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歴史から目をそらし自己正当化する弱き者ー(植草一秀氏)
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15th Aug 2016 市村 悦延 · @hellotomhanks
71年前の8月15日、日本がポツダム宣言を受諾して無条件降伏することが日本国民に伝えられた。
この内容は「大東亜戦争終結ノ詔書」に記され、昭和天皇による朗読音声が8月15日に放送された。
日本のポツダム宣言受諾を受けて、9月2日に東京湾上のアメリカ戦艦ミズーリ前方甲板上で
日本政府による降伏文書への署名が行われた。
したがって、終戦の日は9月2日であって8月15日でない。
また、正確に表現すれば「終戦の日」ではなく「敗戦の日」である。
8月15日に開催された戦没者追悼式で安倍晋三氏が内閣総理大臣として式辞を述べた。
安倍氏は
「あの苛烈(かれつ)を極めた先の大戦において祖国を思い、家族を案じつつ、
戦場に斃(たお)れられた御霊(みたま)、戦禍に遭われ、あるいは戦後、
はるかな異郷に亡くなられた御霊、皆様の尊い犠牲の上に、
私たちが享受する平和と繁栄があることを片時たりとも忘れません。
衷心より、哀悼の誠を捧げるとともに、改めて敬意と感謝の念を申し上げます。
いまだ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも、脳裏から離れることはありません。
おひとりでも多くの方々が、ふるさとに戻っていただけるよう、全力を尽くします。」
と述べた。
また、
「戦争の惨禍を決して繰り返さない。」
と述べて不戦の決意を強調した。
しかし、アジア諸国への加害と反省を述べなかった。
アジア諸国への加害と反省に触れないのは4年連続のことだ。
昨年8月14日に安倍首相が発表した「戦後70年談話」では、次の表現が用いられた。
「何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。」
「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、
痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。」
「こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。」
「日本の加害責任」、「痛切な反省」と「心からのお詫び」が明記され、
「歴代内閣の立場は揺るぎがない」
とした。
「戦没者追悼式」
であるなら、その「戦没者」には、日本がアジア諸国に与えた
「何の罪もない人々」への、「計り知れない損害と苦痛」による「戦没者」が含まれているはずである。
「戦没者追悼式」で、アジア諸国への加害と反省、お詫びに言及しないのは適正でない。
安倍首相は昨年の70年談話で次のように述べた。
「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。
あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、
謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。
しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、
過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。」
支離滅裂である。根本的矛盾があると言わざるを得ない。
「私たち日本人」が、「世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合」う必要があるなら、
過去の加害責任に真正面から向き合うべきである。
「真正面から向き合う」ということは、
歴史を直視し、痛切な反省を示し、心からの謝罪をすること
である。
歴史の事実を直視し、反省し、謝罪する行為は、
反省し、謝罪する本人が過去の過ちを犯したということではない。
国の先人による過去の行為に対して、その国の子孫として反省の念を持ち、謝罪するということなのである。
ドイツの場合、ナチスの犯罪に対する責任が明確に処理されてきたが、
日本の場合には戦争責任が明確に処理されてこなかった。
そのために、歴史に向き合うという姿勢がおろそかにされてきたのである。
そのおろそかにされてきた結果として、歴史の事実が歪曲され、
過去の行為そのものに対する正当化の論理が首をもたげている。
日本は過去の反省に立って、戦争を放棄し、戦力の不保持、交戦権の否認を定めた。
これが日本国憲法である。
そして、憲法は国の基本法であるからこそ、公務員に憲法尊重擁護義務を負わせた。
安倍政権は歴史を直視することを忌避し、憲法を破壊する方向に突き進んでいる。
「戦没者追悼式」では、日本が加害責任を負うアジア諸国の人々の犠牲者に対して、
痛切な反省と心からのお詫びを明示して、その御霊を追悼するのが適正である。
平和主義を否定し、戦争への道を突き進む安倍政権を可能な限り早く退場させなければ、
この国は再び道を誤ることになるだろう。
1995年8月15日、村山富市内閣総理大臣は、首相談話を閣議決定して発表した。
いわゆる「村山談話」である。
このなかで村山首相は次のように述べた。
「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、
植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。
私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、
ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。
また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。」
「植民地支配」
「侵略」
「痛切な反省」
「心からのお詫び」
の表現が明記された。
過去の歴史に真正面から向き合い、真摯な姿勢で近隣諸国に対して、反省と謝罪の意思を表明した。
村山富市氏が自己の行動を反省し謝罪したわけではない。
国を代表して、国の先人の行為に向き合い、
そのうえで、国として近隣諸国に対して反省と謝罪の意思を表明したものである。
安倍首相が述べたように、
「戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超え」、
「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫」
が増えていることは事実だが、
国の過去の歴史を消し去ることはできない。
先人の行為を真正面から見つめ、過去の行為に対する近隣諸国に対する反省と謝罪の気持ちを
継承することのどこが間違っていると言うのか。
安倍首相は、この言葉の直後に
「私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません」
と述べているのだ。
「世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければならない」
なら、過去の歴史事実について、国の後継者として、
「反省と謝罪」の気持ちを引き継いでゆくことは、むしろ当然の行為である。
国の後継者として「反省と謝罪」を引き継ぐことは、
「子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせる」
ことではない。
国の代表者として、「反省と謝罪」の意思を引き継ぐことが重要なのだ。
安倍晋三氏の祖父である岸信介氏は戦争犯罪者としてGHQによって逮捕、拘留されたが、免責された。
米国の手先になることと引き換えに、助命されたのだと推察される。
岸信介氏の恩師は、名誉を重んじて自決を促す短歌を贈ったが、
岸氏は助命され生きながらえることを正当化するために返歌を贈り返したと見られる。
その短歌がこれだ。
「名に代へて このみいくさの正しさを
来世までも 語り残さむ」
東京裁判によって日本の戦争責任が厳しく追及され、日本は東京裁判を受け入れ、
そのうえで講和条約に調印しているから、戦争責任を否定することは論理的にできない。
それにもかかわらず、
「このみいくさの正しさを 来世までも 語り残さむ」
という、いわば犬の遠吠えのような言葉が残されているわけだが、
安倍首相の行動は、あの戦争を、何とか正当化しようという思いを背景としているものであるように思われる。
白井聡氏が指摘するように、日本は敗戦の事実を真正面から受け止め、
その責任を明確にすることを避けながら現在に至ってしまった。
この国の弱さ、そして、いかがわしさの源泉がこの部分にあるのだとの指摘は正鵠を射ている。
戦後50年の時点で村山富市氏が日本の加害責任と痛切な反省、心からのお詫びを、
はっきりと言葉にして表わした。
この業績と成果を亡きものにしようとする安倍晋三氏。
どちらの道を進むのが正しいのかは明白である。
見たくない過去から目を遠ざける。
そして、自己正当化に終始する。
これは、歴史から学び、歴史を繰り返さないという人類の叡智の真反対の行動である。
強き者は自己を直視して、是を是とし、非を非とする。
弱き者は自己を直視することを避け、非を是と言い張る。
安倍晋三氏の行動様式は弱き者の典型的な姿であると言わざるを得ない。
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