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<サンデー時評>これまた兵どもが夢の跡「YKK秘録」の読み方〈サンデー毎日〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160804-00000003-sundaym-pol
mainichibooks.com 8月4日(木)12時5分配信
◇倉重篤郎のサンデー時評 連載100
政治家は歴史法廷の被告である、と語ったのは中曽根康弘元首相である。権力の中枢にあった者は、国民から委託された権力を行使するにあたり、何を考え、なぜ、どう行動し、どんな成果を得たか、について、一定の時間を経た後には、すべての事実をつまびらかにし、委託者である国民の審判を受ける義務を負う、という趣旨だ。
その意味で政治家のメモワールは貴重である。記者が入れなかった奥の院のやりとりや、エッと思うような真実の暴露もある。権力闘争とはかくも激しいものか。事実は小説より奇なり。歴史は夜作られる。そんなことを改めて教えられる。その時代を生き生きとトータルに振り返ることができる。
山崎拓元自民党副総裁の近著『YKK秘録』(講談社)もまたそんな感じを抱かせる回顧本だ。
それは必ずしもドラマチックに描かれた政治劇ではない。有力者たちの日々の言動を淡々とかつ執拗(しつよう)につづったものである。日記調とでも言おうか。確かに、山崎氏はどんなに夜遅くても、酔っていても、帰宅後は必ずその日の重要なやりとりをメモする人だった。
この『YKK秘録』。私にとっては興味深い点が三つあった。
一つは小泉純一郎氏の政治家としての政局勘の鋭さである。
YKKとは、山崎拓、加藤紘一、小泉三氏で1991年に結成、当時最大の実力者・小沢一郎氏率いる経世会に数で対抗、包囲するために作った3派連合体だった。山崎氏に言わせると、小泉氏が信長タイプ、加藤氏が秀吉タイプ、「自分は家康タイプと言いたいところだが、軍師黒田官兵衛的役割に終始した」と自己総括している。衆目見るところ、首相候補ナンバーワンは加藤氏、続いて山崎氏で小泉氏は三番手であった。ただ、それがいつの間にか逆転していくのが面白いところだ。そこには小泉氏の義理人情を超えた権力闘争を勝ち抜く直観力があったのだ。
例えば、93年、宮沢喜一政権が衆院選での自民党過半数割れで退陣、小沢一郎氏が日本新党の細川護熙(もりひろ)氏を担いで8党・会派連立政権を起(た)ち上げた時のことである。自民党が政権維持のためにポスト宮沢に党内の誰を担ぐか、うろうろしていた時に、いち早く細川首班を発案したのが小泉氏であった。
◇加藤紘一の乱における権力闘争の苛烈さ 今の政治が失った情熱
『秘録』によると、それは投開票翌日の同年7月19日のYKK会合だった。さすがにこの段階ではあまりにも突飛(とつぴ)だとして加藤、山崎両氏は取り合わず、1週間後に小泉案でやってみようとなった時には小沢氏に先を越されていた。
その細川政権が退陣、続く羽田孜(つとむ)政権も短命に終わり、その後は非自民連立政権が続くか、自民政権が復活するか、というぎりぎりの攻防があった。結局自民党は社会党党首を首班に担ぐという奇策で政権を取り戻したわけだが、この時もYKK内で初めてその構想を提起したのも小泉氏であった。
2000年暮れのいわゆる加藤の乱では、YKKが二つに割れる。森喜朗政権の追い落としを図る加藤、山崎氏に対し、森派会長だった小泉氏は友情を犠牲に2人と戦う道を選んだ。戦いは加藤氏側の惨敗で終わり、5カ月後、YKKで唯一勝者側についた小泉氏がポスト森の首相の座を射止めるのだからその直観恐るべしである。
乱の蜂起から鎮圧までの描写も生々しい。それが二つ目である。
加藤氏らは野党・民主党の仙谷由人氏にも協力要請していた。
「衆院本会議でクーデターを決行する。同調してくれないか」
慌てた表情の仙谷氏が「仲間と相談したい」と、菅直人、枝野幸男両氏を呼び5人で協議。野党側が不信任案を提出、加藤氏側がそれに同調する段取りが話し合われたが、その際、問題になったのが数のメドだった。不信任案を成立させるためには野党全員の賛成と、加藤、山崎両派で最低32人必要だった。当時は両派で64人いた。
加藤氏「数は全く問題ない」
仙谷氏「こういう話は小沢一郎(当時野党・自由党党首)と話をつけておかないとおかしくなる」
加藤氏「すでに話はつけた」
山崎氏が加藤氏に聞いた。「小沢といつ話をしたんだ?」
加藤「昨日電話で話をつけた」
その後、小沢氏から山崎氏に警告があった。「紘ちゃんは独り善がりで脇が甘い。話が早く漏れ過ぎている。不信任案が出るまで10日ある。その間に切り崩されるぞ」
案の定、加藤、山崎両派は主流派からの凄(すさ)まじい切り崩しに遭う。
結局、加藤派が割れ敗色濃厚となり、加藤、山崎両氏が二人だけで不信任案に賛成するため車で国会に向かうことになる。ところが、議事堂正面に来るたびに2度にわたり加藤氏が躊躇(ちゆうちよ)する。二人はホテルに戻り山崎氏は気が抜けてソファでぐったりした。すると加藤氏が来て「拓さん。行こう」。
「いや、俺はもう行かん。あんた一人で行ってくれ。三度目の正直というわけにもいかん」
加藤氏が一人でホテルを出たが、またすぐに戻ってきた。その晩二人は痛飲した。あれほど思いつめた加藤氏を見るのは初めてだったと、山崎氏は振り返る。野党の不信任案に同調するのが与党政治家にとっていかに困難かが、ある種の痛みをもって伝わってくる。
三つ目の関心事項は、永田町外の大物プレーヤーの参入である。その筆頭は渡辺恒雄読売新聞主筆であろう。秘録には複数回登場する。特に小泉政権時の靖国参拝問題では政治家以上の役割を果たしている。創価学会とのつながりも、秋谷栄之助会長(当時)らとのやりとりを明らかにしている。
それにしても、自民党の権力闘争の苛烈さである。夏草や兵(つわもの)どもの夢の跡......。懐古趣味ではない。今の永田町に最も必要で、かつ最も欠けているものがここにある。
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