http://www.asyura2.com/16/senkyo212/msg/158.html
Tweet |
小林節「自民党改憲草案を糺す」 <第11回>改憲要件を過半数にすることは「憲法の否定」だ
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/188834
2016年8月30日 日刊ゲンダイ 文字お越し
小林節慶大名誉教授(C)日刊ゲンダイ
現行憲法の96条は、国会が憲法改正を発議する条件として「各議院の三分の二以上の賛成」を要求している。ところが、自民党改憲草案の100条は、「両院それぞれの総議員の過半数の賛成」で改憲を発議できる……としている。
これは改憲要件の「緩和」と呼ばれているが、その本質は憲法が憲法であることを否定しているに等しい。
つまり、憲法は政治家以下の公務員(権力担当者)を統制する規範であるが、その政治家たち(時に政権)の力の源泉は、「議会の過半数」を擁して首相を指名し、さらに、国民の人権を規制できる唯一の規範である法律を制定し予算を決定・執行できる立場にある。
国会の「過半数」を制していることこそが唯一の原因で国家権力という大権を掌握している生身の人間たちによる権力の乱用を防ぐために憲法はある。その憲法の改正をその国会の「過半数」で発議できてしまえるのであれば、権力者を抑制できる規範は何もなくなってしまうに等しい。
昨年、国民的大論争を巻き起こした「集団的自衛権」の解禁も、集団的自衛権を行使して米国の戦争に参加しなければならない……という政権側の政策選択に対して、それは憲法が禁じている……という大前提があったからこそ、あのような大論争を引き起こし得たのである。それが、国会の過半数で改憲が発議できるのであれば、政権としては二度手間ではあるが、改憲と立法を順次行えば済んだことで、あのように緊張した「苦しい」論争を経なくてもよかったはずである。あれが権力者に対する抑制であったのは否定し難い事実であろう。
つまり、本来的に不完全な人間たちが一時的に預かる国家権力を乱用させないために存在する憲法が、その権力担当者たちによって簡単に排除されないために存在する厳しい改憲条件を、その縛られるべき権力担当者によって排除されてしまえば、憲法が存在する意味はなくなってしまう。
ここでも、自民党は一貫して権力者の「自由」を拡大しようとしている。法による支配から人による支配への移行である。
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK212掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。