。____________________ 「 低強度戦争 」__総論講義 ____________________ 。 第一部/「傀儡シンパ育成」 ____________ < 松下政経塾とPHP運動 > ”松下政経塾の原点は、共産主義から自分の企業を守るにはどうしたらいいかを真剣に考えた松下幸之助が、アーノルド・トインビー ( 007で有名なイギリスの諜報機関MI6の創設者でもある ) にその研究委託をしたところ、ロックフェラー系の研究所の指南・報告を受けて、MRA ( 道徳再武装 ) に加わるようになったことにある。松下はこのPHP理念でもって、企業と激しく対立する共産主義系の組合活動家たちを押さえ込んだ。 "MRAによる日米間の文化交流プログラムは、国防総省やCIAの秘密のミッションの隠れ蓑にもなっていた。CIAのエージェントで、レバノンやベイルートで長くビューローチーフを務めたマイルス・コープランドJr. ( ロック・グループPOLICEのスチュワート・コープランドの父 ) の著作によれば、MRAは明確にCIAのコントロール下にあったという。 70年代以降、日米間の複雑に入り組んだネットワークの中枢を担ったのが、MRAの本部も兼ねていた日本国際交流センター ( JCIE ) だった。JCIEは、デヴィッド・ロックフェラーが委員長を務める日米欧委員会 ( 三極委員会=トライラテラル・コミッション ) の事務局を兼ねており、日本におけるロックフェラー財閥の代表機関になっていた。JCIE理事長の山本正は、「 ロックフェラーの日本秘書 」とも呼ばれ、一時期は「 全ての事が山本を経由する 」と言われるほど日米間のパイプを押さえていたという。デヴィッド・ロックフェラーやヘンリー・キッシンジャーをファーストネームで呼ぶことができる唯一の日本人とも言われた。 "占領が終わり、日本人の海外渡航許可が容易に得られるようになると、米日間の文化交流プログラムという概念が通用するようになった。しかし、冷戦の真っ只中でもあり、「 交換グループ 」の中には「 文化交流 」という名目で秘密の活動をしているものがあまりにも多かった。そうした策略の一つが、 道徳再武装運動( MRA )だった。主に右寄りのアメリカの実業家が後援する反共の擬似宗教であるMRAは、過去および将来の日本の指導者たちを ( ときには国防総省やCIAから特別待遇を受けて ) アメリカや西欧への官費旅行に招待し、外国の指導者に引き合わせ、労使調和と反共について説教を吹き込んでいた。日本のMRAは、権力回復に野心を燃やしていた戦争中の異端者などに公開贖罪の場を提供した。 MRAの大物の一人が、グルーの古くからのゴルフ仲間でもあった岸信介だった。60年代と70年代に、岸は他の悔悟者とともに、派手に宣伝されたMRAの国際会議で空涙を流した。日本では政治家だけでなく、実業家もMRAを支持した。とくに三井本家の弟の三井高維がそうだった。品がよく英語に堪能な三井は、MRAの創設者フランク・ブックマンを支持する欧米の裕福な人々のあいだに多くの友人がいた。占領期間中、MRAの会員には、一般の人たちよりずっと前から海外旅行が許可されていた。 松下幸之助は、戦後GHQより財閥指定を受けており、財界の活動が出来ない状態であった。( GHQによって「 松下は財閥 」と判定され、松下電器が「 制限会社 」に、松下家が「 財閥家族 」に指定された ) その指定が他の財閥に先駆けて、解除されたのは、熱心な陳情によるものだけだったのだろうか。このときCIAなどと交換条件の取引があったのではないか、というのは自然な道筋になる。こうした取引は、児玉誉士夫 ( 右翼運動家、黒幕。暴力団 )、 笹川良一( 政治運動家、右翼活動家、社会奉仕活動家 )、岸信介( 自由民主党 政治家 ) などなどの例もあり、状況証拠として他に考えようがない。 政経塾を作った松下幸之助の想いは、国家、国民の生活ではなく、事業を有利にするための人々の洗脳をどうするかにあった。松下政経塾は、資本主義の企業に都合の良い政治家を養成することが目的であり、国家、国民の生活を第一にしたものではない。 米国の日本支配は、CIA( アメリカ中央情報局 ), CSIS( 米戦略国際問題研究所 ) を経由して行われているという指摘があるが、松下政経塾はその日本での下部組織( 受け皿 )に近い。松下政経塾とその出身者の甘い罠には注意が必要だ。 。
第二部/「低強度戦争」 ____________ < 米国の軍事支配戦略〜出来るだけ軍事力を使わず「低強度戦争」で日本を支配 > 「 低強度戦争 」は、21世紀現在、アメリカが世界中で展開し、今後も、米軍の軍事戦略の中枢をなす「 戦争の方法 」となっている。 ベトナム戦争以後、アメリカは「どうしたらアメリカに逆らう国が無くなり、大規模な戦争を避けられるか」という戦略を練り上げた。モデルになったのは日本であった。 その戦略は、 その1/アメリカを絶対に支持し、アメリカに服従する政党と政権を他国に成立させ、そのための資金をアメリカが提供する。 その2/この買収資金は、アメリカの税金ではなく、他国でアメリカが麻薬を密売した利益を提供し、アメリカが経済的負担を負わない方策を取る。 その3/マスコミ操作を通じアメリカが常に「善」であると他国の市民を洗脳し、アメリカを批判する言論をマスコミに「登場」させない。アメリカ映画、音楽を大量に流し、アメリカが「すばらしい」国だと連日宣伝する。 その4/学校教育においては、丸暗記中心の学校教育で思考能力を奪い、アメリカへの批判能力を奪う。 その5/教師への絶対服従を学校教育で叩き込み、「強い者=アメリカへの絶対服従」を「子供の頃から身に付けさせる」。 その6/逆らう言論人、ジャーナリストは、そのジャーナリストのセックス・スキャンダル等をマスコミに流し失脚させ、必要であれば軍の諜報組織を用い、事故に見せかけ殺害する。 その7/他国の食料、エネルギー自給を破壊し、米国に依存しなければ食料、エネルギーが入手出来ないようにシステム化し「 米国に逆らえないシステム 」を作る。 こうした支配戦略をアメリカは「 低強度戦争 」と名付け、出来るだけ軍事力を使わない「 ソフト・パワー 」で支配する「 戦争 」と位置付けた。 この「 低強度戦争 」の最も成功した例が日本である。これは、日本支配のための「 軍事戦略であり戦争であった 」。 この戦略に沿って、行われた日本の食料自給率の低下は、明らかに、アメリカからの食料輸入の圧力が原因であった。 日本が、アメリカを経由せず、独自にインドネシアからの石油供給を実現しようとした時、その中心に居た首相・田中角栄はスキャンダルによって失脚したが、アメリカ議会が、そのスキャンダル・ワイロ問題を「 暴露 」していた。 日本の食料自給率の低下、エネルギーの米国依存は、米国の「 軍事戦略 」であった。 本書では、この「 低強度戦争 」が日本を始めとした、世界中で展開された「 軍事作戦 」であった事が明言されている。 南米のチリでは、米国に逆らったアジェンデ大統領をCIAが軍隊を送り込み、大統領の体に銃弾を乱射し殺害した事実を、この著書の中で「 CIA自身が認めている。」 コルコは、国防総省で賞賛されるベトナム戦争の専門分析者であり、コルコの経歴から「 低強度戦争 」がベトナム戦争での米国の敗北から導き出された戦略である事が分かる。 「 戦争になる前に米国に反対する人間達を抹殺する 」、これが「 低強度戦争 」である。 著者ガブリエル・コルコの妻ジョイス・コルコは、その著書 「世界資本主義の危機」(岩波書店)、 「世紀末恐慌と世界経済」(世界思想社)、 の中で、今後、世界規模で「 国家破産 」の到来が、不可避である事を分析している。 日本のように銀行預金、年金、生命保険の大部分が、ドル資産で運用されている国では、近い将来、市民は、その全財産を失う事になる。 こうした 恐慌 = 国家破産 により生活が破壊された市民達が「 もっと生活しやすい世の中を作ろう 」と動き出した時、それを封殺するために「 準備 」され、また既に実行に移されているのが、この「 低強度戦争 」である。 。
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