物語へと転換する。そうした画像は戦争をポルノに変えてしまう。兵士や海兵隊員達、とりわけ戦争を体験したことがない連中は、ビールをケース買いし、“プラトーン”のような、戦争を糾弾することを意図して制作された映画を見るのだが、そうしながら、そこで見せられる兵器の卑劣な威力を大いに楽しむのだ。暴力の現実は違う。暴力によって形作られたあらゆるものは、意味は無く、使い道も皆無だ。何の展望も無い存在だ。それが後に残すものと言えば、死と、深い悲しみと、破壊ばかり。 戦闘の画像や光景を控えた、この二冊の写真集のような戦争の記録が、戦争の現実を活写しはじめている。国家や、戦争を商売にする連中の侍女たるマスコミは、戦争の結果として本当に起きることを、懸命に、隠されたままにしておこうとする。戦争が、若者の心と体に、一体どのような影響を与えるのかを、もしも私たちが本当に見てしまえば、戦争の神話を奉じることは、より困難になるだろう。一週間前に、アフガニスタンで殺された八人の学童の、ずたずたになった亡骸の前にたたされるようなことになれば、そしてその子達の両親の泣き声を耳にすれば、アフガニスタン女性の解放やら、アフガニスタン国民に自由をもたらすなどという決まり文句など繰り返せなくなるだろう。それが、戦争の好ましからぬ部分が、入念に削除されてしまう理由なのだ。それが、戦争の歪んだ暗いスリルは、我々に与えられても、戦争の本当の結果が、我々には見せられずにいる理由なのだ。戦争の神秘的な幻想が、戦争を、英雄的で、わくわくするものにする。だから、報道機関は、ハリウッド同様に罪深い。イラク戦争の開始時に、テレビ報道は、暴力の本能的なスリルを与えてはくれたが、銃弾、戦車の一斉射撃、破砕性爆弾や、迫撃砲の一斉射撃の結果は、我々には隠して、見せなかった。私たちは戦争の刺激の一端こそ味わったものの、戦争が本当に引き起こすことは見ないようにされていたのだ。 この偉大な茶番において、負傷者、身体障害者、死者は、舞台の外に速やかに運び去られてしまう。彼等は戦争の廃物なのだ。私たちは彼らを目にすることはない。私たちは彼らの声を聞くことはない。彼等は、我々の意識の周辺に漂う、彷徨える魂のように、無視され、罵倒さえされるべく、運命づけられている。彼等が語る言葉は、我々が耳にするには余りに悲痛だ。人は、戦闘においては空虚で無意味となる言葉である、栄光、名誉、愛国心という神話を受け入れて、自らと、国家とを讃えることの方を好むものなのだ。そして、戦争の本当の結果と直面するべく運命づけられた人々は、向きを変えて、逃げてしまうことが多い。 グリンカーの本の中で、エルサルバドルでの戦争で両足を失ったサウル・アルファロは、陸軍病院の病床に横たわっていた時の、恋人による最初で最後のお見舞いについて語っている。 「軍隊では、彼女が恋人でして、結婚する計画でした」と彼は言う。「ところが、彼女は病院で私を見ると、何が起きたのか私には良くわかりませんが、皆が言うには、私を見て泣きだしたそうです。その後、彼女は私から去り、決して戻っては来ませんでした。」 公的な感謝の宣言は、国家から手渡された原稿を忠実に読む退役軍人向けとして、予約済だ。そうした公式の席に出席させられる退役軍人は、従順で、我々が、ぞっとせずに、その姿を見守ることができるような、心地良い人々であり、戦争は、愛国心であり、最高の善であるという嘘を、進んで支持する人々なのだ。「軍務に服して下さって有り難うございます」と言うことを、我々は期待されているのだ。彼等は神話を持続させることに慣れている。我々は、それを讃えることに慣れている。 湾岸戦争症候群を患って、テキサス州ワコにある両親の家の特別に閉鎖された環境で暮らしているゲーリー・ザスパンは、グリンカーの本の中で、戦争が終わった後でさえ“戦争捕虜”のように感じていると語っている。 「本質的に、連中は、私を縁石において、さあ自力でやっていきなさい、と言っているのです」と、彼は本の中で語っている。「我が国の政府は、我々兵士のことを気づかってくれるし、政府自身も、自らのことを処するはずだという、空想の世界に、私は暮らしていたのです。万一、戦争で軍務に服している間に、不具になったり、負傷をしたりした場合には、面倒をみてもらえると、契約書に書かれているのだと信じこんでいました。今、私は怒っています。」 ニューヨーク・タイムズで、戦争報道をした後、1990年代に、サラエボを再訪し、何百人もの身障者が、エレベーターも車椅子も無い団地の室内に閉じ込められているのを私は発見した。大半は若者で、多くはいずれかの四肢を失っており、年老いた両親による世話を受け、輝ける戦争の英雄は朽ちるままに放置されていた。 (以下略) こうした傷痍軍人たちはけして晴れがましい戦勝式典などに出てはこない。出てくるのは運よく重い障害を負わないで生き延びた「英雄」たちだとほかの記事で読んだような気がします。
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