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2016年08月21日 「ジャーナリスト同盟」通信
<冷徹なマキャベリスト>
友人が送ってくれた小雑誌に「読売の首領 ナベツネの素顔」という記事が出ていた。作家の大下栄治が書いたものである。目的の達成のためには手段を選ばないマキャベリストというのである。確かだ。目的のためには悪人も利用する。ということは、民主主義も平和主義もナベツネにはどうでもいいことなのだ。それが読売新聞の体質ともなっている。NHKを安倍チャンネルと呼んでいるが、読売は安倍新聞である。ここにはジャーナリズムの片りんさえない、との指摘もある。
<大野伴睦側近に右翼の児玉誉士夫>
筆者は72年に政治記者になると、山口政治部長から大平派の担当を命じられた。自民党きっての名門派閥・リベラル派である。同時に、当時小派閥の中曽根派も回った。中曽根派は右翼だったが、大平派のお陰で筆者が右翼になじむことがなかった。
大下は「渡辺恒雄は大野伴睦を通じて人脈を広げていく。その中の一人に児玉誉士夫がいた」と書く。その通りだろう。
児玉とナベツネの深すぎる仲は、だれでも知っているが、彼は「弘文堂」事件が両者を結び付けたと決めつける。これは知らなかった。
<「弘文堂」事件処理で深すぎる関係に>
昭和30年ごろの3000万円は大金だ。この弘文堂が東海興業から借りて返却できないところから「魑魅魍魎が暗躍」する。困った弘文堂の元日本共産党東大細胞で、東大新人会の中村正光が、同窓のよしみでナベツネに泣きついた。
ジャーナリストはまずは活字にするのだが、ナベツネは違った。なんと中曽根に相談した。中曽根は児玉に持ちかけて、児玉が「魑魅魍魎」を退治した。ナベツネは昭和33年9月、この弘文堂から「派閥―保守党の解剖」を出版した。
筆者は20年余の自民党派閥を総なめにした時点で「自民党派閥」(ぴいぷる社)を出版して、政治評論の世界に飛び出した。
ナベツネは違った。児玉や中曽根と共に弘文堂の株主(2万株)になった。児玉4万株、中曽根2万株である。大映社長が経営する東京スタジアム6万株、萩原吉太郎の北海道炭礦汽船10万株である。
<フィクサー渡辺恒雄誕生>
読売もいい加減な会社である。社員がこんなことをしていれば、即刻首をはねられるが、実際は違った。いえることは、記者になって10年そこらで児玉や中曽根と肩を並べるフィクサーとなっていた。
中曽根とナベツネと児玉が、このアカデミックな弘文堂をいいように利用してゆく。児玉の「なまぐさ太公望―随想」でナベツネを取り上げていた。「読売新聞の渡辺恒雄さん」と紹介している。右翼のドンによって、ナベツネは「さん付け」である。
言論人ではない。
<弘文堂から九頭竜ダム事件にも関与>
ダム建設で鉱山会社が地底に沈む。電源開発がまともな補償をしてくれない。大野伴睦に陳情しても埒が明かない。やむなく児玉に頼む。その下りを緒方克行社長は「権力の陰謀」でこう綴った。
「最後、児玉に会い、訴える。場所は世田谷区等々力にある児玉邸の一室であった」
「児玉は緒方の話を聞き終わると言った」
「書類その他、よく調べてみた。内容も了解できたので、何とか調停してあげましょう。既にこの問題に携わるメンバーも決めてあります。中曽根さんを中心にして読売新聞の政治記者の渡辺恒雄君、同じ経済部の氏家斉一郎君に働いてもらいます。ま、しばらく成り行きを見てください」
翌日、児玉から「1000万円用意しろ」と連絡が入った。
結局のところ、この事件は「児玉がたよりにしていた中曽根の親分であった河野一郎が急死。事態は一転する」という。
改めていえることは、ナベツネも氏家も、二人の育ての親である宇都宮徳馬を裏切って、ジャーナリストの道から完全に外れてしまっていた。それでいて、氏家は日本テレビの頂点に立った。ナベツネはまだ踏ん張っている。中曽根同様に?
政治だけでなく、メディアも腐敗している日本なのである。
2016年8月21日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)
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