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都内で街頭演説する山本太郎氏(2013年9月30日撮影)。(c)AFP/KAZUHIRO NOGI〔AFPBB News〕
本当に、凄い男だぞ、山本太郎は あなたの「常識」は非常識かもしれない
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47630
2016.8.20 長江 貴士 JBpress
いつでも、常識に呑まれないようにしたい、と思って生きている。
常識は、決して正解ではない。大多数の人間がそう思っているからといって、正しいわけではない。不遜な言い方をするが、このことをきちんと理解している人が世の中にどれほどいるのかと感じてしまう瞬間は多々ある。特に、テレビや新聞での言説、あるいはインターネット上の意見などを特に疑いもなく信じている人を見ると、そう感じることが多い。
僕たちは、人々が特攻隊は正義だと信じていた時代を知っている。僕たちは、同じ人間を奴隷として、まるでモノのように扱うことが当然だと信じられていた時代を知っている。僕たちは、女性に選挙権が与えられないことが当たり前だと思われていた時代を知っている。
常識は、いつだって非常識に変わり得る。
ただ「常識だから」というだけの理由でそれに従って生きることは、ただの怠惰だ。常識というのは、疑うために存在する。当たり前だと思われていることを疑い、自分の正しさを信じて初めて乗り越えられることがある。社会に大きな変化を与えてきたイノベーションはどれも、最初は頭のイカれた個人の戯言だと思われてきたことだろう。常識を盲目的に信じているだけでは決して見えてこない世界が、僕らの近くにまだまだ広がっているのだ。
常識に挑み続けた者たちの奮闘を描く3冊を紹介する。
■なぜ山本太郎は政治家になったのか
『みんなが聞きたい 安倍総理への質問』(山本太郎著、集英社インターナショナル)
『みんなが聞きたい 安倍総理への質問』山本太郎著、集英社、税別1400円
政治家・山本太郎に対して、どんな印象を持っているだろうか?
僕はずっと、キワモノだと思っていた。ずっと、という表現はおかしい。そもそも僕は、政治家としての山本太郎に、何の関心も持っていなかった。キワモノ、という印象は、テレビを通じて、パフォーマンスとしか思えない選挙活動や脱原発活動を目にする機会に感じたものだ。
だが本書を読んで、山本太郎に対する印象は一変した。そして、政治家・山本太郎のことを、もっと多くの人に知ってほしいと思うようになった。
本当に、凄い男だぞ、山本太郎は。
<こういうポジションの政治家は、まあほかにはいないでしょうね>
本書は、山本太郎の国会での質疑応答を文字に起こした作品だ。下段に用語の注釈があるが、基本的には、山本太郎の質問と、その時々の回答者からの回答で構成されている。そんな本が面白いのか? という疑問は当然だろう。
僕にしても、国会中継をきちんと見たことは一度も見たことがないし、こう言い切るのは恥ずかしいという気持ちはあるが、政治には関心がない人間だ。それでも、本書はべらぼうに面白いと、はっきりと断言できる。
<水上が感心しているのは、普通の議員ではとうてい質問できないテーマのものを、山本は理詰めで固めた上に、細かな時間調整までして、最終的には一種の「ドラマ」として市民に届けようとしたことである>
山本太郎は、政治を、政治に関心のない人間に届けようとしている。
彼の凄さは決してその点だけに留まらないが(政治家になってから猛勉強し、常識を打ち破る質問を次々打ち出す。一方では政治信念が対立する者に対しても礼儀を忘れず、政治家としてだけでなく、人間的にも実に優れている)、これまでの政治家が無視してきた、あるいはやろうと思ってもできなかったことをやっているという点で、政治のショーアップというスタンスは凄まじい。
テレビ中継が入る日に重大な質問をぶつける戦略、見ている人にストーリーを理解してもらえるような質問や応答への配慮、百戦錬磨の政治家が答えに窮する質問、短い時間で応酬を成立させるための徹底的な準備。それらすべてが、テレビの向こうにいる、政治にあまり関心を持たない者に向けられている。その徹底ぶりが凄まじい。
<一番大事にしているのは、自分の主張をただぶつけるのではなく、見ている人にそこで起きていることを、前後の流れも含めて、ストーリーとして理解してもらえるようにすることです>
<それは僕自身、かつてまったく政治に無関心なところから始まっているので、政治に、国会に関心を持てない人の気持ちもわかるからなんです。これでもまだしゃべっている言葉が難しすぎると思っています>
ショーアップしているからといって、内容がヌルいわけでは決してない。むしろ逆だ。山本太郎は、戦争にも関わってくる安保関連法案の問題を中心として、沖縄の基地問題、陰で日本を操っているという「ジャパンハンドラーズ」のタブー、貧困層の若者が自衛隊に取り込まれるのではないかと危惧される「経済的徴兵制」など、その時々で山本太郎が重要だと感じる問題に切り込んでいく。
暗黙の了解として、政治の場では公に語られてこなかった問題であっても、山本太郎は臆せず議論に乗せる。本書を読むと、山本太郎の政治家としての覚悟、そして人間としての生き様を感じる。
何を目標にして政治に関わるか、と問われた山本太郎は、こう返す。
<一番は、あなたは生まれてきただけで価値があるんですよ、と思わせてくれるような社会を作りたいということですかね。当たり前のことだと思うんですけれど、生まれてきてよかった、とみんなが思えるのがいい。そのためには、私という存在が認められなければいけないし、あなたという存在を認めたいんだ、と。>
山本太郎が日本を変える。そんな未来もありえるかもしれないと信じさせてくれる一冊だ。
■戦法の常識を覆したマジシャン
『スエズ運河を消せ トリックで戦った男たち』(デヴィッド・フィッシャー著、柏書房)
『スエズ運河を消せ』デヴィッド・フィッシャー 著 、金原瑞人・杉田七重 訳、柏書房、税別2600円
本書の主人公であるジャスパーは、マジシャンである。そして、スエズ運河を消すという、誰もが想像もつかず、誰もが不可能だと思ったミッションを実現させた。
なんのためにか。それは、戦争に勝つためにだ。
マジシャン一家に育ったジャスパーは、ステージマジシャンとして一定以上の人気を博していたが、どこか満たされない日々を送っていた。そんなジャスパーを駆り立てたのが、戦争だった。
彼には、彼が身につけたマジックの技術が、必ず戦場で役に立つという確信があった。だから、33歳という、軍人としては高齢でありながら、軍の入隊センターに日参し、紆余曲折を経て、エジプトへと派遣されることになった。
そこでは、「砂漠のキツネ」と恐れられたドイツ軍のロンメル司令官がイギリス軍を苦しめていた。ジャスパーはまず、自分に必要な人材を、軍隊のあちこちからかき集めてきた。軍隊からはみ出しているが、一芸に秀でた連中をだ。動物の擬態が専門の大学教授、材料さえあれば何でも作ってしまう大工、色を知りぬいた画家など、軍人としては役に立たない能力を持つ面々で、カモフラージュ舞台を作り上げた。
しかし、誰も彼らに期待などしていなかった。だから当然、ミッションの依頼などない。彼らは、少ないチャンスから自分たちの存在価値をアピールし、やがて、戦争の常識を変えたとまで言われるほどの奇抜なアイデアで、強敵・ロンメル司令官とやり合っていく。
それまでの常識では考えられないような、戦力で圧倒するだけではない闘い方を生み出した彼らの物語には、読みながらずっと興奮させられっぱなしだった。
本書は、戦争を扱ったノンフィクションだが、全然戦争のことについて読んでいる感じがしない。なぜなら、この物語には、戦車や砲弾といったものがほとんど登場しないからだ。本書に出てくるのは、ダンボールやペンキなど日常的なものばかり。彼らは、武器にもならない、戦場ではガラクタでしかないようなものを駆使して、少ない人員で敵を惑わす奇想天外なアイデアを次々に実行に移す。
タイトルになっているスエズ運河を消すミッションも、その1つだ。彼らは戦場で、実に楽しそうにミッションをこなしていく。彼らがどんな難問を突きつけられ、それにどんな手段で応えたのか。また、実際に銃を持って敵と戦っている者たちと比べて自分たちは何ほどの者なのだと、自分たちの存在意義に思い悩む彼らの葛藤など、読みどころ満載の一冊だ。
■こんな社史、見たことがない
『臨3311に乗れ』(城山三郎、集英社文庫)
『臨3311に乗れ』城山三郎、集英社文庫、税別570円
<日本のトーマス・クック社を目指そう>
のちに「近畿日本ツーリスト」として、日本の「旅行」を作り上げてきた会社。その歴史は、たった5人の“野武士”たちが、世界的な旅行会社と肩を並べるという大それた目標を共有した時にスタートした。
近畿日本ツーリストの前身となる「日本ツーリスト」の創業者・馬場勇の生涯を中心に、社会に適合できずに流れ着いてきた者たちが、どのように「日本ツーリスト」を作り上げていったのかを描いた本書。馬場から依頼された城山三郎が、近畿日本ツーリストの社史として書いたものが元になっている。
朝鮮銀行に勤務していた馬場は、暴動やソ連軍の進駐などを機に日本に戻る。日本の銀行に就職するも、どうも雰囲気が合わない。さっさと辞めてしまって、何か事業を起こそうと考える。馬場は、旅行代理店という仕事に面白さを感じた。在庫をもたず、しかも前払いで現金が手に入るのが良い。経験などまるでなかったが、仲間を募って起業した。
彼らのやり方は無茶苦茶である。誰一人旅行代理店で働いたことのある者がいなかったことも大きいだろう。彼らは、業界の常識を次々と打ち破り、破天荒で破滅的な綱渡りのような経営をひた走った。創業当時の「日本ツーリスト」では、真っ当な感覚の持ち主は働けなかったことだろう。
入社の面接に来た男を、その日のうちに添乗員として「臨3311」という列車に乗せる(もちろん未経験者)。営業所がないのに営業所長を命じられ、営業所となる建物探しから始める。各営業所は独立採算制で、本社から給料が届けられるわけではないので自力で何とかする。新婚旅行中に各地の旅館をチェックしてこいと命じられた社員もいれば、妻に無給で船ガイドをさせる者も・・・。
会社として成立しているのかどうか怪しい有様で、よく成り立ってたなと思う。しかし、情熱だけは誰にも負けなかった。その情熱が伝わるからこそ、こんな会社としての体裁が整っていないような無茶苦茶な場所に、社会にうまく適応できない者たちが飛び込んできて、勢いだけで全力疾走し続けたのだ。
馬場にはビジョンがあった。金持ちになりたいとか、有名になりたいとか、そんなちっぽけな欲望ではない。彼には、「会社を日本のトーマス・クック社にする」という大目標があった。日本に、「旅行」という文化を根付かせようという強い意志があった。
信用などゼロだった「日本ツーリスト」がここまで成長できたのも、馬場をはじめとした面々の情熱を面白がり、彼らに感化されるようにして支援を申し出た数多くの人々の支えがあってこそだ。情熱は人を動かすという好例を見せつけられた思いだ。
こうである、という常識よりも、こうするのだ、という強い思いこそが、新しいアイデアを生み、人を魅了し、人を動かす。その意志の強さが、読者の心をも動かす一冊だ。
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