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鈴木寛「混沌社会を生き抜くためのインテリジェンス」
【第44回】 2016年7月16日 鈴木寛 [東京大学・慶応義塾大学教授]
都知事選で考えたい「世論の専制君主化」が進む日本の危機
「世論の専制君主化」が進むなか、我々は来る東京都知事選で誰を選べばいいのか
こんにちは。鈴木寛です。
参議院選挙では野党も東北などで健闘しましたが、与党の圧勝で終わりました。18歳からの参政権が認められた初めての選挙でしたが、若者の投票率を見ると18歳は51.17%、19歳は39.66%で、18歳と19歳を合わせた投票率は45.4%でした。
説明責任を巡る
舛添氏とメディアの“ズレ”
さて、現在メディアを賑わしているのは、14日からスタートした東京都知事選挙です。「違法性はないが不適切」という政治資金の一連の疑惑により、舛添要一前都知事が都議会に辞職願を出したのが6月15日。そこからおよそ2ヵ月間、東京都は知事不在のまま行政を執り行ってきたわけです。
舛添前都知事が主張してきたように、政治資金の使途に違法性はありませんでした。それなのにここまで問題を追及された原因の1つに、メディアが要求する説明責任と舛添前都知事が果たそうとする説明責任にズレがあったことが挙げられます。
メディアが求める説明責任は「謝罪」でした。一方、舛添前都知事が果たそうとした説明責任は「説明」でした。私はこの認識のズレが最終的に辞任という流れに発展していったのだと思っています。舛添側に立つのであれば、ディベートに勝ち、コミュニケーションに負けたという判断となるでしょう。言い方を変えれば、法律に勝ち、心理ゲームに負けたということです。「違法性はないが不適切」という表現は、ある意味で問題の本質を突いていると言えます。
そして第一の権力である世論と対峙するには、法理ではなく、心理を学ばなければなりません。法の精神は「疑わしきは罰せず」ですが、心理は「疑わしきは罰する」に陥る傾向があります。心理的な判断で社会は動いていき、現在、世界中がその流れにあります。
その結果、政治すら具体的な課題解決のためにあるのではなく、政治ショーとして記号消費の対象になってしまっているのです。
ですから、政治家のみならず、企業経営に携わる人は、対マスコミ・世論を考えるときに、弁護士や会計士といった法的・事務的な顧問だけでなく、社会心理に精通したアナリスト、言うなればコミュニケーションオフィサーも必要だということです。法理だけでメディアと対峙すると“マスゾエる”ことになってしまう。これが一連の舛添事件の教訓ではないでしょうか。
政治が問題を解決できない時代
新しい公共の担い手に期待する
政治がメディアを通じて消費者によって消費される“話題”になり、問題解決のための力を失っている中で、私たちは選挙で誰を選べばいいでしょうか。トクヴィル、J.S.ミル、ハンナ・アーレントの言う “世論という名の専制君主”に対峙するということは、ある意味で先の読めないギャンブルのようなものです。1日で風向きが変わり、これまでの価値観が一変してしまう。政策や統治の連続性がなくなってしまい、問題解決に向けた取り組みは、突然ゼロやマイナスに変換され、正常な統治ができなくなる。
残念ながら、現在はそういう社会になってしまっています。
しかし社会には、個人の力では解決できない問題が無数にあり、放置するほど状況は悪化していくのです。たとえば、貧困や地域間の格差、公教育の劣化、子どもや病人、障がい者、高齢者など社会的弱者への福祉、インフラの整備、災害への対応など、いくらでもあります。
政治が社会問題を解決できないこの絶望的な状況では、違う公益機能を再構築していく必要があります。その担い手として私が期待しているのが、現場で問題解決に長年取り組んできているNPOや公益法人などです。
社会の中には1つのテーマ、イシューに寄り添って、改善のために労を惜しまず、報酬が少なくとも汗を流す人たちがいます。役人は数年で配置転換され、政治家は世論の風によってコロコロと変わり、企業は経済状況の変化で方針が変化します。そんな移り変わりの激しい中で、1つの運動に取り組み続ける人こそが、この絶望の時代の公共の担い手であり、問題解決の希望なのです。
ただし、そうしたNPOだけではまだまだ小さいし、単独で社会全体の課題に対して十分機能を発揮できるわけではありません。そういう非営利の組織がネットワークし、行政や財界と協働して、一貫性のある問題解決ネットワークをつくる。それが政治が機能しない時代の公益機能ではないでしょうか。
今年の5月30日、「新公益連盟」という組織が立ち上がりました。これは約30の非営利団体やソーシャルビジネスを行う企業などを中心とした集まりで、「社会課題を解決する事業者が連帯し、支え合い、共に成長し、事業によって社会変革を起こすと同時に、政治や行政に共に働きかけ、制度変革へと繋げていくことによって、社会的排除や抑圧、貧困や不正によって苦しむ人々を救済せんこと」を目的としています。
この動きは、まさに新しい公益機能の再構築に当たると言えるでしょう。
世論が専制君主になった時代に
政治家をどう選べばいいのか?
選挙で掲げられるマニフェストは、そのときの“世論という名の専制君主”の意向に沿った政策であって、長年積み重ねられてきた声よりも優先されてしまう。たとえば、突然ある問題が大きくクローズアップされることで、その課題の充実がどの政党のマニフェストにも一様に掲げられるようになり、それ以外の重要政策などが脇に追いやられてしまう。結局マニフェストは似たり寄ったりになってしまい、判断材料にはなりません。
本来ならば、世論が大きくても小さくてもやるべきことがあるのに、選挙ごとに重要政策が変わってしまう。しかもその多くは、選挙が終われば忘れ去られてしまう程度の政策です。政治に公益機能が期待できない中で、私たちは何を軸にして政治家を選べばいいでしょうか。
その軸として私が提案するのが、問題解決に長年努力してきた人たちとどれだけネットワークを持っているか、です。
候補者の人的ネットワークを見れば、その候補者が何を重視しているか一目瞭然です。わかりやすい例で言えば、建設業界のパーティに参加したり組合の役員に名前を連ねたりしている候補者であれば、建設関係に偏った政策をとる可能性が高いでしょう。派閥や党とのつながりを強調するようでしたら、その組織の意向を強く受けるでしょう。また、貧困解決のNPOとの付き合いが長年あるようでしたら、その候補者が貧困問題の解決に取り組む可能性が高いと言えます。
つまり、政治家の人的ネットワークから、政治家の立ち位置を想像して選ぶという考えがこの先は重要になってくるのです。
今年から選挙年齢が18歳に引き下げられましたが、医学の進歩や平均寿命を考えれば、彼らはあと80年は生きていくことになります。残念ながら、これまで社会問題を解決するシステムとして求められてきた政治や行政、メディアは機能不全になっています。この絶望的な現実を直視した上で、若い人たちには弥縫策ではなく、新しい日本、公益機能をつくる勇気を持ってもらいたいと思っています。
新しい公益機能をいかにつくるか
江戸期に学ぶ「稼ぎ」より「務め」
実際に、多くのNPOのリーダーたちは40歳以下の若者が多い。彼らは仕事と公共活動の二足の草鞋をはきながら頑張っています。そういう若者たちがいるということは、社会の希望です。
江戸時代には、仕事には「稼ぎ」と「務め」があると考えられていました。「稼ぎ」とは賃金労働で、「務め」は共同体を成り立たせるための公共労働です。「稼ぎ」だけでは半人前で、「務め」を果たしてこそ一人前とされていたのです。
その「務め」には報われない活動もあるでしょうし、金銭を超えて得られるものもあるでしょう。そういう経験を積むことで、世の中には様々な価値観があることや答えは1つではないことが、実感としてわかってきます。
「稼ぎ」と「務め」の狭間で、ジレンマを抱え、葛藤し、板挟みになりながら、価値観の違いを乗り越えて多くの人と議論し、考えることで、問題解決の答えに近づいていけるのではないでしょうか。
そして、首長の資質というのは板挾みの中での決断力なので、都知事選ではそれがあるか否かを見てください。
情報が不確実な中で行うのが決断、必要十分な情報をしっかり集めて冷静に考えるのが判断です。首長が行うのは判断ではなく決断。特に、危機対応能力と未来投資能力と人事力です。顕在化している公益〔絵になること〕と顕在化していない公益〔絵にならないこと〕の板挾みが仕切れるか、現在のマイナスを減らす公益と将来のブラスを創造する公益の板挾みを仕切れるか、が首長選びのポイントです。監査、決算に強い監査役と不確実な状況下での決断をするCEOとが、役割が違うのと同じです。
参院選の結果は出ましたが、都知事選、そしてこの先にある選挙では、ぜひ決断力があり、「務め」を果たしている人や、そういう人とつながりがある候補者を見てもらいたいと思います。
http://diamond.jp/articles/-/95832
たくましい花 小池百合子
「今日はどうぞいじめないでくださいね」
『サンサーラ』という雑誌の1993年3月号で対談した時、国会議員になってまもない小池はこう言った。しおらしくして見せるのである。彼女にとって、そうしたしぐさはお手のもの。もちろん、演技は自然で、テクニックであるというような風情は微塵も見せない。
細川護煕と出会い日本新党から出馬
小池は最初、細川護煕がつくった日本新党から出馬したが、彼女を政治の世界に引き寄せたのは『朝日新聞』のアフリカ記者として鳴らし、『朝日ジャーナル』の編集長もした伊藤正孝だった。小池はカイロ大学を出ている。そんな縁で伊藤と知り合ったが、伊藤は『朝日』の鹿児島支局で細川と一緒だった。伊藤の方が先輩である。
「細川と会ってくれないか」
トルコ風呂改称運動やエチオピア旅行、それに日本アラブ協会の再生などで、ずいぶんと世話になった伊藤に頼まれ、細川と会った小池は、そのまま、参議院議員への道を走り出すことになる。
考えあぐねて、ついに決意したことを夜更けの電話で伝えると、伊藤は、「ホッホー、そうか。やってくれるかあ。アッハーハーッ」と笑ったという。
その伊藤に小池は「製造物責任はとってくれますね」と念を押し、それから、迷った時には何度も夜中に電話をしてアドバイスを求めた。
伊藤は1995年に58歳で亡くなった。
多分、伊藤は細川と小池の“蜜月時代”しか知らずに逝ったはずである。亀裂後に相談したら、伊藤は何と言っただろうか。
「損失補填を受けた局に取材に行きました」
私は小池がテレビ東京の「ワールド・ビジネス・サテライト」のキャスターをしていた時、何度か会った。なかなかにスルドイことを言う。
証券スキャンダル発覚の渦中に、一晩でテレビ朝日、テレビ東京、そしてTBSをまわる羽目になったことがあった。彼女の番組を中座してTBSに行った。
あとでVTRを見たら、彼女は、「サタカさんは損失補填を受けた局に取材に行きました」などと言っていた。
『サンサーラ』の対談をした後に、彼女は衆議院に移ることになったわけだが、その選挙戦が始まろうとする時に、彼女の秘書から電話が来た。
「応援してもらえないか」というのである。のちに紹介する私の日本新党批判はまったく彼女に通じなかったらしい。
私はムッとしながら、同じ選挙区からは誰が立つのか尋ねてしまった。その時点では知らなかったからである。
「土井たか子さん」
「それじゃダメだ」
その前に、日本新党の彼女を応援できるか、と断ればいいのに、いつのまにか同じ選挙区からはと聞いてしまう自分の甘さに、電話を切った後で歯がみした。しかし、彼女はもちろん、秘書もなかなかにしたたかで、そこまで引っ張られてしまうのである。多分、彼女は私が隠れもなき土井シンパであることを知っていて頼んできたに違いない。
私は対談で「新しい政治家募集」という日本新党の広告を問題にした。
「闇献金を受け取らない人、堂々と嘘をつけない人、暴力団と関わりのない人、政治は力・力は数と思わない人……」など8つほどのスローガンが掲げられているが、半分に「ない」がついていて、ないないづくしではないか。そう尋ねると小池は苦笑いしながら、「そうですか?私たちは既成政治の否定から始まったので、どうしても『ない』になっちゃうんですよ……」と答えた。
「小池さん、こういうの好み?」と追及すると、彼女はとまどいつつ、「うーん。でも『政策がない』とか『やる気がない』というようなことは書いていないでしょう……」と受けたので、「いや、そこまでは言ってないよ、俺は。でも、そういうのは問わず語りと言うんだよね」と決めつけると、彼女は、「だから、『ない』の種類が違うんですよ……」と逃げた。
逃げ巧者・小池は都知事選で一番になれるか
あれから二十余年。小池の逃げ方はもっと巧みになっただろう。
当時、小池は国会議員になって楽しいと言った。時代の変わり目、その変化を肌で感じるからだという。
「とにかくエキサイティングでクリエイティブですよ。もっとも収入が激減してヒーヒー言ってますけど」と笑った。
「そんなに激減した。今は清貧なんだ」と受けると、彼女はこう告白したのである。
「イエス。でも私は『政治改革モルモット』なんです。月々どれくらいかかるのか、みんなに知ってもらおうと思っているんです。何をして、どういうことにお金がかかって、またどういうことをもっとしたいのかを発信したい。今は政治家の自業自得というか、ギュウギュウギュウギュウしめつけばっかりでしょ?やっぱりお金がかかるところはかかります。電話代だって人を雇ったって、お金がかかるんだもの」
そんな彼女に、「どう、日本新党でいけそう?」と尋ねたら、「ええ、おもしろいと思います」と答えていたのだが、彼女はまもなく、細川と別れて、小沢一郎の側近となる。
そして、山口敏夫の息子の結婚式で、小沢と一緒に「瀬戸の花嫁」をデュエットしたのである。
♪若いと誰もが、心配するけれど
忘れられた政治家の山口も今回、都知事に立候補するのだから、縁は異なものと言うべきだろう。
細川、小沢、そして小泉純一郎と名だたる男たちの小池はブレーンとなった。側近の女と書くと別の意味になるが、その処世術には舌を巻く。もちろん、政党も渡り歩いた彼女に私は、「私はいま、どこの党かと秘書に聞き」という川柳を引いて皮肉ったこともある。しかし、ひとつの能力というか、才能ではあるだろう。
2010年春、小池は自民党の広報本部長のまま、参院選対本部の本部長代理になった。野党だった自民党の総裁は谷垣禎一。
小池は自民党らしくないもの、自民党の匂いのしないものがいいとして、キャッチコピーを「いちばん」にした。
今度、彼女は都知事選で一番になれるだろうか?
http://diamond.jp/articles/-/95392
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