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元記事http://blog.livedoor.jp/donnjinngannbohnn/archives/1906289.html
参院選が終わった。選挙期間中、失望することがあったので、記すことにする。小さな出来事だが、世界を覆う大きな動きにまるで無頓着な運動員らの姿勢に、もはや応援取材する気がうせてしまったからである。
その日は午後、遅い昼飯を食おうと、繁華街のある駅前に向かっていた。と、聞き覚えのある声が聞こえてくる。某野党の現職議員が演説していた。候補者が私に気付いて近付いて来る。知り合いのビデオ配信者もこちらに手を振ってくれた。
私は応援の意味で、とっさにかばんから取材ノートとコンパクトカメラを取り出して記録し始める。しばらくすると、しゃがんでメモを取っている私は肩をたたかれた。私鉄企業の子会社の警備員である。
「ここは集会は禁止されています。立ってください」
私は激憤した。民衆管理計画の一環として雇われていることも自覚しない警備員を平素から軽蔑している。しかし、私は長年の習慣で思うことが言えない。
「…それは承服できません。何のための広場ですか」
駅の敷地内には、演説を聴く市民が20人ほど立っている。私の隣には、ビデオ配信者の知人が座っているし、逆側にはどこかのテレビ局がカメラを回している。私だけ注意を受けたのは、弱そうに見えるからかもしれない。
私よりさらにとつ弁らしき警備員が消えると、やがて候補者の秘書か運動員と思われる中年男女が現れた。
「座られると困るんです。演説できなくなるので」
驚いた。警備員に同調している。少なくとも世の中を正そうと政治に関与しているはずの彼らは、自分が何と闘っているか分からないのである。TPP参加を打ち出しながら、国会前の反安保デモを見て喜んでいた菅直人と同じではないか。私は言葉の詰まりを力で押しのけ、口を開いた。
「あなたたちは、何と闘ってるんですか。戦争法を敷く本当の狙いは、こうした小さな自由の弾圧にあるんじゃないか」
「困るんです。とにかく、歩道の方に移動してください」
男が私の腕をつかむ。対話のできない彼らに失望した。
「説明になっていません。それなら、テコでも動きませんから」
逮捕されても構わないと思った。警備会社は警察の下請けだ。皆さんはにわかに信じ難いかもしれないが、こうした些細な規制が民衆の心を隷属させるために実施されているのを知っているからである。こういうことを許していると、いずれ自分の考えを述べることや、集まることも禁止される。
警備員はこの15年間に激増した。製造者責任を問う事故報道のキャンペーンの結果であり、警備会社は警察官僚の天下り先になっている。ただし、これは世界的な現象で、明確な計画に基づいて実行されていると考えるべきである。
英国では「市民執政官」制度を導入し、警察の職務権限を市民に代行させ始めている。代行するのは、警備員や駐車監視員、CCTVオペレーター、公園管理人など。ほとんど職業訓練もなく、身元調査も経ない人間が、車を止めたり、罰金を科したり、人々の写真を撮ったり、財産を没収したり、氏名と住所を尋問したりできる。
例えば、路上にゴミを捨てた者が国家の代理人である彼らに氏名を告げるのを拒否すると、写真撮影され、指名手配犯のように地域の新聞に写真が掲載される事態にまで至っている。無学で粗暴な彼らに権力行使の権限を持たせるのは、まさに「気違いに刃物」の形容がふさわしい。
すでに世界は、規制でがんじがらめになりつつある。差別用語禁止を名目にした言葉狩りは、ヘイトスピーチの創造と宣伝により強化されている。酒気帯び運転やシートベルト不着用に対する罰則強化、駐輪違反の摘発、ゴミの分別や冷暖房の温度設定のほか、言動がセクハラやパワハラに当たらないか、人々は細心の注意を払って日々を過ごすようになっている。これはわが国も同じだ。
監視を強化する口実は、振り込め詐欺や痴漢、事件捜査など数あるが、最大のものはテロと戦争である。「不審物や不審な人を見かけたら、すぐに車掌または駅係員にお知らせください」と終日連呼することで、腕組みして民衆の流れを凝視することができる。
大衆の心理操作は、電気ショックなどの虐待により行動を操縦された実験室のラットの迷路学習と同じ方法で展開される。「間違った」経路に行くとショックが与えられ、間違えることがなくなるまで継続される。そして最後にはショックを与える機器が撤去されても間違えなくなる。
どこに行っても、何をしても、規制、規則、指示、命令がつきまとい、やけを起こして少しでも盾突けば、「反政府グループ」とみなされる。こうした支配がインチキだと主張すれば、「陰謀論者」の烙印を押されるのが落ちだ。人々が敗北を認め、支配構造に力を明け渡すならば、処罰の恐怖から解放される。それは権力への服従を意味する。
ジョージ・オーウェルの『1984』によれば、戦争の本当の目的は、戦闘で人を殺すことではなく、本土の国民を弾圧することにある。その意味で、実際に交戦している必要はなく、スタジオ取りでも、CGでも効果は同じだ。オーウェルは漸進的社会主義運動を進めるフェビアン協会との交わりから、作品の題材を得ている。
駅前で演説していた野党候補は「戦争法反対」を一生懸命訴えている1人である。その活動を支えたいなら、私鉄とはいえ駅前広場から民衆を排除しようとする警備員の行動に抗議しなければ本末転倒ではあるまいか。
候補者の認識は分からないが、秘書や運動員はこんな意識でどんなに汗を流しても、自らを「鉄の檻」に押し込めるだけである。
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