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ヘイトスピーチのデモ隊と、阻止しようと集まった反対派の人たち、神奈川県警の警察官らがもみあいになった=5日午前11時32分、川崎市中原区、杉本康弘撮影:朝日新聞
反ヘイトスピーチもまた暴力だ
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6Jun2016 天木直人のブログ
ヘイトスピーチ対策法が施行されて初めてのヘイトデモがきのう6月5日川崎市で行われ、そのデモに反対する市民らと暴動騒ぎになったことが大きく報じられている。
それを映し出す画像を見て、私は何とも言えない違和感を持った。
デモに反対する市民もまた暴力をふるっている。
このデモ騒ぎを遠くから眺め、恐怖を抱いて敬遠する市民こそ、本当の市民ではないのか。
私は知っている。
ヘイトデモをするものも、それに激しく反対するものも、政治的活動家たちであり、その仲間なのだ。
そして、このデモと反デモは、この国の右翼、左翼の政治的対立の合わせ鏡なのだ。
暴力は右翼がするものだと相場は決まっているが、左翼もまた暴力的なのである。
私は官僚を辞めて政治活動にかかわり、デモにも何度も参加した。
そして、その事を知った。
そこにはまともな一般市民の入り込む余地のない政治の世界がある。
大多数の国民は、そのどちらでもない。
いまの政治には多くの不満はあるが、みずから政治に関与して、そのような暴力的な行動に巻き込まれたくないのである。
そして、それは健全な考え方だと思う。
しかし、誰かが政治を担わなくてはいけない。
私は、政治家は、そのような声なき声の一般大衆の声を政策に実現する役割を担った、公正、無私の、誰からも信頼、尊敬される人物だけがなるべきだと思っている。
もちろん、そのような人物は希少であり、そのような人物は政治家にはならない。
だからこそ政治家は少なくていいのだ。
そういう人物を探しだして、そういう人物に政治を任せ、我々は彼らを監視していればいいのだ。
私の唱える新党憲法9条構想は、そのような政治である。
いま我々が目にしている、安倍、反安倍の政争の対極にある政治である。
そういう政治が求められる時が必ず来ると思っている(了)
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