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東京五輪は決して成功しない、その本質的理由 大運動会の枠を超えられない歴史認識とビジョンの欠如
http://www.asyura2.com/16/senkyo206/msg/923.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 6 月 01 日 00:31:40: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

ウクライナの黒海沿岸の都市セバストポリ(Sevastopol)で行われたイベントで、ロシアや英国、フランス軍兵士の衣装でクリミア戦争(Crimean War)を再現する参加者(2008年6月8日撮影)〔AFPBB News〕


東京五輪は決して成功しない、その本質的理由 大運動会の枠を超えられない歴史認識とビジョンの欠如
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46981
2016.6.1 伊東 乾 JBpress


 伊勢志摩サミットでいくつかのニュースが報道の背後に回った感がありますが、先日来ここで考えてきたオリンピックの問題に収拾をつけておきたいと思います。

 19世紀後半は「世界が本当に世界になった」時期でした。

 何より、日本にとっては明治維新とそれに先立つ開国で、世界とつながるまでは、260年来まさに「鎖国」の状況にあった。

 ペリーが浦賀に来航し、日本が国際社会に窓を開き始めた1853年は、フランス、英国、そしてイタリア統一以前の南欧の雄サルディニアが後押しをするオスマン・トルコ帝国が、南下政策をとるロシアとぶつかったクリミア戦争が勃発しました。

 戦場は黒海北岸のクリミア半島にとどまらず、黒海にそそぐ欧州で2番目に大きな大河ドナウ川流域から遠くカムチャツカ半島にまで及び、実質的な最初の世界大戦と呼び得る前例のない大規模な戦争になってしまいました。

 が、これと同時にクリミア戦争が重視されるのは、戦争終結直後に戦時景気の反動で穀物価格が各国で同時に急落し、人類史上最初の「世界恐慌」を引き起こした点です。

 世界大戦と世界恐慌、これらがほとんど同時に地球上に登場したタイミングで、日本は黒船の来航を迎え、日米和親条約や日米修好通商条約が結ばれ、桜田門外の変で井伊直弼が惨殺され・・・という近代化を迎えた。

 この歴史的偶然は、日本がその後、東アジア髄一の先進国として発展する端緒を与えた面があるでしょう。

 そしてもう1つ、この同じタイミングで平和と通商面から「世界」を結ぶ動きが表れたのでした。「万国博覧会」です。

■帝国主義と万博/オリンピック

 人類史上最初の万国博覧会は1851年、まさにペリーの浦賀来航直前にロンドンで開かれました。ではそれがいきなりだったかというとそうではなく、半世紀の積み重ねがあったのです。

 最初の博覧会は世界の文物を集めた内国博覧会として1798年、フランス革命途上のパリで開かれました。

 今日でもルーブル美術館で見ることができる幾多の世界から集められた珍しい品々、オベリスクであれ、ロゼッタ・ストーンであれ、これらはナポレオンのエジプト遠征が代表的ですが、フランス外征の成果として持ち帰られたものにほかなりません。

 どれがいつパリにもたらされ、どの万博と関係があったか、といった詳細は押さえていませんが、1849年までの51年間に11回、相当の頻度で開催されていたことが分かります。

 さて、この1849年博覧会で「国際博覧会」が提唱され、2年後の51年に大英帝国の首都ロンドンで開かれ、歴史に名を遺す「水晶宮」クリスタル・パレスが建造されます。

 全面ガラスで覆われた四角いビルを、今日私たちは何の驚きもなくあらゆる国の都会で目にしますが、この原点はロンドンのど真ん中、ハイドパークで開かれた第1回万博でジョセフ・パクストンが設計しなければ、人類史上に姿を現さなかったものです。

 この時期の万博は近代日本の運命とも大きく軌を一にしています。初回ロンドンに続く19世紀後半、10回の万博のうち5回がパリで開催され、いかにフランスが万博のメッカであったかが知れるでしょう。

 1876年には米国独立100周年の万博がフィラデルフィアで開かれます。また1889年にはフランス革命100周年の万博がパリで開かれますが、このとき建設されたエッフェル塔は、いまだにパリのシンボルであり続けるとともに、その後のグローバル・テレコミュニケーションで、世界中にいくた建設される鉄塔のモデルともなっています。

 オリンピックの話をしているはずなのに、どうして万博か、と疑問に思われる方もあるでしょう。実は創設初期の10年ほど、オリンピックは万博の付設運動会として命脈をつないだ経緯があるのです。

■近代五輪と万国博

 万博のメッカ、フランスと記しましたが、ピエール・ド・クーベルタン男爵もまたフランス人で、英国に強い親近感を持ち、ラグビー選手や審判としても活躍したことが伝えられます。

 彼が1894年、日清戦争の都市にパリ大学で開かれた国際会議で「近代オリンピック」を主唱した際、当初のアイデアは「新世紀を迎える西暦1900年、パリで近代オリンピック最初の式典を行う」というものでした。

 しかし、この会議に出席していたギリシャ出身でロンドンで活躍していた実業家、ディミトリオス・ヴィラケスが手を挙げ、近代オリンピックは古代五輪からバトンを受け継ぐべきだと説得、当時は欧州東端の一小国に過ぎなかったギリシャで第1回オリンピックが開催され、圧倒的な成功を勝ち得て、新しい五輪がスタートしたのでした。

 この状況を冷静に考えると、当時の国際関係が深く影を落としているのが分かります。

 1894年当時、ギリシャは(ある意味現在と同じとも言えますが)「欧州世界」の最東端に位置し、すぐ目と鼻の先には東から地中海を跨いで南には巨大なオスマン帝国、北から西にかけてはオーストリア=ハンガリー帝国つまり崩壊途上にあった神聖ローマ帝国、またトルコの北からは南下しつつあった巨大なロシア帝国という、3つの巨像が境を接していました。

 そのど真ん中にちょこんと、西欧から君主を迎えたギリシャがナポレオン戦争以来「西側キリスト教国」の旗を立てていたわけです。

 イスラム、ビザンツ=東ローマと西ローマ、3つの巨大帝国の潮目のような立地で西欧の旗幟鮮明が重要だった背景はいくつもあると思いますが、オリンピック、万博との関連で考えると、再び「フランス」なのです。

 フランスはナポレオンのエジプト遠征期にスエズで古運河跡を発見、当時東インド貿易で世界を牛耳っていた英国に対抗すべく「スエズ運河」開削を起案します。

 ちょうど最初のパリ内国博と重なる時期です。しかしナポレオン時代から激動の半世紀を経て、フランスの外交官フェルディナン・ド・レセップスがスエズ運河会社を設立したのは1854−56年、そう、まさに万国博とクリミア戦争、そしてペリーの浦賀来航期に重なっているわけです。

 そしてその激動の19世紀前半50年の間、ナポレオン戦争直後の1821年に勃発したギリシャ独立戦争から、約10年続いた混乱を経て1832年にオスマントルコから独立を果たしたのが、近代ギリシャ王国だったわけです。

 巨大なオスマン帝国からのギリシャの独立は当初無謀と思われましたが、スエズに代表される諸利権を巡って英仏露の3国が干渉し始めるとにわかに現実味を帯びます。

 結局、この3国が三つ巴になるよう、第4の地域から、神聖ローマ皇帝の血を引く次男坊などの王子さまが、最初はバイエルン王国から、ついでデンマークから「着任」して、西欧の東方飛び地のようにして「ギリシャ王国」が建設、運営されるようになった。

 それから半世紀余を経た1896年、先進列強諸国に「西欧の原点」と位置づけられたギリシャで「最初の近代五輪大会」が開かれて20年を経ずして第1次世界大戦が勃発、収束した後にはオーストリア=ハンガリーつまり神聖ローマ帝国も、大ロシア帝国も、オスマントルコもすべてなくなってしまった。

 その後のバルカン、パレスチナから中東、北アフリカの状況は、2016年時点でのイラクやレバノン、シリアやリビア、チュニジアなどの北アフリカなど、旧オスマン帝国の版図での終わらない紛争を一瞥すれば、何が起きているか明らかでしょう。

■改めてオリンピック憲章を検証する

 さて、初回こそアテネで大成功を収めた五輪でしたが、続く第2回は、当初からの予定通り1900年パリ万博とともに開催、1904年も米セントルイス万博の付設運動会として開催され、初期の命脈を保つことになります。

 オリンピック憲章は幾度も改訂されていますが、広く知られているのは「より速く、より高く、より強くCitius, Altius, Fortius」というオリンピック・モットーでしょう。

 これは現在でもオリンピック憲章第1章10に記されていますが、これは単に「速くて高くて強ければよい」という話ではなく「オリンピズムの大志」を端的に表すものだ、と説明されています。

 では「オリンピズム」とは何なのか? 憲章序文の「オリンピズムの根本原則」は冒頭、

1 オリンピズムは肉体と意志と精神のすべての資質を高め、バランスよく結合させる生き方の哲学である。

 と謳っており、スポーツという言葉が出てくるのは2行目以降になります。続けて引用すれば、

 オリンピズムはスポーツを文化、教育と融合させ、生き方の創造を探求するものである。その生き方は努力する喜び、良い模範であることの教育的価値、社会的な責任、さらに普遍的で根本的な倫理規範の尊重を基盤とする。

 これがオリンピズムの大本とされています。つまり、単にスポーツ競技で「強く」「高く」「速ければよいという話ではなく「文化」「教育」さらには「社会的責任」や「倫理規範」が第1に謳われ、続く第2項で、

2 オリンピズムの目的は、人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会を奨励することを目指し、スポーツを人類の調和の取れた発展に役立てることにある。

 とあるように、競技を通じた世界平和の運動として立ち上げられたものにほかなりません。この性格は1914年以降の第1次世界大戦を通じてさらに強められ、戦後に5つの輪のシンボルが定められ、憲章も拡充されます。

 平和とは暴力戦争の反対であるばかりではありません。憲章第6章は、

6.このオリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、国あるいは社会のルーツ、財産、出自やその他の身分などの理由による、いかなる種類の差別も受けることなく、確実に享受されなければならない。

 として、五輪に四半世紀遅れて発足する国際連盟、あるいは半世紀後の国際連合などの根本精神を先取りしています。

 「そんんなことを言ったって、メダル取れなきゃ意味ないでしょ」という人がおられれば、その時点で五輪の精神とそうとうずれていると指摘せねばなりません。

 実はこうした発想は、イタリア独立戦争で傷ついた傷病兵の悲惨を目にしたアンリ・デュナンが設立した国際赤十字(1864年)の基本思想を引いています。

 デュナンが大いに参考にしたのは、今回の冒頭で引いた人類史初の世界大戦「クリミア戦争」で介護活動に尽力した英国の社会起業家、フローレンス・ナイチンゲールの思想と行動であったと伝えられます。

 「戦争は勝たなきゃしょうがないでしょ」というのは国家の観点ですが、戦闘に傷つき、倒れた将兵を敵味方の別なく看護するというコスモポリタンの発想と全く相容れません。

 こうした博愛を飛び抜けて早く実践したナイチンゲールは、今日その名ばかりが伝えられますが、赤十字活動には批判的であったそうです。

 「個人の善意に基づく慈善事業は長続きしない。経済的独立がなければ永続性のある事業は展開できない」という、極めてアングロ・サクソン的な現実家であったナイチンゲールの発想は、ボランティア・ベースで個人に犠牲を強いかねないデュナンの赤十字構想のアマチュア性に批判の眼差しを向けたと言います。

 それから半世紀、1世紀後のオリンピックでも、財政基盤のあり方が原因して、様々な政治や利権の回転が問題を生み出しました。ナイチンゲールの現実的な視点は、五輪に関しても決して外れていなかったと言うべきではないかと思います。

 「こんなところからオリンピックを考える奴なんか誰もいねーよ。スポーツなんだから勝たなきゃしょうがないし、ビジネスなんだから儲けなきゃ無意味」といった「本音」で五輪の現象を見る人が、もしかして、2016年時点の日本では、大勢を占めているのではないか?

 私が本当に恐れるのは、そういう饐(す)えた本音が現代日本に蔓延しているリスクです。

 と言うのも、ここ数回私が記してきた五輪を巡る問題の大半は、実際にオリンピックのメインスタジアムを設計した経験のある建築家の個人的意見に端を発するもので、私自身大いに共鳴し、五輪の芸術部門に関わる可能性を現実的に検討した時期があり、すべて何もなくなった10年前の経験に基づいているからです。

 バルセロナ・オリンピック、メインスタジアムの建築家、磯崎新が2016年、つまり今年、本来なら開かれていたかもしれない「福岡オリンピック案」と、その背後にあった周到入念な歴史的、建築的な思考について次回記して、一連の話題のまとめとしたいと思います。

 上記のすべて、磯さんが五輪を考える基本的な前提の中にあり、そうしたビジョンの中から彼の福岡五輪案は練られました。

 改めて言うまでもないかと思いますが、磯さん(と我々は読んでいますが)は30代前半の若い建築家として1964年の東京五輪でも丹下健三のもとでスタジアムの設計施工に携わり、1992年、サマランチIOC会長のひざ元であるバルセロナで開催された五輪ではスタジアムを設計しました。

 それから10余年、東京五輪から40年を経て、練りに練られた(また徹底的にアナーキーでもある)磯さんのプランを10年も前に発想の原点から聞かされていたので、過日の競技場を巡るお話にもならぬ無思想というより無思考ぶり、エンブレムに至ってはすでに論外よりも論外、で今回の票の取りまとめ・・・と、いくつか稿を重ねてきたわけです。

 磯崎新の建設的な五輪批判=対案を軸に、今後の「世界」のあり方と、その導き手でもあり得たはずの「オリンピックなるもの」を展望したいと思います。

(つづく)

 

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