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多数決の結果は民意の反映か 坂井豊貴氏
毎日新聞2016年6月16日 東京朝刊
「勝てば正しい」は間違い 慶応大教授・坂井豊貴氏
参院選が22日に公示される。結果次第では選挙後に憲法改正の発議や国民投票がある可能性もある。これらは全て多数決で決められる。その結果が民意だとされているからだ。だが、それは本当に正しいのか。「多数決を疑う」(岩波新書)の著者、坂井豊貴・慶応大教授(40)に聞いた。【聞き手・尾中香尚里、写真・中村藍】
−−「多数決を疑う」必要性を訴えているのはなぜですか。
「選挙で勝った自分の考え方が民意だ」という政治家の言葉を、よく耳にするようになったからです。選挙に勝ったというだけで、政治家が自分のやることを全て正当化するのは、大変危険なことだと危機感を持っています。
選挙では候補者や政党が、複数の政策を「抱き合わせ」で訴えます。AさんとBさんが争い、Aさんが勝つとします。しかし、同じ選挙で個々の政策ごとに多数決をとったとすると、全ての政策でBさんの政策が選ばれ、実現する政策が正反対になり得る。これを「オストロゴルスキーのパラドックス」==と呼ぶのですが、数学的にはこんな可能性が実際に生じます。ある政治家が勝ったからといって、彼の政策が有権者から支持されたとは限らないのです。
−−多数決にはどんな問題があるのですか。
多数決というと、いかにも多数派の意見が尊重されそうです。だから「少数意見も尊重せよ」と言われるのですが、そもそも多数決が本当に「多数派の意思」を尊重しているのかというと、極めて怪しいのです。
致命的な欠陥として、多数決は「票の割れに弱い」点が挙げられます。2000年の米大統領選で、共和党のブッシュ氏と民主党のゴア氏が争いましたが、第3の候補・ネーダー氏が現れ、ゴア氏の票を食ってブッシュ氏が勝ちました。最近の国政選挙で野党候補が乱立し、野党側の票が多い場合でも与党が勝った例も同様です。
今回の参院選で、野党は1人区で候補者を一本化しました。好むと好まざるとにかかわらず、そうせざるを得ないのです。しかし、結果として選択肢が減り、有権者は細かな意思表示ができません。
また、全ての有権者から2番目に支持されている候補がいると仮定します。万人のための民主主義の観点からは望ましい候補ですが、この候補は多数決の選挙では1票も得られない。有権者は1位の候補しか選べないからです。
だから候補者は万人に配慮するより、極端な発言で悪目立ちしたり、特定の層への配慮やバッシングをしたりするようになります。候補者が悪いというより、制度が彼らをそうさせてしまうのです。結果として多数決が社会の分断を招きかねない。多数決は民主主義との相性が悪いのです。
−−では、憲法改正の発議要件である「3分の2以上の賛成」など、圧倒的多数の支持を求めている場合は、多数決の結果が多数派の意思を表したと言えますか。
50%より大きい可決ラインを求める多数決を「特別多数決」といいます。重要なことを多数決で決めるなら、次のようなことが起きないようにすべきだと考えます。
現行案Aと、代替案B、Cの3案があるとします。B案はA案より、C案はB案より人気があるが、C案よりA案の方が人気がある−−。これを「多数決のサイクル」と呼びます。じゃんけんの三すくみのような状態ですね。こうした状態が起きないようにするには、数学的には最低でも64%以上の賛成が必要とされています。
「3分の2以上の賛成で可決」は、ハードルの高さとして適切です。ただし、憲法改正について言えば、衆院では小選挙区制の導入で「地滑り的勝利」が頻発しており、「3分の2の賛成」は高いハードルではありません。一方、発議後の国民投票は過半数の賛成で可決。過半数とは投票で物事を決める時の最低ラインです。
つまり衆院の「3分の2」も、国民投票の過半数も、改憲のハードルとしては低い。改憲への実質的なハードルは、複数区や比例代表の比率が高い参院選だけなのです。その意味でも、今回の参院選はとても重要です。
−−多数決の弊害を緩和する仕組みはあるのですか。
私が推すのは「ボルダルール」という制度です。スロベニアの国会議員選挙の一部などで用いられています。これは、3人の候補者がいれば、1位に3点、2位に2点、3位に1点と加点します。このルールのもとでは、選挙で勝つためには多くの有権者から少しずつ加点した方が有利。先ほどの「全ての人から2位になる候補」は、かなり強くなります。
従来の多数決に決選投票を付ける方法もあります。自民党総裁選や、旧民主党の代表選で用いられています。死票を減らし、少なくとも多数派の意思をより尊重することはできます。
−−しかし現実に、多数決を用いた選挙制度は、日本だけでなく世界の多くの国で採用されています。多数決で選挙が行われるなかで、有権者や選ばれる政治家は何に留意すれば良いのでしょうか。
繰り返しますが、多数決は票の割れに致命的に弱い。勝った候補が有権者の多数派であるとは限りません。また、全ての有権者から2位にされる候補は勝てないことから分かるように、勝った候補が有権者の広い支持を得られているとも限りません。
そうであれば、道徳的な話になってしまいますが、権力の使い方には節度がなければなりません。権力を使う側には「節度を持つことが必要だ」という自覚を持つ必要があります。節度を持つとは、つまり「立憲主義的抑制を守る」ということです。多数派の力でやるべきではないこと、合法であっても権力の使い方として正しくないことについて、権力者は常に自覚すべきです。
有権者も、常に権力をチェックすることを忘れてはなりません。おかしな権力の使い方があれば、きちんと声を上げるべきです。
現行制度では、選挙から次の選挙までの間は、有権者には手続きとしての意思表示の機会がありません。ですから、投票以外の意思表明の場、例えばデモや言論活動などについて、参加はしないまでも、リスペクトする(敬意を払う)ことはとても重要なことだと考えています。
聞いて一言
「多数決を疑う」と聞くと「選挙結果を否定しているのか」と疑問を持つ人がいるかもしれないが、そうではない。選挙で勝ったことのみを錦の御旗(みはた)のごとく振りかざし、異論をねじ伏せる最近の政治への違和感の正体を、学問的に形にしただけなのだ。こうしたことを知っているかどうかで、選挙に対する私たちの構えも、多少変わるのではないだろうか。民主主義は社会を構成する万人のためのものであり、多数派だけのものではないことを、参院選を前に改めてかみしめたい。
■ことば
オストロゴルスキーのパラドックス
代表制(選挙で候補者を選ぶなど)と直接制(個々の政策を直接選ぶ)が正反対の結果を生み出すこと。オストロゴルスキーは19世紀末から20世紀初めに活躍したロシアの政治学者。
候補者AとBの2人が争う多数決選挙を仮定する。争点は財政、外交、環境の三つ、有権者は「一郎」ら5人=図。例えば「一郎」は財政と外交はA、環境はBを支持しており、総合的にAを支持する。ここで、候補者AとBのどちらかを選ぶ選挙を行うと、3対2でAが勝つ。だが、争点ごとにそれぞれ直接選挙を行ったとすると、全ての争点でBが勝つことになる。
有権者 財政 外交 環境 支持候補
一郎 A A B A
春子 A B A A
二郎 B A A A
夏子 B B B B
純 B B B B
多数決の結果 B B B A
■人物略歴
さかい・とよたか
1975年広島県生まれ。米ロチェスター大博士課程修了。専攻は社会的選択理論。横浜国立大、慶応大経済学部准教授を経て2014年より現職。著書「『決め方』の経済学」が近日刊行予定。
http://mainichi.jp/articles/20160616/ddm/004/070/025000c
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