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ビデオメッセージでお気持ちを表される天皇陛下(2016年8月7日撮影、資料写真)〔AFPBB News〕
多くの示唆に富んだ天皇陛下の玉音放送 ブロードバンドネット時代のELSIを考える
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47619
2016.8.17 伊東 乾 JBpress
オーグメンテッド・リアリティ技術のELSI=倫理的、法的、社会的問題を考える稿を重ねていますが、8月8日に明仁天皇の「お気持ち」が公開されました。
そこで、ブロードバンド・ネットワーク時代の玉音放送といっても過言でないようなこの放送に関連して、ELSIの諸問題を考えてみたいと思います。
これは、かつて東宮参与を務められた團藤重光先生から、裕仁天皇、明仁皇太子(当時)浩宮さまの3代と様々な議論を交わされた一端をおうかがいした経緯があるためで。すべては記せませんが、いまこの問題を考えるうえで、建設的な議論に資するものがあると思います。
■天皇制のブロードバンド・ネットELSI
日本国憲法は、しばしば「9条」が問題とされますが、これは第二章「戦争の放棄」の一条目に当たり、それまでの8条は第一章は「天皇」にあてられています。
日本国憲法は、その前文に示された精神が極めて重要ですが、実は前文の中には「天皇」という言葉は1回も出てきません。わずかに1度だけ「詔勅」という表現が出てきます(勅とは天皇の命令を意味する言葉です)。引用してみましょう。
「・・・そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」
憲法に反するいかなる詔勅も排除されなければならない、とする、この日本国憲法前文の定めをよく踏まえた、実質的な「立憲遵法的な譲位の詔勅」というのが今回の「ブロードバンド音声動画玉音放送」の位置づけが可能かもしれません。
実際、憲法第一章、第一条から第八条までをいくら眺めても「天皇は退位してはならない」「天皇位は一度即位したら生涯続けなくてはならない」といった条文は見出せません。ついでながら憲法には「女帝はいけない」とも書かれていない。実際に条文を引いておきましょう。
日本国憲法 第一章 天皇
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
つまり「国会の議決した皇室典範」によって具体的な細部は決定すべきものであって、その時代時代に合致した天皇のありようを、国民主権者が合議して決めていく。
そういうあり方が原則であって、今回の歴史的と言ってよい放送は、天皇自身が直接主権者国民に語りかけ、高齢化時代の天皇のあり方を憲法の枠に従いながら再検討するという、ブロードバンド・ネットワークを通じた革新的・遵法的なコミュニケーションであったと言えるものでした。
実際に世論調査は89%の国民が天皇の「お気持ち」すなわち生前譲位の方向を支持しており、たぶんに抵抗勢力であり得る役所その他を飛び越えて、ネットワーク直接民主制に近い形に天皇自らが付託するという、極めて稀な、率直に「美しい」民意判断の問いかけがなされたと言えるように思います。
■象徴天皇を創造する
以下、具体的に今回の「放送」に即して考えてみましょう。もし放送をご覧になっていない方はリンクでご確認頂くと分かりますが、天皇はしばしば原稿から目をあげ、重要な部分はカメラ、つまり国民の目を見て、ご自身の言葉として語っておられます。
こうした所作から、テレビ番組も作ってきた個人としてすぐ察せられるのは、この原稿の大半が、天皇ご自身で草稿から記されたであろうこと、つまりスピーチライターの下書きを棒読みするといったものではなく、本当の意味での「天皇個人の肉声」である可能性です。
あまり多くの人が気づかないところかもしれませんが、音楽家というのは変なところに細かく、感動したりするものです。以下、本当に天皇が下書きから筆をとったものとして、今回のスピーチを抜き出して検討してみましょう。
「・・・本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えてきたことを話したいと思います」
ここまでの表現だけを見て、実際には、私は最初、車のラジオで8月8日15時からの放送を「耳にした」のですが、私は率直にかなり「感動」し、また率直に申すと團藤重光教授の一定以上の強い影響を感じざるを得ませんでした。
第1に感動したのは「私が個人として」という表現です。
「個人としての天皇」。これはすごい表現です。明仁天皇のお父さん、裕仁天皇が「人間宣言」を出した1946年1月1日、明仁天皇は12歳の少年としてこれに接していたはずです。原文を引用してみましょう。
「・・・朕ト爾等國民トノ間ノ紐帶ハ、終始相互ノ信ョト敬愛トニ依リテ結バレ、單ナル~話ト傳?トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(あきつみかみ)トシ、且日本國民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル觀念ニ基クモノニモ非ズ・・・」
幼少期から小学校卒業年配まで、ほかならならず日本が第2次世界大戦を戦っていた時期に重なるわけですが、明仁皇太子は「現御神の皇子」として産み育てられた。
この時期を過ごした同世代の人々は教科書に墨を塗って人生観を大きく変化させたわけですが、明仁皇太子は単なる墨塗り以上の絶大な実存の変化を多感な思春期に送っている。
「神から人へ」そんな明仁天皇が、単に人間という以上に「私が個人として」老いて死や認知症状にも直面するであろう人間としての天皇の現実を語っている。
当たり前のことでもあるけれど、戦時中の言論統制や不敬罪の数々、天皇機関説から津田左右吉まで多種多様な学問禁圧、関連する逮捕拘禁、拷問なども念頭に置く時、「天皇という私個人」の言葉がブロードバンド・ネットワークに再生可能なコンテンツとして乗っていることに、心動かされざるを得ませんでした。放送の内容を続けて見てみましょう。
「即位以来、私は国事行為を行うとともに、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごしてきました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、さらに日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、生き生きとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています」
明仁天皇は1989年1月7日、父である裕仁天皇(昭和天皇)の死の直後に践祚(せんそ)、翌年即位しますが践祚時点で55歳。歴代2位の年長という高齢即位、これより遅かったのは、天智天皇の孫で暗愚を装うことで政争による失脚・落命を免れた白壁王こと光仁天皇(709-781)の例があるだけなのですが、ここで他のメディアでまだ目にしたことがない点に1つ触れると浩宮さまの年齢があると思います。
1960年2月23日生まれの浩宮さまこと皇太子徳仁親王は今回の「玉音放送」のあった8月8日時点で実は56歳、高齢と言われた明仁皇太子の即位時よりも年かさになっています。
「山の日」の記念行事で長野を訪れた浩宮さまご一家の報道写真からは、娘さんもまだ小さく、青年のごときカジュアルルックの皇太子の姿が見受けられますが、実はこの時点で父親を抜いて歴代2位、奈良時代の光格天皇に次ぐ超高齢皇太子記録を更新中という現状があります。お父さんとしてははっきり、そのことは意識しておられると思いますので少し補いました。
■「全身象徴天皇」
明仁天皇のブロードバンド「玉音放送」は今回が初めてのことではありません。ご記憶の方が多いと思いますが、2011年、3.11東北大震災の直後、天皇は異例のビデオメッセージを3月16日に放送、発信しました。
これがどういうタイミングであったか、なぜこの判断に至ったかを考えてみます。
3月12日の午後3時半過ぎ、福島第一原子力発電所1号機が水素爆発を起こしました。次いで14日の午前11時過ぎ、第3号機が水素爆発。
この国が深刻な危機の状態に陥ったことを、私もあの時リアルタイムで見て直ちに感じ取り、ツイッターでつながっていた福島被災地の方々に保健物理の基礎的なノウハウで被害を最小に食い止める内容をお伝えするようにしました。
3月15日には2号機4号機が水素爆発。こんななか「日本人として忘れてはいけない4つの日」として「6月23日の沖縄戦終結日」「8月6、9日の広島・長崎原爆」そして「8月15日の終戦記念日」を挙げる明仁天皇が、国難を自覚、象徴天皇としていま何をすべきかを考え、侍従長らと合議、主として美智子皇后と文案を推敲して発信したとされるのが3月16日の<66年ぶりの玉音放送>だったのだろうと私は考えています。
それまでにも様々な言動を通じて信頼感を持っていましたが、科学的な背景を含め、立派な判断を自ら考えて下せる人が皇位に就いている、と思いました。
明仁天皇は、即位の時点から生粋の現憲法下での天皇、いわば「全身象徴天皇」というべき人だと思います。
「象徴天皇とはこのようにふるまうべきものである」というお手本があったわけではない。父である裕仁天皇は「自分は神ではない」と宣言する必要があった。では自分はいったいどのようにして「初代の象徴天皇」として日本国憲法のもとで新しい<国民統合のシンボル>として天皇であるべきか。
それを自ら考え、大いに悩みもされ、様々な内外の頭脳とも議論を重ねてこられた。そのごく一端ですが、團藤教授との「憲法」や「主体性理論」を巡るディスカッションの一部を聞き及んでいるので、深く心動かされたのです。
「即位以来、私は国事行為を行うとともに、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごしてきました」
という一言の背景には、非常に多くの努力と実践がある。2011年3月16日の「玉音放送」は福島を沖縄・広島・長崎・8.15に継ぐ国難として、国民統合の象徴として難局を乗り切るべく、憲法に抵触しない範囲で最も有効な「天皇の主体性」が顕現したものだと私には映りました。
■平成の「薄葬礼」
團藤重光教授は刑法学者で、戦後GHQと交渉し新憲法下での刑事司法を確立、刑訴法をゼロから日本語英語で書き下ろした張本人で、東大法学部長、最高裁判事を経て浩宮さま(現皇太子)の大学卒業に合わせて東宮参与に就かれました。
立憲体制下での天皇、皇族が、常に揺れ動き変化する時代と社会の要請に従ってどのように主体的に機能しう得るか、という議論を重ねられたと聞き及びます。
3.11の大惨事の後、「天皇はかくあるべし」と誰かが言ったわけではないでしょう。間違いなく天皇個人、またそれを身近で励ましたであろう美智子皇后との二人三脚で「平成の玉音放送」は決意され発信された。
私は團藤先生の形骸に触れた末席の1人として、まさに先生の学統が国事を超えた新時代天皇の立憲的な主体性として結実しているのを見る思いを持ちました。
それに次ぐ今回の「平成第2の玉音放送」で私が特に注目したのは後半の以下の部分です。
「天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。さらにこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2か月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます」
「その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることはできないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります」
ここで言っているのは、例の昭和末期、すでに危篤で意識もなく、輸血で命を保つ状態だった天皇の「下血」情報が、新聞に天気予報欄のような形で毎日出ていた1988年頃の出来事。現在40歳以上の人なら誰もが記憶していることでしょう。
「とりわけ残される家族」とは、皇太子として、また死没の直後に践祚して新天皇となった55歳の明仁親王個人として「非常に厳しい状況」を耐え抜いた体験を通じた言葉と思います。
「こうした事態を避けること」という中で、生前退位すなわち「譲位」ばかりが強調されますが、天皇の脳裏には同時に、退位後の自分、つまり「上皇」の<殯(もがり)>や「喪儀」をより軽微なものにすることを明確に含意していると思います。
いわば「平成の薄葬礼」と言うべきものでしょう。
すなわち、国民全体が喪に服して様々な行事を自粛することで社会経済が停滞することなど避けたい。自分の死によって社会が沈滞するのではなく、その先で日本社会の活性化と興隆を望みたいという、極めて配慮ある見識が示されていると思います。
「薄葬礼」とは、前述の光仁天皇の祖父「大化の改新」で政権を奪取した中大兄皇子こと天智天皇がクーデターの翌646(大化2年)に発した政令で、貴人の死去に伴う民衆の負担を軽くし、
人馬の殉死の禁止
墳陵の小型簡素化と前方後円墳の禁止
喪の期間の短縮
などを定めたものにほかなりません。
明治以降の人為的産物である近代天皇制では江戸時代では考えられなかった巨大な墳墓(伏見桃山御陵=もともとは伏見城・幕府の伏見奉行所の全域を墳墓に改めた)の造営や大がかりな全国民レベルの喪などを定めましたが、そういうことをやめましょう、と言っておられるように見える。
本当に国民を考え、特にその負担を考え、軽減し、日本という国を未来に向けて発展させる思慮とはどういうものであるか、これほど分かりやすく示す例は、ちょっとほかに思い当たらない。
それくらいELSI=倫理的、法的。そして社会的に考えたとき、深慮に満ちた内容が、今回の「放送」には込められていると思うのです。
(つづく)
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