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『シン・ゴジラ』に覚えた“違和感”の正体〜繰り返し発露する日本人の「儚い願望」 日本の政治家や官僚は非常事態でも都
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投稿者 軽毛 日時 2016 年 8 月 13 日 08:22:19: pa/Xvdnb8K3Zc jHmW0Q
 


2016年08月13日(土) 辻田真佐憲

『シン・ゴジラ』に覚えた“違和感”の正体〜繰り返し発露する日本人の「儚い願望」


http://gendai.ismedia.jp/mwimgs/a/b/600/img_ab5ee7de84bfd043e4fbabe4efe6bc43138466.png


野暮は承知であえて言う
日本の政治家や官僚は非常事態でも都合よく「覚醒」しない…

(『シン・ゴジラ』予告より)

文/辻田真佐憲(近現代史研究者)

バブル時代とゴジラ映画
経済大国日本は、21世紀にその財力で赤字国の領土を買いあさり、22世紀に世界最大の面積を誇る大国になり、23世紀に唯一の超大国として世界に君臨するにいたる。この事態を憂慮した未来人の一部は、タイムマシンを使って20世紀末の日本に怪獣を送り込み、日本を徹底的に破壊して、歴史を改変しようと試みる――。

これは、1991年12月に公開された『ゴジラ対キングギドラ』(大森一樹監督)のストーリーである。衰退する一方の現代日本では、このストーリーはいまやまったく現実味のないものになってしまった。

しかし、この脚本が書かれたころの日本では、必ずしもそうではなかった。

当時の日本はバブル景気の真っ直中であり、世界中の企業を買いあさるなど、まさに我が世の春を謳歌していた。いわゆる「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代だ。それゆえ、日本がこのまま世界を支配するという荒唐無稽なストーリーにも、一定の説得力があったのである。

ただの怪獣映画と侮ってはならない。娯楽映画であったとしても、その内容や消費のされ方には、時代や政治の動きが反映される。ましてゴジラ映画は、太平洋戦争や水爆実験など、時に現実世界のできごとと密接に関係してきたのだから、なおさらそうである。

失われた20余年と『シン・ゴジラ』
ひるがえって、今年7月末に公開された新作(日本製作では約12年ぶり)の『シン・ゴジラ』(庵野秀明総監督)はどうだろうか。

『シン・ゴジラ』では、ゴジラはこの21世紀のうらぶれた日本にやってくる。決断力に欠ける政治家や、省庁間の縦割りにこだわる官僚たちは当初、この非常事態にうまく対処できず、いたずらに被害を拡大させてしまう。

ところが、日本存亡の危機がせまるに及んで、政治家や官僚たちは「覚醒」する。眼の色や表情は明らかに変化し、従来のしがらみを捨てて結束し、ゴジラと対するようになるのだ。「現場」の公務員や民間人たちも、身命をなげうってこの動きに呼応する。

かくて挙国一致した日本は、東京に核ミサイルを打ち込んでゴジラを抹殺しようとする米国の動きを牽制しつつ、日本の科学技術力を総動員して、ついにゴジラの動きを自力で止めることに成功するのである。

なんとも劇的なストーリーであるが、実はこの展開はさほど珍しいものではない。

日本はたしかに衰退している。だが、われわれには秘められた力がある。立派な指導者さえ出てくれば、この国はまだまだやれる。対米従属だって打破できるし、科学技術力を世界に見せつけることだってできる――いわゆる「失われた20余年」の日本人は、こうしたストーリーを愛好してきた。

たとえば、かわぐちかいじの漫画『沈黙の艦隊』(1988〜1996年)では、日本の政治家や官僚たちが、非常時に出くわしてたくましく成長し、団結する姿が描き出されている。対米従属を打破し、科学技術の底力を顕示するところも同じだ。

時代背景が異なるものの、荒巻義雄の仮想戦記小説『紺碧の艦隊』シリーズ(1990〜2000年)もまた、日本の政治家や官僚(軍人)たちが著しい指導力や先見の明を発揮して、主体的かつ独創的な政治や外交を展開する話となっている。

『沈黙の艦隊』も『紺碧の艦隊』シリーズも、一世を風靡した人気コンテンツだ。「失われた20余年」の日本人は、以上のようなストーリーを好意的に受け入れてきたわけである。『シン・ゴジラ』もまたそのひとつということができよう。

政治家と官僚の「覚醒」にリアリティはない
こうした政治家と官僚の「覚醒」ストーリーは、現実の日本の不能ぶりをむしろ露わにしている。

実際のところ、日本の政治家や官僚は(東日本大震災のような)非常事態にあってもみながみな都合よく「覚醒」するわけではない。不必要な決断などで、かえって混乱をまねくこともしばしばだ。また対米従属は相変わらずで、科学技術はどんどん世界に追い抜かされつつある。

その一方「現場」は、ブラック企業、非正規雇用、様々なハラスメントなどで疲弊している。ひとびとは格差やイデオロギーで分断され、とても一致団結できるような状態ではない。グローバル化が進んだ現代では、ゴジラのごときものが襲ってきても、富裕層などはさっさと海外に逃げてしまうだろう。

このなかでも、政治家や官僚の問題は宿痾のように根深い。というのも、直近では最大の国難ともいうべきアジア太平洋戦争(1931〜1945年)においてさえ、彼らは決して目覚めもしなければ、一致団結もしなかったからである。

よく知られるように、戦時下に本来ならば協力すべき陸海軍は、常にいがみ合い、情報を共有せず、資源を奪い合った。それだけではない。同じ陸軍のなかでも、陸軍省と参謀本部が対立し、参謀本部のなかでも作戦部と情報部が対立した。もちろん、海軍のなかにも同じような対立構造があった。

陸海軍は、まさに四分五裂の状態だった。一例をあげれば、1944年10月、陸海軍は、大本営発表に「陸海軍」と書くか「海陸軍」と書くか、その順序をめぐって5時間近くも揉め続けたといわれる。米軍が日本本土に迫る危機的な状態で片言隻句にこだわっていたのである。こうしたつまらない対立の事例は枚挙にいとまがない。

つまり、この国にあって、政治家や官僚は非常時にあっても都合よく「覚醒」しないし、一致団結もしない。これは現在だけではなく歴史的にもそうである。だからこそ、『沈黙の艦隊』や『紺碧の艦隊』のような虚構の作品が受け入れられ続けてきたのだ。

『シン・ゴジラ』では、政治家や官僚の肩書、服装、しゃべり方などがかなりリアルだっただけに、一層その「覚醒」の異様さが浮き立って見える。それは、現実社会における不能ぶりとのギャップを想起させないではおかず、痛ましくもあった。

劇中最後の、核ミサイル攻撃の回避においてもそうだ。かつて帝国日本は、なかなか終戦の決断をできず、みだりに戦争を長引かせ、ふたつの原爆投下を招くにいたった。これに対し本作では、「覚醒」した政治家や官僚と、「現場」の公務員や民間人によって核ミサイル攻撃が防がれる。

なんという「美しい」物語だろう。ただしそれは、われわれがいまだかつて一度も手にしなかった歴史でもあるのである。

「現実対虚構」ではなく「願望対虚構」
劇場などに貼りだされている『シン・ゴジラ』のポスターには、「現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)。」という印象的なキャッチコピーが書かれている。

実際には、ゴジラのような生命体が日本を襲うことなどありえない。たしかにこれは、まったくの虚構だ。だが、それと同じくらい、挙国一致し世界に実力を見せつける日本というのもまた虚構なのではないか。願望の発露といってもよい。

それゆえ、本作の内容を正確に反映するならば、「願望(ニッポン)対虚構(ゴジラ)。」とでもいうべきであろう。

『シン・ゴジラ』は、昨今の映画にありがちな無駄なシーンを削りに削ったとも評価される。たしかに、定番のお涙頂戴シーンや恋愛描写などはなく、たいへんテンポがよい。本作の秀逸さは散々語られているので改めていうまでもあるまい。

ただ、これはまた、われわれが「立派な指導者が出てくれば、日本はまだまだやれる」というストーリーを「無駄」と考えず、あまりにも自然に、快楽として受容しているということでもある。

「失われた20余年」にも似たようなストーリーはあまりにも繰り返されてきた。「決断できる政治家」に対する待望は久しい。「日本の底力」や「日本の実力」を謳歌するコンテンツも増え続けるばかりである。

だからこそ、野暮なことを承知のうえで、あえていわなければならない。知らず知らずのうちに、われわれはこのようなストーリーに影響されてはいないだろうか、と。

もし、『シン・ゴジラ』を観て、「立派な指導者が出てくれば、日本はまだまだやれる」と本当に思ったとすれば、そんなものは虚構のなかにとどめておかなければならない。「失われた20余年」に繰り返されてきたこうした願望の発露は、その実現可能性ではなく、その徹底的な不可能性を示していると考えるべきだ。

劇中に描かれる美しき挙国一致の「ニッポン」は、極彩色のキノコである。鑑賞する分には美しいかもしれないが、それを実際に口にすればひとは死ぬ。ありもしない「底力」とやらを信じて、身の丈に合わない行動を起こし、かえって損害を被るのはもうやめたいものである。

まもなく今年も8月15日の終戦記念日がおとずれる。

本当の非常時における政治家や官僚の言動は、そのなかにたくさん事例がある。『シン・ゴジラ』は名作ゆえに、様々な影響をわれわれに残すだろうが、その中和のためにも、実際の戦史について調べてみるのも悪くないのではないだろうか。

辻田 真佐憲(つじた・まさのり)
1984年大阪府生まれ。文筆家、近現代史研究者。慶應義塾大学文学部卒業。同大学大学院文学研究科を経て、現在、政治と文化・娯楽の関係を中心に執筆活動を行う。近刊『大本営発表』(幻冬舎新書)、そのほか単著に『たのしいプロパガンダ』(イースト新書Q)、『ふしぎな君が代』(幻冬舎新書)、『日本の軍歌 国民的音楽の歴史』(幻冬舎新書)、『愛国とレコード 幻の大名古屋軍歌とアサヒ蓄音器商会』(えにし書房)などがある。監修CDに『日本の軍歌アーカイブス』(ビクターエンタテインメント)、『出征兵士を送る歌 これが軍歌だ!』(キングレコード)、『みんな輪になれ 軍国音頭の世界』(ぐらもくらぶ)などがある。

信用できない情報の代名詞とされる「大本営発表」。戦局の悪化とともに軍官僚の作文と化した大本営発表は、組織間の不和と政治と報道の一体化にその破綻の原因があった。今なお続く日本の病理。悲劇の歴史を繙く
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49434  

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コメント
 
1. 2016年8月13日 08:52:41 : B3mQHTdrW6 : VcSlVrjNmy0[3]
言いたいことはわかるけれども、虚構の産物だからこそ「観る」「魅せる」作品として成り立たせる虚構が受容されている前提を無視して、現実を言い立ててもあまり意味はないのではないだろうか?

怪獣映画には右派も左派も中道も隔てなく、異形な物を注視した幼い過去の記憶が引き付けるトラウマが内包されている。
現実だったらどうだろう?
それを作る側も、もちろん観る側も考えるのは当然だが、それはあくまで虚構の話であり、逸脱してそれを現実のものとして憲法や法律に設定しようとの動きが出てきたら、その国はもうほとんどイカレているのであって国民も終わっているとしか思えない。

作り手、制作側の誰一人もそんなことを望んじゃいないだろう。
虚構であるがゆえに虚構性を排し、現実的に起こりうる問題として描いていくということ、いうまでもなくそれも虚構なのだ。
映画のようになれないのもかと思い倦むことと、映画のようにしてしまえばいいと実行に移そうとする思考の間には深い断層が幾重にも折り重なっており、だからこそ映画は映画として成立する。

映画が作られない、見られない国に虚構の話を持ち込んでも無意味なのは、それが大概が国も国民も壊れてしまっているからだ。
シリアの人にシン・ゴジラを見せてどういう反応をするのか?とかんがえてみる。
ただの作り物として反応するだろう。
彼らの国では虚構でない現実が今もある。
それは虚構の怪物ではなく、ほんの数年前まで普通に話し暮らしていた人たちが憎しみ合い、殺し合う内戦の現実である。

我々は物語として映画を楽しめばいいのであって、それを以って現実を嘆くことに注力すべきではない。
不毛であり、それこそが虚構である。



2. 2016年8月13日 09:11:06 : nJF6kGWndY : n7GottskVWw[2250]

>われわれには秘められた力がある。立派な指導者さえ出てくれば、この国はまだまだやれる。対米従属だって打破できるし、科学技術力を世界に見せつけることだってできる

確かに、こういう幻想からは早く卒業した方が良いだろう

そして、官僚や政治家、大企業などを厳しく監視する制度と仕組みが必要だな

当然、彼らが退職したら、ただの国民になるから、国民の個人情報もある程度、公開することは必要になる

シンゴジラに関して言えば、折角のスカイツリーを、破壊すべきだったなw


3. 2016年8月13日 09:22:03 : D1hJR9DOkE : MZNgGRRxULs[296]
んー。
私も先日シン・ゴジラを夫と見に行ったもんだが。。

なんかこの投稿、印象操作的ネタバレな気がしたので、
敢えて感想的ネタバレしちゃうけど。

これ、311時の民主党政権 & 初期ゴジラ & ハリウッド版への、心血注いでの
オマージュだと思った。

徹底的に、まだやるか、って程にリアル(東日本震災のリアル映像を、首都圏
各都市にオーバーラップさせ)に首都圏は破壊され尽くしちゃうし。

最後はなんとか凍結処理(F1の凍土壁?みたいな)で一旦被害は食い止めることに
成功したものの、更なる増殖への、不気味な予兆も残して終わってる。

更に、311(菅政権時)の官邸内は、まさにこんなだったのでは、という、
混乱と苦渋の選択の連続、それも結局(政権中枢メンバー、最初ほぼ主人公格として
出ていた)全員、中盤ではみんな死んじゃったし。

結局、こんな「想定外」が生じたら、何をやってもムダ、しかも、それが
人間の作った文明の空しい行きつく先。。。

みたいなメッセージがはっきりと伝わった。つまり、原点的、畏怖と絶望、
人為の限界。。。

正直、311以降、あの現実を超えるほどのゴジラ映画が日本から出てくることは、
期待してなかった。

でも、比較的ゴジラファンの私達初老夫婦にとっては(現代の映像技術のスゴさ
と共に)、期待以上のインパクトを与えてくれたと思う。


4. 2016年8月13日 09:38:01 : D1hJR9DOkE : MZNgGRRxULs[297]
それと好感したのは、中期後期のゴジラと比べればはっきりするのだが、
一切のお涙頂戴も「絆」的ドラマも排していたあたり。

戦争についても考慮が必要な今、だからこそ敢えてという、

撮影スタッフの気概を感じた。


5. 2016年8月13日 11:06:24 : 2VxazcwEtj : LkYd3S4cYsA[64]
映画も見てないし興味もないんではずしてるかもしれないが
映画的虚構から現実を投影分析するってのもこの人の感性として
おもしろいんじゃないのかな。

野暮だと自分で白状してるようにこういう見方が本流には
ならんだろうが虚構日本から現実日本の政治家や役人に対して
無い物ねだり的カタルシスとしてとらえ直せるってんだから
ゴジラもなかなかすごいじゃないか。

昔、日本の官僚は世界一優秀だ、なんて大虚構が現実に
まかり通っていたんだからスクリーン上の虚構を
あれこれ言うのも野暮といえばたはり野暮かな(笑)


6. 暴論有理[141] llyYX5dMl50 2016年8月13日 11:08:19 : NbPY0vTbiU : JNPFiG_OJ90[3]
あのな、ヲタウヨ&ネトウヨども、庵野はネトウヨの走りだと言う事がはっきりしただけだよ。

ヤシマ作戦とかアッツ島撤退を勝利といいくるめる幼稚脳の持ち主なんよ。

風立ちぬの主人公の声を当ててたが青の主人公同様の、アスペルガーで、メカやメカ同様の官僚機構、軍事機構、国家機構に対するオタクでもあるのだ。

だから血の通った殺される市民への一縷の涙さえながさないし、原爆記念館でもファットマンとかには1時間立ち見しても、大村海軍病院の惨状には冷酷な程、無関心なんだ。

庵野は現在の緊急事態法や改憲を狙う官邸の意向にジャストミートなんだよ。そこに反米意識もからませて、反米右翼と反米左翼も上手く取り込んだ計算の高さは特筆者だ。しかし、それらの引き算を加えても総体で国家主義を賛美する右翼映画であることは間違いない。

スタッフロールにニコウヨ動画の川上がでていたり、電通がからんでいれば当然だろう。

したがって、欺瞞で美化していても死を描いていた永遠の0よりも政治的影響力では危険なネトウヨ映画だ。


7. 2016年8月13日 11:09:50 : NbPY0vTbiU : JNPFiG_OJ90[4]
ついでに1は典型的な糞詭弁。みっともないぞ。

8. 2016年8月13日 11:22:40 : n7M234JHjo : OBoBCF8mU2w[73]
6>> ネトサヨゴジラ みてみたい だれか作らないか。

   こんな感じでどうか。

   ゴジラによる右翼殲滅、靖国神社破壊、皇居破壊などのシ−ン 

   沖縄米軍基地、米軍岩国基地を次々破壊するゴジラ。

   ハワイ沖で米軍第七艦隊とゴジラの決戦、米軍ハワイ艦隊もはゴジラの

   放射能光線で全滅、 日本は米国の植民地から開放される。 


9. 2016年8月13日 11:42:24 : n7M234JHjo : OBoBCF8mU2w[74]
 ついでにミドウエイの米軍 ハワイの米国艦隊、原子力潜水艦もゴジラが

 殲滅しまう{シンゴジラの逆襲・復讐」


 


10. 2016年8月13日 20:51:09 : Wnc6oSvgYA : @SAV2f9Nl3c[20]
自信失せ 夜郎自大で 虚勢張り

11. 2016年8月13日 23:05:24 : NbPY0vTbiU : JNPFiG_OJ90[6]
8,9は反米だけ極左と同じだ。こわ、

12. p4rhfeEDdk[118] gpCCU4KSgoiChoKFgmSCY4KEgos 2016年8月14日 10:52:11 : LNxdHmKVZY : 4FvRDhqin8E[61]
3.11が記憶に残る日本で、この映画を観た人は、
’シン・ゴジラ=津波’’シン・ゴジラ=原発’をイメージする人が多いと思う。
シン・ゴジラは”GOD”(荒ぶる神)の意味が強く出ているように感じた。

度重なる攻撃に怒り、
ゴジラが放った放射熱線で永田町・霞ヶ関周辺が焼かれ、
その時にゴジラの位置から考えて東電本社も焼かれたように感じた。

”GOD”が放った放射熱線により映画の中だけど永田町・霞ヶ関をリセットしている。
これは、現在の多くの日本人が望んでいることではないだろうか。
絶望的な破壊、そこから、新たに生まれてくる希望。
最後は、意味’深’で終わっている。


13. 2016年8月14日 15:24:39 : qF4T1YwunA : 0ID5WaAuWRA[1002]
●この映画、俺は途中で眠ってしまって手に持ってた珈琲がズボンをグチャグチャにしてくれた。

ゴジラめ、もっと観客を覚醒させろ!

カネと時間を返せ!!!!ヽ(゜Д゜)ノ


14. 2016年8月14日 17:25:00 : Ewos0arYQo : gpx_J_lPjyo[14]
主役が副官房長官って、ゲッベルスせこ〜よ、どこまでやれば気が済むんだ。

あと竹内豊は内閣総理大臣補佐官 (国家安全保障担当) だが、これは法的安定性否定の礒崎 陽輔じゃないか。

ようするに安倍ちゃんファミリーの長男と次男坊で、今じゃ経産省と農水省のお大臣だ。こいつらはおのれを竹内や長谷川なみのイケメン中年と思っているらしい。

もう、庵野と川上ニコウヨは安倍の宣伝省入りしたのが、バレバレ。


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