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私が週刊文春の鳥越報道を「卑劣だ」と批判した理由 二極化・格差社会の真相
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2016年7月26日 日刊ゲンダイ 文字お越し
野党統一候補として出馬した鳥越俊太郎氏(C)日刊ゲンダイ
「週刊文春」(7月28日号)の都知事候補・鳥越俊太郎氏をめぐる疑惑報道について、私は「しんぶん赤旗」(7月22日付)にコメントを寄せた。被害者とされる女性の証言もない、事実関係自体が曖昧な話を選挙の直前に記事化するとは政治的に過ぎ、〈非常に卑劣〉だと指摘したのである。〈保守的な編集姿勢も結構ですが、保守と権力のイヌとは違うはずです〉とまで述べた。「赤旗」では語りきれなかった思いを補足しておきたい。
まず、私は今回の都知事選での野党共闘に納得していない。鳥越氏がどうこうではなく、石田純一、古賀茂明、宇都宮健児の各氏を道化にした身勝手な稚拙さに腹が立つ。隠れ安倍シンパが蠢く民進党はもちろん、そんなものに引きずられた共産党や社民党にも失望した。つまり文春への怒りは私自身の投票行動とは無関係である。
また、鳥越氏サイドの人々は疑惑そのものを矮小化しがちだが、この点は留保するしかない。いいかげんな与太記事では何も分からないからだ。
ジャーナリズムがあの手のネタを扱う場合、慎重な上にも慎重な姿勢が求められる。被害者本人の証言だけでも足りない。可能な限りの裏取りが必要なのは、この世界に生きる者の常識ではないか。
にもかかわらず、「週刊文春」は――。
週刊誌はゲリラなので、面白ければ何でもアリが原則だと、私も思う。たとえ選挙期間中であろうとも、だ。だが、「ただし徹底的に取材したならば」が、文春ジャーナリズムの神髄だったはずなのに。
産経新聞系の「日本工業新聞」が社会人生活の振り出しだった私は、その後、1980年代の6年間余を「週刊文春」の記者として過ごした。取材や執筆の技術もだが、ジャーナリスト魂を叩き込んでもらった恩は死んでも忘れない。文春は反動的だとの批判は当時もあったけれど、中にいると自由で柔軟で、かつ鷹揚さにあふれた、私には本当に誇らしい職場だった。
だが近年の文春はどうかしている。権力に隷従しない者イコール“アカ”呼ばわりで、まるでネット右翼だ。一連のスクープにしても、甘利明・前経済再生担当相の事件以外はみんな芸能ネタ。安倍政権が夢見る1億総ポケモンGO化(幼児化・家畜化の意)を進める役目ばかりを果たしているようで悲しい。記者たちはこれでよいとでも考えているのだろうか。
あの素晴らしかった文春ジャーナリズムを取り戻してもらいたいと、心から願う。
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