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いまさら聞けない「憲法9条と自衛隊」〜本当に「憲法改正」は必要なのか?憲法学者・木村草太が現状を読み解く
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49041
2016年07月02日(土) 木村草太 現代ビジネス
文/木村草太(首都大学東京教授)
前編【憲法学者・木村草太が各党の「改憲」マニフェストを読む】はコチラ
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49029
■憲法9条と自衛隊
次に、憲法9条について考えてみよう。
改憲勢力である三党(自民、公明、おおさか維新)の選挙公約では、憲法9条改正が積極的に提案されているわけではない。しかし、論壇では、自衛隊合憲論は、「分かりにくい」から国民が「理解しやすいように」改憲しようとか、憲法の文言からすれば自衛隊違憲が「素直」で「自然」な解釈だから改憲しようという主張をする人もいる。
では、これをどう評価すべきだろうか。また、自衛隊合憲論は本当に「分かり難く」、自衛隊違憲論が「素直」で「自然」な解釈なのか。
まず、憲法9条2項は「戦力は、これを保持しない」と規定する。これを読むと、防衛のためであっても、「戦力」を使った武力行使が禁じられるように見える。
他方、憲法13条後段は、「国民の生命、自由、幸福追求の権利」は「国政の上で最大限尊重される」と定めている。この「文言を素直」に読む限り、日本政府は、犯罪者やテロリストからはもちろん、外国からの武力攻撃があった場合も、国民の「生命」や「自由」を保護する義務を負っている。外国の武力攻撃を排除するには、外国に対する実力行使すなわち武力行使が必要になる場合もあろう。
そうすると、外国からの武力攻撃の場面では、憲法9条(戦力による武力行使の禁止)と、憲法13条(国民の安全を保護する政府の義務)が、緊張関係に立つ。では、日本が武力攻撃を受ける場面で、どちらの規定が優先されるのか。
この点、憲法の条文同士が衝突しているわけだから、「憲法の文言」は決定打にならない。それぞれの帰結を分析し、どちらの方が実質的に正当化できるかを考えることになる。
常識的に考えれば、外国からの侵略から国民を保護するのは、政府の最も基本的な任務である。したがって、「憲法9条により、憲法13条の国民保護義務は解除される」と解釈するのは、つまり、テロ対策はするが外国軍の攻撃は甘受すべきと解釈するのは、かなり「不自然」な帰結を招く。
そこで、政府は、外国からの武力攻撃の場面では、憲法13条により憲法9条の例外が認められると解釈してきた。自衛隊は、憲法9条2項に言う「軍」や「戦力」ではないという議論も、自衛隊が憲法13条で認められた範囲を超える武力行使を任務としない組織だという意味である。
このように、日本への武力攻撃を排除するための武力行使、つまり個別的自衛権の行使については、それを合憲だと説明できる。しかし、昨年問題となった集団的自衛権の行使は、憲法13条では説明できない。
集団的自衛権は、外国からの要請に基づき、その外国の防衛を援助する権利である。憲法13条は、国民の生命・自由・幸福追求の権利の保護を義務付ける規定であり、外国の防衛を義務付けていないから、集団的自衛権の根拠とすることはできない。
■国民の多数が支持する従来の政府解釈
では、こうした解釈は、国民にとって理解しにくいものだっただろうか。データを見る限り、個別的自衛権の行使に限り、武力行使を合憲と評価する従来の政府解釈は、広く国民に受け容れられていたように思われる。
まず、国民が自衛隊を必要だと考えているのかどうかを確認しよう。
内閣府の世論調査(平成27年1月に実施された「自衛隊・防衛問題に関する世論調査」)によれば 、現状の自衛隊について、「よい印象を持っている」と回答した者は92.2%。自衛隊の防衛力について、「増強した方がよい」と回答した人が29.9%、「今の程度でよい」と回答した人が59.2%で、現在の自衛隊の防衛力について肯定的に捉える人は、合わせて89.1%に上っている。要するに、大半の国民は、自衛隊が必要だと答えている。
もしも、自衛隊必要派が多数であり、かつ、自衛隊を違憲と考える人が多いなら、憲法9条改正派は多数派になるはずである。しかし、今年の憲法記念日前後に行われた世論調査によれば、憲法9条の改正に反対する者の方が多い。
例えば、毎日新聞が2016年4月16・17日に行った調査では9条改正について、反対52%に対し賛成27%となっている。他の報道機関の調査でも、概ね同様の傾向が出ている。
他方、集団的自衛権の行使を合憲とする解釈は、世論に支持されなかった。昨年6月20日〜21日に実施された共同通信の世論調査では、56.7%が安全保障関連法案は「憲法に違反していると思う」と回答している。
以上をまとめると、集団的自衛権の行使は違憲だが、個別的自衛権を行使するための自衛隊は必要であり、かつ、憲法9条の改正は必要ない――と考えるのが、国民の多数派である。
これは、多くの国民が、個別的自衛権の行使は憲法9条に違反しないと考えていることを意味している。従来の政府解釈は、広く国民に支持されていると言えよう。
長谷部恭男・早稲田大学教授が、集団的自衛権行使容認に踏み切る以前の政府解釈は「機能する解釈」だったとするのも(「藤田宙靖教授の『覚え書き』について」(同『憲法の理性』補章U)、そのような趣旨だろう。
そうすると、「憲法13条で、憲法9条の例外が認められる」という解釈は、憲法の文言の「素直」な理解であり、帰結も「自然」である。また、多くの「国民の理解」もある。
もちろん、特殊な解釈技法を駆使したり、絶対平和主義の道徳を至上の価値と位置付けることを前提にしたりして、憲法9条を優先させる解釈をすることもできなくはない。
しかし、それは、かなり不自然で技巧的な解釈であり、国民が理解しやすいものでもない。要するに、自衛隊違憲説の方が、「不自然」で「国民に分かり難い」解釈である。
「憲法を素直に読めば自衛隊は違憲だ」式の論壇の議論も、憲法の素直な解釈をしているわけでなく、意識的・無意識的な絶対平和主義の道徳へのコミットメントや、単に日本国憲法の悪口を言いたいという気持ちから導かれた議論なのではないか。
というわけで、自衛隊の合憲性を明確にするために、憲法9条を改正する必要はないだろう。
もちろん、集団的自衛権や国連軍・多国籍軍参加を解禁するためには、憲法改正が必要だが、先ほど指摘したように、そうした改憲には反対の声が国民の間には強い。政党の側もそれを十分に理解しているのだろう。今回の選挙の各党の選挙公約にも、そうした改憲に積極的な記述はほとんどない。
■解散権の制限を議論すべき
ここまで各党のマニフェストや自民党改憲草案を検討してきたが、そこに現れなかったもので真剣に考えるべき改憲提案が、衆院解散権の制限である。
現在の運用では、内閣はいつでも衆議院を解散でき、いわゆる7条解散を広く認める運用となっている。しかし、内閣に自由な解散権を委ねるのは、世界標準に照らして一般的ではない。政権与党に有利なタイミングを選んで行う党利党略解散など、解散権の濫用が横行するからだ。
このため、日本と同じ議員内閣制を採るドイツやイギリスでは、解散権に制限をかけている。例えば、ドイツ連邦共和国基本法では、連邦首相が連邦議会を解散できるのは、首相が提案する信任決議を議会が否決したときだけ、と規定されている。
また、イギリスでは、与党に有利なタイミングでの解散が横行したことの反省から、2011年に議会任期固定法が成立し、議会の広い合意があるか、首相の不信任決議が成立したときを除いて、下院を解散できないとされた。
この点、日本でも、解散権の濫用が指摘されることが増えてきている。小泉郵政解散は、「参議院」で法案が否決されたから、「衆議院」を解散するという筋の通りにくいものだった。
2012年末の野田内閣による解散も、民主党は選挙で大敗したものの、いわゆる第三極の選挙準備が不十分なうちの解散という面があったと指摘されている。あるいは、2014年末の安倍内閣の解散も、その理由がはっきりしないものだった。
こうした解散権の濫用について、現行憲法の解釈で、それに歯止めをかけようとする主張もある。例えば、石川健治・東京大学教授は、2014年末の解散については、端的に解散権の濫用として「違憲」と評価すべきとしている(「環境権『加憲』の罠」樋口陽一・山口二郎編『安倍流改憲にNOを!』岩波書店所収)。
憲法学の世界では昔から、解散権の濫用を防ぐべく、解釈上の提案をしてきた。憲法の教科書を見る限り、7条解散を無制限に認めるものはほとんどない。69条解散に限定するか、国民に直接信を問う必要があるほどの緊張状態が生じた場合に限定する説が一般的だ。
しかし、そうした提案が権力者に受け入れられず、不適切な運用が続くのであれば、ドイツやイギリスのように、解散権の濫用を制限する憲法規定の導入しようと提案されることもある。もちろん、実際改憲となれば大事だから、提案の是非は慎重に吟味されるべきだ。
しかし、ここ数年の解散権の行使状況を見ていると、憲法改正を含め、議論をする時期が来ているように思う。
■日本のメディアの悪癖
このように、憲法改正と一口にいっても、様々なテーマがある。それらを一括りにしてしまうのは、日本のメディアの悪癖である。
放送時間や紙幅の制限があるのは十分にわかる。しかしながら、巷に流布する俗説に基づいて、「改憲に賛成ですか」、「自衛隊は違憲だと思いますか」などと聞いても、あまり意味のある議論にはならない。国民とって意義のある議論にするためには、憲法改正については、正確な知識に基づき、きちんとテーマを分けて議論すべきだ。
「改憲勢力の議席」に関する報道も、「教育無償化改憲賛成派の議席」、「憲法9条改正賛成派の議席」、「解散権制限改憲賛成派の議席」などといった形で記述してくれないと、今何が起きているのか、正しく国民に伝わらない。
メディアがなかなか変われないのであれば、むしろ国民の側が、「そんな報道では意味がない」とメディアをリードするしかないのだろう。国民が変わればメディアも変わらざるを得ないのだから。
そういう意味では、文字数の制約があまりないネットメディアや書籍に期待している。もちろん、こうしたメディアには、厳しい事前セレクトがかからないことにより、「玉石混交」という難点がある。つまり、読む側に「良い情報」と「悪い情報」を見分ける力が必要とされる。
国民の皆さんには、しっかりと情報の真偽を見極めたうえで、テレビや新聞以外の情報にも十分に触れていってほしい。
木村草太(きむら・そうた)
1980年生まれ。憲法学者。首都大学東京大学院社会科学研究科教授(憲法学専攻)。東京大学法学部卒業。同助手を経て現職。近刊『いま、〈日本〉を考えるということ』(河出書房新社、編著)。主な著書に『キヨミズ准教授の法学入門』(星海社新書)、『テレビが伝えない憲法の話』(PHP研究所)、『憲法の創造力』『憲法の条件―戦後70年から考える』(NHK出版新書)などがある。
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