http://www.asyura2.com/16/senkyo210/msg/821.html
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昭恵夫人は、塚本幼稚園の名誉校長。教育勅語の普及に邁進されてます
http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/451be7b98965303f350935fc3ecf4a29
2016年08月08日 のんきに介護
kamitori 緑と平和の地球が一番! @kamitoriさんのツイート。
――RT @kijitora0510 教育勅語を教える学校の名誉校長は安倍首相夫人。こんな幼いうちから「同期の桜」を歌わせている。
(塚本幼稚園)〔23:29 - 2016年8月6日 〕——
喜んで我が子を死地に追いやる
戦中の
特攻を支える
「銃後の守り」精神を
復活させるのに
熱心な昭恵夫人であります。
物心つく頃より軍国教育をやるべし
という持論(?)を
こんなところで実践されているのですかな。
他方、昭恵夫人は、
2012年11月に完成したナムのひろば文化会館の
落慶法要にも招かれ、
「命の見つめ方」をテーマにして
講師をされています――。
何だか
場違いな講師による心得違いな演題に見えます。
何を話されたのでしょう?
☆ 記事URL:http://namosquare.org/culturalcenter/ceremony.html
そもそも
「正福寺」
という寺、真宗のようですが、
寺の住職は
どういう考え方の人なのでしょうね。
検索すると、
この間の相模原事件の容疑者、
植松を
ドストエフスキーの
小説「罪と罰」の
ラスコリーニコフになぞらえて、
「一人一人の『いのちの息遣い』が聞けていない」と
非難されてました
(2016年8月号「相模原大量殺傷事件で考えさせられた『いのちの尊厳』」参照。*http://namosquare.org/onstage/onstage.html)。
この人、
仏教界の三宅洋平と呼んであげましょうかね、
安倍昭恵を講師に呼ぶくらいだから、
高利貸しの老女を
醜いと判断するように
重度の知的障碍者を醜いものとして
その生を否定する考え方を
建前としては
否定されないようです。
仏教者として、
根本的なところで
「すべてのいのちは量りない(ママ)いのちと心でつながっている」
ということが
分かっていないのではないでしょうか。
思うに、
生産能力によって序列をつける考え方自体が
誤っているように感じます。
僕は、
ドストエフスキーの
「罪と罰」でなく、
シェークスピアの
「マクベス」
を思い出しました。
作中、魔女が言う、
「綺麗は、汚い。汚いは、綺麗」
なんですよ。
植松容疑者は、
ノーマライゼーションやメインストリームの
運動を
「綺麗ごと」だから現実に適用できないものとして
切って捨てました。
しかし、「汚い」と見える彼ら知的障害者たちって、
実際に接すれば、
とても綺麗なんです。
そこのところは、
特別な訓練がなくとも、
肌で分かるはずなんですよ。
然るに、
植松容疑者においては
それが見切れなかったというのが
彼の
介護者としての未熟さの現れであり、
現実を見ないためのごまかしだったと受け止めています。
「価値の反転」と言いますか、
そういう見方が
現代社会を救う鍵なんではないですかね。
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