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歴史の真相を闇に葬るNHKと朝日新聞の罪
http://bylines.news.yahoo.co.jp/tanakayoshitsugu/20160828-00061587/
2016年8月28日 1時0分配信 田中良紹 | ジャーナリスト
ロッキード事件で田中角栄が逮捕されてから40年目の7月、事件を巡るドキュメンタリー番組の放送や週刊誌報道が相次いだ。一方で出版界は石原慎太郎著「天才」がベストセラーになるなど「田中角栄」ブームである。
しかし「角栄本」がどれほど出版されても、あるいはロッキード事件から40年を経ても事件の真相が晴れることはない。むしろ最近の報道や著作には真相を闇に葬ろうとする意図があるように私には思えていたが、その典型のような本が7月に出版された。『田中角栄を逮捕した男 吉永祐介と特捜検察「栄光」の裏側』(朝日新聞出版)である。
内容はかつて検察を担当したNHKと朝日新聞の3人の記者による鼎談で、田中を逮捕した特捜部副部長吉永祐介を称賛し、特捜検察の栄光の歴史を語っている。しかし3人ともロッキード事件を直接取材したわけではない。田中という「巨悪」を逮捕した「最強の捜査機関」とマスコミが持ち上げ、神格化された後の検察を担当した記者たちである。
私は当時社会部記者としてロッキード事件を取材し、田中逮捕の現場に居合わせ、有罪判決を受けた後の田中に政治部記者として密着し、さらに田中が病に倒れた後、ワシントンに事務所を構えてアメリカ政治を取材した。その私から見ると申し訳ないが検察のシナリオに踊らされ視野狭窄に陥った記者たちの回顧談に思える。
ただし興味があるのはそれがNHKと朝日新聞の記者による鼎談であることだ。ロッキード事件は「検察とマスコミ」の合作と言われるほど全マスコミが検察に協力をしたが、その後も特にNHKと朝日新聞が検察権力のシナリオに忠実に従ったことを物語っている。
この本が出版された動機は、かつてマスコミが「巨悪」と呼んだ田中角栄が最近はもてはやされ、一方で「最強の捜査機関」とマスコミに呼ばれた特捜検察が、小沢一郎元民主党代表の失脚を狙った事件で世論の批判を浴び、その後は徳洲会事件でも甘利明氏の口利き疑惑でも腰が引けて国民の期待に応えられない。その歯がゆさが後押ししているようだ。
しかしロッキード事件は特捜部の捜査から始まったわけではない。ベトナム戦争に敗れたアメリカが反共主義から脱却しようと、「サンシャイン・リフォーム」と呼ばれる政治改革を行う中で、連邦議会上院の多国籍企業小委員会が軍需産業ロッキード社の秘密工作を暴露した。ロッキード社は世界各国の反共主義者を秘密代理人にし各国の政治家に賄賂をばらまき兵器の売り込みを図っていた。
日本の秘密代理人は右翼民族派の領袖児玉誉士夫である。なぜ右翼民族派がアメリカ企業の秘密代理人なのか。取材はそこからスタートした。今では児玉がCIAの協力者であったことがアメリカの公文書で明らかである。しかし当時は知る由もなかった。取材が突き当たったのはGHQが日本を占領した時代の闇の部分である。
戦前の軍部以上に厳しい情報統制によって日本の戦後民主主義には表と裏のあることが分かってきた。例えば児玉を追及していくと赤坂という街の特殊性が分かってくる。赤坂には山王ホテルという米軍施設があり米軍と日本政府が定期的に「日米合同委員会」を開いていたが、その周辺には児玉の息のかかった店が多く、私が勤務するTBSも戦時中に中国大陸で秘密工作を行った「児玉機関」のメンバーが創設期の幹部であった。
当時の三木総理が政敵である田中追い落としのためロッキード事件捜査に意欲を見せ、検察を動かしアメリカに捜査協力を仰がなければ、当時のマスコミは占領期の日本の闇の取材をさらに進めていたかもしれない。そうすれば児玉だけでなく、読売新聞社長の正力松太郎や朝日新聞主筆から政界に転じた緒方竹虎もCIA協力者であったこと、さらには日本テレビが反共宣伝放送局としてCIAから電波を免許されたことなども分かったかもしれない。
しかし日本政府の要請に応えてアメリカが捜査資料を検察に渡したところから占領期を追及する取材は中止された。私も検察取材を命ぜられ、高瀬礼二東京地検検事正と川島興特措部長を担当することになる。占領期の闇はその後アメリカの情報公開制度によって少しずつ解明されるが日本のマスコミが独自に取材するチャンスはこうして失われた。
おそらく日米両政府にとって占領期の闇に光が当たることは好ましくなく、検察捜査に力点を移させる必要があったのかもしれない。そしてロッキード事件は前総理逮捕という衝撃によって検察の捜査だけを注目させるが、しかし1976年2月から4月までの2か月間日本のマスコミは連日、全力を挙げて戦後史の闇の真相を追い続けたのである。
その視点はもちろんこの本にはない。そして総理経験者を逮捕した検察の偉業を前提に事件は語られる。私は敗戦国として被占領を経験した日本と西ドイツを考える。両国ともアメリカによって「反共の防波堤」と位置づけられ、アメリカの庇護のもとに経済成長を成し遂げた。
占領期にはおそらく西ドイツにも日本と同様の闇があったに違いない。その西ドイツでロッキード社の秘密代理人として名前が公表されたのはシュトラウス元国防大臣である。しかしシュトラウス氏が刑事訴追されたという話を私は聞いたことがない。西ドイツのロッキード事件に対する対応を私はまだ調べてはいないが、この日本と西ドイツの差がどこにあるかには関心がある。
というのも冷戦後における日本とドイツの間には大きな違いが存在する。アメリカからの自立を図りEUの中心国となったドイツと冷戦期より冷戦後の方が対米従属度を強める日本との違いである。
私が児玉誉士夫の取材から注目していた政治家は中曽根康弘氏である。二人には秘書を共有するなど親密な関係があった。児玉に流れたロッキード社の21億円は対潜哨戒機P3C売り込みのための賄賂だが、売り込むためには国産機の開発を主張していた中曽根氏にその主張を変えさせる必要があった。しかし児玉の病気を理由に検察は21億円の流れに一切手を付けない。
そして検察は民間航空機トライスター売り込みに関わる贈収賄容疑で田中角栄を逮捕した。前総理の逮捕は日本中に衝撃をもたらすが、若手の検事からは事件を全く解明していないと批判の声が上がった。検察は事件の捜査終了を宣言することなく「中締め」と言ったまま事実上捜査を終了させた。私には「うしろめたさ」を感じさせる結末だった。
その後、アメリカの証券取引委員会がダグラス・グラマン事件を告発し、ロッキード社と同じ仕組みで早期警戒機E2Cの売り込みで日商岩井から岸信介、福田赳夫、中曽根康弘、松野頼三らに賄賂が渡ったと公表された。検察は国会答弁で「巨悪は眠らせない」と言いながら誰も政治家を逮捕しなかった。
ロッキード事件を取材した記者の間では「巨悪」は中曽根氏を指すのではないかと噂された。無罪を主張して検察と全面的に争った田中角栄は、傍流で総理の目がなかった中曽根氏を総理に担ぎ上げ、一審判決の日を迎える。有罪判決が下ると田中・中曽根会談が行われ、田中は「自重自戒」と称して私邸に籠ることになるが、その会談で二人は手を取り合い涙を流したと言われる。
その頃、政治記者として田中番になった私は秘書の早坂茂三氏に頼まれ、田中の私邸に通って「話の聞き役」をやる。つまり話し相手である。その間に米国のキッシンジャーが私邸を訪れ田中と懇談したり、田中が中曽根氏にダブル選挙をやらせて総裁任期を延長させ、大勲位の勲章を与える構想などを聞かされた。田中は中曽根氏を使って無罪を勝ち取ろうとしていた。
一方で中曽根派内ではロッキード事件でただ一人有罪判決を受けた佐藤孝行氏が異様なほどに力を持っていた。まるで「中曽根には貸しがある」と言わんばかりで、組閣人事では毎回中曽根派の入閣候補最上位に位置付けられた。そして田中逮捕でロッキード事件の幕を引こうとした検察のやり方に怒る田中は日本の政治に「田中支配」と言われるいびつな構造を作り出す。
それらを見てきた私にはとても検察が描いたシナリオを称賛する気など起こらず、むしろ検察担当記者の中で特捜検察の「歪み」を告発した産経新聞の宮本雅史氏や石塚健司氏の『歪んだ正義』(情報センター出版局)や『特捜崩壊』(講談社)に取材者としての誠実さを感ずる。
とりわけ宮本氏の『歪んだ正義』は金丸信氏が逮捕された佐川急便事件に疑問を持ち、調べていくうちに検察OBから検察の歪んだ捜査手法の原点はロッキード事件にあると知らされ、ロッキード事件の検察捜査を改めて検証し、そのおかしさを指摘している。
日本の検察は日米安保体制の根幹に関わる軍用機売り込み工作には全く手を付けず、事件を民間航空機売り込みに捻じ曲げて田中一人に罪を負わせた。その検察のシナリオをいまだに評価するNHKや朝日新聞にはメディアとして歴史の真相を闇に葬ろうとする罪があると私は強く感じる。
田中良紹
ジャーナリスト
1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。89年 米国の政治専門テレビC−SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰
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