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オバマの広島訪問についてさまざまな意見がありますが、これはとてもシンプルに包括的にその問題点をとらえ提起しています。
むしろ(阿修羅上でも見られる一部をのぞき)、他の多くの「識者」・評論家・政治家たちは、《なぜこの程度のことがはっきり言えないのか》、といぶかしく思われるほどだ。
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<米大統領広島訪問>平岡・元広島市長「何をしに来たのか」
5月27日 22:34 毎日新聞 http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/nation/mainichi-20160528k0000m040148000c.html
◇元広島市長の平岡敬氏(88)に聞く
オバマ大統領は再び「核兵器のない世界」に言及したが、手放しで喜んではいけない。米国が「原爆投下は正しかった」という姿勢を崩していないからだ。原爆投下を正当化する限り、「核兵器をまた使ってもいい」となりかねない。私たちは広島の原爆慰霊碑の前で「過ちは繰り返しませぬ」と誓ってきた。原爆を使った過ちを認めないのなら、何をしに広島に来たのかと言いたい。
日米両政府が言う「未来志向」は、過去に目をつぶるという意味に感じる。これを認めてしまうと、広島が米国を許したことになってしまう。広島は日本政府の方針とは違い、「原爆投下の責任を問う」という立場を堅持してきた。今、世界の潮流は「核兵器は非人道的で残虐な大量破壊兵器」という認識だ。それはヒロシマ・ナガサキの経験から来ている。覆すようなことはしてはいけない。
「謝罪を求めない」というのも、無残に殺された死者に失礼だ。本当に悔しくつらい思いで死んでいった者を冒とくする言葉を使うべきではない。広島市長と広島県知事も謝罪不要と表明したのは、残念でならない。米国に「二度と使わない」と誓わせ、核兵器廃絶が実現して初めて、死者は安らかに眠れる。
オバマ大統領は2009年にプラハで演説した後、核関連予算を増額した。核兵器の近代化、つまり新しい兵器の開発に予算をつぎ込んでいる。CTBT(核実験全面禁止条約)の批准もせず、言葉だけに終わった印象がある。だからこそ、今回の発言の後、どのような行動をするか見極めないといけない。
広島は大統領の花道を飾る「貸座敷」ではない。核兵器廃絶を誓う場所だ。大統領のレガシー(遺産)作りや中国を意識した日米同盟強化を誇示するパフォーマンスの場に利用されたらかなわない。【聞き手・寺岡俊】
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形式論理的にいえば、2つの筋道しかない。オバマにせよ誰にせよ言えたことは2つのどちらかでしかなかったはずだ。
核兵器は「非人道的で残虐」だから、将来に向かっては廃棄すべきだし、過去においても、それを広島・長崎にたいして用いたことは過っていた。それを認め謝罪する。
か、さもなければ、
核兵器は場合によっては有用・必要なものだ。広島・長崎にたいして用いたことは正しかったし、必要ならば今後もつかうことがある。
このどちらかだ。
それを、オバマは実質的には、
『核兵器は「非人道的で残虐」だ。それでも、それを広島・長崎にたいして用いたことは正しかったし、今後も朝鮮・中国・ロシア(ロシアは欧米から見れば半アジアだ)、イラン・シリア・イスラム教徒どもに対してはつかうこともある。』
と言っているに等しいし、日本の多くの「識者」・評論家・政治家どもはそれを容認しているのだ。
これではまるで、『核兵器は非人道的(=人間にたいして用いてはならないもの)だが、日本人・アジア人種・イスラム教徒はこの「人間」のうちには入らない』、と言っているようなものだ。
(なお、これはもちろん、オバマ氏の個人的な誠意や信念の問題ではない。)
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