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赤塚不二夫が語っていた戦争と差別…終戦時の満州で助けてくれた中国人、日本に帰って受けたイジメと差別(リテラ)
http://www.asyura2.com/16/senkyo207/msg/395.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 6 月 07 日 11:35:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

                    『赤塚不二夫120%』(小学館)


赤塚不二夫が語っていた戦争と差別…終戦時の満州で助けてくれた中国人、日本に帰って受けたイジメと差別
http://lite-ra.com/2016/06/post-2314.html
2016.06.07. 赤塚不二夫が語っていた戦争と差別  リテラ


『おそ松くん』をアレンジしたアニメ『おそ松さん』(テレビ東京系)のブームは、番組の放送が終了した今でもまったく衰える様子を見せず、また、タモリがエンディング曲を歌っていることでも注目されたドキュメンタリー映画『マンガをはみだした男 赤塚不二夫』も現在公開中。亡くなってから8年近くの時が経っても、赤塚不二夫は話題を振りまき続けている。

 人々が赤塚作品を愛し続けているのには、色々な理由があるだろうが、そのなかの一つとして大きいのが、彼のつくる物語の根底に流れる「優しさ」だろう。赤塚不二夫の担当編集をしていた武居俊樹氏は、赤塚不二夫『赤塚不二夫120%』(小学館)の解説でこのように綴っている。

〈小説家の井上ひさしが後に言っている。
「文部省が赤塚漫画を『道徳』の副読本にしないのは理解できない」と。
 ある意味で、赤塚の作品は道徳的だ。
 例えば、暴力シーンはいっぱい出てくるが、弱虫でチビのハタ坊がいじめられるシーンは決して出てこない。喧嘩も、対等か、強い者に逆らう時に起きている。チビ太が一人で六つ子に挑んでいくような時だ〉

 弱い者いじめはしない──赤塚作品で貫かれているこの姿勢は、彼の子どもの時の体験によってできあがったものであった。

 赤塚不二夫は、1935年9月14日、満州にある古北口という、旧満州国と中国の国境沿いの町で生まれた。父親は、特務警察を務めた後、奉天で消防分署の署長を務めていた。現地の中国人たちを監督する立場の人間である。尊大な態度を取り、徹底的に彼らを痛めつけたとしても誰からも文句は出ないし、実際にそうしている日本人はたくさんいた。しかし、赤塚不二夫の父の行動は、それとは真逆のものだった。

〈終戦直前におやじが奉天(現在の瀋陽市)の鉄西区の消防分署の署長になった。部下はみんな中国人。彼らがミスしたとき、朝の六時ごろ、籠に卵をいっぱい入れて持ってきたり、砂糖とかいろんなもの持ってくるの、謝りに。でも、おやじはぜったいに受け取らなかった。
「いらない、そんなもの。おまえたちが食べろ」って。
 ボクはまだ子どもながらも、なんか騒がしいなと思って起きて見にいったら、そうやってるわけだ、おやじと部下が。
 そしたらうちのおふくろが、「もらっとけばいいのに」。子どもたちに食べさせたいと思うわけだよ。そうしたら、おやじ怒った。「ふざけるな」って。
 そういうことがずっと続いていたから、終戦のとき中国人が、「おくさんお米あるかあ、砂糖あるかあ」って持ってきてくれて助けてくれた。
 学校では先生から、中国人を蔑視した教育を受けていたけど、ボクは学校から帰ってくると、おやじの部下の中国人の子どもたちと、官舎のまわりで犬コロみたいに遊んでいた。中国語で、みんないっしょになって生活してたわけだから、「おまえは日本人なんだからエリートなんだぞ」なんてことはおやじは言わなかった。だから、ボクは中国人に対して差別とかそういう気持ちをもったことはなかった〉(中国引揚げ漫画家の会編『ボクの満州 漫画家たちの敗戦体験』亜紀書房)

 物資の少ない状況下、赤塚不二夫の父だって、付け届けは喉から手が出るほど欲しかったはずだ。しかし、それを受け取ってしまえば、渡しにきた中国人たちが飢えに苦しむことになる。それを分かっていたから、頑として受け取らなかったのだ。また、赤塚不二夫の父にはこんなエピソードもあると言う。

〈砦には時々、さまざまな物資を積んだトラックが到着した。おやじはその物資をよく村人に分けていた。
「敵も味方も同じ人間じゃないか」
 何か見返りを期待したわけじゃない、こちらに真心さえあればそれは必ず相手に通じるはずだ──これがおやじの人間観だった〉(赤塚不二夫『これでいいのだ 赤塚不二夫自叙伝』文藝春秋)

 こういった行動は、実際に相手に伝わっていた。赤塚の父の首には当時の金額で2千円の賞金がかかっていたが、誰も父のことを密告したりはしなかった。どころか、敗戰の混乱時には赤塚家を周囲の中国人が守ってくれたのだ。

 そして、終戦後は、なにかと面倒を見てくれたり、日本人の集まっている安全な場所まで部下だった中国人たちが送り届けてくれたという。

 戦時中にいばっていた日本人のなかには、終戦の混乱のドサクサに紛れ中国人に惨殺された例もある。実際、近所の中田さん一家は戦中に恨みを買っていたため、殺されてしまったという。その話を聞いた当時の心境を赤塚不二夫は〈いつも部下の中国人を可愛がっていたおやじが、ぼくたち一家を救ったと思わないわけにはいかなかった〉(前掲『赤塚不二夫自叙伝』)と振り返っている。

 弱い者いじめをするのではなく、助け合って生きていけば、今度は自分が困ったときに助けてくれる。小学生の赤塚不二夫は父の行動からそのことを学んだのだという。

 しかし、小学校6年生のとき、引き揚げて母の郷里である奈良県の大和郡山で新しい生活を始めると、今度は「差別される」立場に置かれることになる。ほとんど戦災を受けることもなく、古くから住んでいる地元の住人ばかりの土地にとって、満州から引き揚げてきた家族は「よそ者」以外のなにものでもなく、冷たい扱いを受けたのだった。

〈ある時、配給があるから鍋持って集まれという回覧が回った。ぼくが鍋を持って行って並んだ。ところがぼくの番になったとき、
「あ、満州か、お前はダメだ」
 と断られた。あの時は悲しかった〉(前掲『赤塚不二夫自叙伝』)

 当然、学校でもイジメの対象となってしまうのだが、そんなとき、かつて父が現地の中国人に対して親切に接したように、イジメられている赤塚不二夫に親切に接してくれる人物が現れた。学校で番長を張っていた奥村という同級生の男である。彼との出会いはこのようなものだった。

〈僕は子供の頃から、絵が得意だった。「よーし、あいつが俺のこと、そんなにイジメるんだったら、漫画を描こう」って、藁半紙16枚くらいを糸で縫って、そこに鉛筆でマンガを描いたのだ。確か「寿司屋のケンちゃん」ってマンガ。その頃、お寿司屋さんなんか行ったことなかったのに、どうしてそんなマンガを描いたんだろう。それがわからない。でもとにかく、描いたわけだ。それを番長に、「僕の描いたマンガです」って差し上げた。番長はしばらく、パラパラめくって見てたよ。
「これ、ほんとにおまえが描いたのか?」
「ほんとです」
 それからみんなを集めて、
「いいか、今度なぁ、赤塚イジメたら、俺が承知しないぞ」
 って。それから見事に、イジメにあわなくなった〉(前掲『赤塚不二夫120%』)

 この後、奥村と仲良くなった赤塚不二夫は柿畑から柿を盗んで売り警察の厄介になるなど、数々の悪行に手を染めることになるのだが、そんな悪ガキの奥村は一方で、まわりから差別される立場の人間に対して優しい態度をとる一面もあった。イジメを受けている赤塚不二夫を助けた他に、こんなエピソードもあると言う。

〈クラスに一人、重度の小児マヒの子がいた。性格のとてもいい子だった。運動会の日がきたが彼は参加できない。窓から外を見ているだけだ。その日、ボス奥村はぼくに命じた。
「お前残って、あいつと一緒にいてやれ」
 しかたなくぼくも運動会に出ないで、二人で教室に残った。グランドではワーワーみんな楽しそうにやっている。窓からそれを見ている彼に、「面白いか?」と聞くと、嬉しそうに「うん」と答えた。
(中略)
 それにしても奥村という男も大したものだと思う。ただ体がでかくて腕っぷしが強いだけではなかった。ハンデを背負った友達の気持がわかり、ぼくに運動会を休んで付き添わせるという、教師ではできない対応をやってのけたのである〉(前掲『赤塚不二夫自叙伝』)

 このように奥村が面倒を見ていた子たちは赤塚不二夫の心に深く刻まれており、彼らが一緒に遊んであげていた当時3歳の男の子は『おそ松くん』に登場するチビ太のモデルにもなっている。

 父、そして、ガキ大将の奥村。彼らが見せてくれた、弱い者を守り、決して差別しない態度は、漫画家となった赤塚不二夫にも受け継がれ、それが赤塚作品の根底に流れる「優しさ」にもつながっている。

 周知の通り、先日、ヘイトスピーチ対策法が成立したわけだが、そんな法律をつくらねばならないほど、現在の日本社会は急速に寛容さを失い、多様性を認めることができない社会になりつつある。それは、赤塚不二夫が作品のなかで描いていた世界とは真逆のものであり、そのような社会になってしまったことは嘆かわしいことである。どんな人間も差別を受けなければいけない必然性などないし、社会はどんな人の個性も受け入れることができる多様性を持つべきだ。赤塚不二夫は生前、こんな言葉を残している。我々がいま、赤塚不二夫のマンガから学ぶべきことはたくさんある。

〈僕は、この世の中に「いい人」だけの人なんて、いないと思っている。同じように、「悪い人」だけの人もいない。世の中って、正しいことも悪いことも、美しいことも汚いことも、恵まれている人もハンディを背負っている人も、金持ちも貧乏人も、おバカも利口も、賛成も反対も、糞も味噌も、ぜーんぶごちゃ混ぜになってるのだ。それが世の中ってぇものだからね。それでいいのだ!!〉(前掲『赤塚不二夫120%』)

(新田 樹)

 

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コメント
 
1. 2016年6月07日 11:56:27 : 4PzJgQze0I : 8FwugtBbSd8[36]
どこの国だって「いいやつばかりじゃないけど、悪いやつばかりでもない」
当たり前の事ですけどね。

2. 2016年6月07日 12:47:58 : fkMWyBznm2 : 28oLhg_Bp3w[2]
全文赤塚絶賛で溢れている、敗戦時10才に過ぎない赤塚の自伝をもとに書かれているようだが、どこまで信用できるものか。
自伝なるものは客観的事実に照らさない限り全面的に採用出来ないのは自明だ。

3. 2016年6月07日 16:12:22 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[594]
>>2
>どこまで信用できるものか

すくなくとも、ネトウヨの言う事(都合のいい建前論)なんかよりも よっぽど信用できますがな
旧満州において日本人達が いかに不遜な態度だったか 私も伯父から直接 子供の頃に何度も聞かされた
この伯父も満州から命からがら 乞食同然の格好で引き揚げて 戦後も壮絶な苦労をしている

「満州では 一番偉いとされてるのが日本人 その次がロシア人 そして満人 漢人 一番卑しいのが朝鮮人だ」

実際にこうやって日本人の親たちは 子供たちに平気で教えていたと言うのだから
赤塚不二夫の体験とまったく同じである そして決して威張らなかった日本人ほど助けられたと言う話も
伯父から聞いた話と まったく矛盾はなく その通りであり 嘘など無い

そして
>全文赤塚絶賛で溢れている

って おいおい、この記事で絶賛されているのは 赤塚の親父と 同級生の奥村 ではないか
赤塚本人は何も絶賛されていないだろう テキトーな事言うな。


4. 2016年6月07日 16:55:27 : c8f0Yvxre6 : Swqp0N78y@o[6]

≫2 読解能力不足・国語点数1
お前さんは何歳だ?
≫敗戦時10才に過ぎない赤塚の自伝をもとに書かれているようだが

書いたときは「10才」ではなかろうが、

5. 2016年6月07日 17:24:54 : rrhrFN6JLd : C6EI10g_Gy4[850]
>>1当たり前が当たり前で無い世の中になってきているからヘイトスピーチなんぞがまかり通るんだ。平気で嘘をつく首相とか知事とか普通では考えられない。

6. 2016年6月07日 17:57:39 : 2ba1UeOS2E : 62OIab_eEe0[78]
>1どこの国だって「いいやつばかりじゃないけど、悪いやつばかりでもない」

だよね。
この意味あたりまえだけど深いと思う。
ある国の政治がどうだから国民がどうとも言えない。
そして
どこの国だって「いいやつばかりじゃないけど、悪いやつばかりでもない」
に戻ってくる。

戦争ダメ、差別ダメ、いじめダメ。


7. 2016年6月07日 18:47:33 : tHIVKuZsdo : _YgkBQOb_8U[859]
>>2
当事者から物聞いても「其れはおまえの創作だ」と真顔で言えちまう奴と見た。
人生や存在を全否定される気分、解るか? 解るまい。
それがおまえさんの知の限界だ。
井戸の中の空は狭かろう。
投げ入れられたゴミだけから外の世界を語れば其の世界がどういった物になるかも大体想像が出来る。
それがおまえさんの全てだ。

引揚者の孫より謹んで御見舞い申す


8. 2016年6月07日 20:13:37 : FtCj2nG7q2 : pu12QMN2j8g[10]
私などは4、5歳の頃からわりとはっきりした記憶があるが、友人などは(特に能力にも境遇にも問題がある人ではないのに)中学時代の記憶さえ曖昧だという。こうしたことは個人差が激しいものだ。私の友人のような人なら10歳の記憶が信じられないのも無理もないが、ある心理学者によれば、子供時代の出来事を覚えていられるのも一つの才能なのだという。子供を主人公にした漫画をたくさん描いていた赤塚さんなら、そうした才能は十分に持っていたかもしれない。

もちろんお父さんの記憶などは後からお母さんやその他の親族から聞いて補強された部分はあるだろう。だからと言ってこれらの話の信憑性が問われるほどのことではない。

赤塚漫画を読んで育った世代としてはこの文章に特に違和感はない。一作や二作ならともかく、膨大な数の作品群を残してその中に自身の人間観を残さずにいられる作家などいないから。


9. 2016年6月07日 20:16:52 : EcgyMlZgc2 : Y2TavsrAPhM[44]
天才っていうのは頭がいいだけじゃなく豊かな経験がないとなれないという見本ですね。

10. 2016年6月08日 00:12:55 : e215b3DsOs : oHsKCPiwWF0[130]
満洲帰りは日本のpied noirなのか


11. 2016年6月08日 15:29:30 : ZmIxQ3PkF6 : kXycXtaJD_U[257]
国策で
勇んで満州で一旗揚げようと故郷捨てて出て行った
人が多かったんだろう
その当時は「満州は日本のもの」という感覚だっただろうが
戦争に負けて帰ってきたんだから
帰ってきた人たちが悪者になっちまったんだねぇ
差別は同じ国の中でも簡単に始まっちまう。
なんとも情けないことだ

狭い日本!
そんなに差別してどうする?
仲良く暮らそうよ!

世界中の人間の元をただせば
アフリカの新人類から始まったんだ!
何万年もかけて世界中に拡散したのが
30000年前の「日本人」の始まり


12. 2016年6月08日 16:33:29 : GEn3TuYtQA : LFcerCcVZVI[304]

私の叔父(今は故人)も、過の有名な「満蒙開拓団農耕少年団員」として満州で農事教育を受けていた。

或る日、朝起きたら若い先生達が数人集まって泣いていた。

話を聞くと「校長・教頭」「軍事教官」「守備隊幹部」が自分達の家族だけを連れて本土に「夜逃げ」したとの事。(少年団員などは足手纏いに成る為、置き去りを決め、若い先生達の所謂アカに知られると反発される懸念が有ったと推測される)

最初纏って逃避行動していたが、逃げ回るうちに何時しかバラバラになったとの事。

本土に帰還した時は「まるでルンペンみたい」だった為、日本人の誰も助けてくれなっかたと言っていた。

数ヶ月経過しやっと私の家に辿り着き、其の後は普通の生活に戻れたが、若し辿り着かなかったら屹度グレて愚連隊か犯罪者になってたろうとも言っていた。

ただ叔父は私に「人には出来る限りで良いから親切にしろ」と何時も言っていた。
非常に厳しい人で私も何回か「軍隊式」ビンタを喰らったが、心根の優しい人でもあった。

このブログ読んで改めて叔父を思い出しコメしました。

戦争・侵略は絶対いけません、必ず自分達に返って来ます。


13. 2016年6月08日 17:14:23 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[600]
満州へ居留民を募集していた当時は、現在の価値に換算して約150万円に相当する支度金が政府から支給された
(これだけを取っても、満州が“事実上の植民地”であった証しである)
これを目当てに満州行きを決断した日本人は多い 当時の日本国民は本当に貧しかった
私の伯父一家もそれで 生れ育った樺太から 伯父の幼少の頃に満州へ渡った

しかし、赤塚不二夫の自叙伝とまったく同一で 日本人は威張り散らしてばかりだったという

そのなかでも特に不遜だったのは軍人たち 関東軍と呼ばれた 満州駐留の日本からの派遣軍だった
アメリカと戦争する羽目になった原因の大部分を作ったのもこの関東軍である

だがその関東軍 対米戦争の根本的原因を作っておきながら、ソ連が侵攻して来た時は なんと真っ先に
逃げ出したと言う 伯父たち邦人居留民が助けを求めて関東軍司令部へ駆けこんだ時は
既に基地は もぬけの殻だったという

実はもう、関東軍司令部では 何か月も前から ソ連が侵攻して来る事を 察知していたという
情報を知り得る 高級将校の家族や関係者は 事前に満州を脱出させていたという

「今までさんざん 威張り散らしておきながら 戦いもせず逃げ出すとは何事か」
東に向かう列車の中で うつむきながら列車に座っている兵士達に噛み付いた日本人の民衆に向かって
「うるさい! 黙れ! 」 こういって あろう事か 同じ日本人に銃口を向けたそうだ

取り残された(ほとんど騙された)日本人の満州開拓民たちは それはもう壮絶なる逃避行となった
ロシア兵や 日本人に恨みを持った中国人や朝鮮人に、暴虐や凌辱の限りを受け続け
気が狂ってしまった人間、(とても生きられぬと)自分の子供を殺してしまう親たち
道端の そこいらじゅうに日本人の死体が転がっていても だれも葬る事さえしない
まさに、阿鼻叫喚の地獄絵図とはこの事でしょう。


14. 2016年6月08日 21:01:24 : 9gfIivvtuc : m7oobwy12eE[36]
まあ赤塚不二夫の言ってることを100%否定して

絶対正義があると定義してるのが

中国共産党

また所謂、共産主義者という人種

小沢信者とかいう連中だから、、、


15. 2016年6月08日 21:39:33 : GEn3TuYtQA : LFcerCcVZVI[308]

>>絶対正義があると定義してるのが

14ヨ
赤塚や私が「絶対正義」などの妄想を言ってるのでなく、「いろんな国にはいろんな人が普通の生活」を営んでそれで幸せと感じているって事だよ。

それを「自分勝手な国防・愛国理論」で侵略され「些細な幸せ」を脅かされる恐怖・理不尽さに憤ると言ってるだけなんですけどネ。

若し逆の立場・理論・策謀で、若し「中国・北朝軍」が日本に侵攻して来たらアンタに「許せる寛容さ」有る?(大日本帝国が朝鮮半島・中国でやったような事)

それをしない、させない「強かな外交・交流」をするのが本来の責任政権・国家と思うがネ!。


16. 2016年6月09日 11:00:30 : teDmf30Has : zF8hDIkyF3c[46]
日本人を殺した中国人がいるってことは、日本人を助けた中国人も殺されるかもしれなかったんじゃ。
その状態でイイヒトなのは凄いことだ。

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