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民主主義はこうして壊れる 「同日選」ならナチスの再来
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2016年5月25日 日刊ゲンダイ 文字お越し
勝つためなら何でもアリ(C)日刊ゲンダイ
「衆院解散は頭の片隅にもない」「解散の『か』の字もない」――安倍首相はこう繰り返すのだが、誰もその言葉を信じちゃいない。与野党ともに浮足立ち、衆参同日選をめぐる神経戦が繰り広げられている。
会期末に向け、民進、共産など野党4党は内閣不信任決議案の共同提出を検討。これに対し、自民党の高村副総裁は24日の党役員連絡会で、「それでは国民に聞いてみようというのは(解散の)立派な大義名分になり得ることだけは確かだ」と牽制した。その後の会見で、谷垣幹事長も「それはそうだろう」と同調していた。
議会では与党が圧倒的多数を押さえているのだから、野党が出した不信任案は粛々と否決すればいいだけの話。それが解散の大義名分になるなんて、聞いたこともない理屈なのだが、今の与党は何でもアリだ。
「衆参で3分の2の勢力を掌握して憲法改正に着手したい安倍首相は、勝てる時に選挙をやるという姿勢ですが、いま衆院を解散して総選挙をやることに、大義名分は何もない。消費税増税の延期にしても、民進党の岡田代表が先に提言していて対立軸にはなり得ません。権力を維持するために国会を私物化していると言われても仕方がない。そういう批判を避けるために、野党が不信任案を提出したことを解散の理由にしようとしているのかもしれませんが、国会議員も大マスコミも普段から『解散は首相の専権事項』と言っているじゃないですか。こういう時だけ野党に責任をおっかぶせるのは道理が通りません」(九州大名誉教授・斎藤文男氏=憲法)
専権事項といっても、それは、首相の都合で好きな時に解散できるという意味ではない。そもそも、憲法に首相の解散権の規定はないのだ。
■解散権の乱用は憲法違反
「大義なき解散は職権乱用どころか憲法違反」と、政治評論家の森田実氏がこう言う。
「日本国憲法の69条が衆議院の解散について規定しているのは、『内閣不信任決議案の可決』、あるいは『信任決議案の否決』に限られます。つまり、解散を決めるのは本来は議会であり、それが議会制民主主義の原則なのです。首相が好き勝手に議会を解散していいとはどこにも書いていないし、野党が出した不信任案を否決して解散するなどという蛮行は、完全に倒錯した禁じ手です」
69条の原則を初めて破ったのが1952年、吉田茂首相による「抜き打ち解散」だった。天皇の国事行為を定めた憲法7条3項に「衆議院の解散」が含まれることを“悪用”したのだ。
「天皇は内閣の助言によって衆議院を解散できるという解釈ですが、憲法には同時に、天皇は国政に関する機能を有しないともある。天皇に議会を解散させることは憲法違反の疑いがあり、当時は違憲裁判も起こされました。しかし、最高裁は明確な判断を避け、ウヤムヤ決着になってしまった。以来、歴代政権は悪しき前例を踏襲して、解散権を乱用するようになった。それでも一応はもっともらしい大義を掲げていたものですが、ついには2014年末、安倍政権が『増税やらない解散』というむちゃくちゃな選挙を強行した。第2次安倍政権が誕生した総選挙からわずか2年後のことでした。それから1年半でまた解散・総選挙ということになれば、憲法で4年間と定められた衆議院議員の任期を大幅に短縮することになる。衆参の議員を別々に選ぶという二院制の原則を否定することにもなる。大義なき同日選は、何重にも憲法を踏みにじる行為であり、主権者たる国民をナメくさっている。こんな傲慢を絶対に許してはいけないのです」(森田実氏=前出)
「ナチスの手口に学んだら…」発言で物議を醸したことも(C)日刊ゲンダイ
民主的な手続きで合法的に独裁が確立する危険性
権力者による解散権の乱用がいかに危険なことか。それを実証する事例が、ナチスでありヒトラーである。
1929年のニューヨーク株式市場の暴落に端を発する大恐慌に乗じて、経済対策と「ドイツの栄光」を訴え、急速に支持を拡大したのがナチスだった。30年9月の選挙で第2党に躍進し、32年の選挙では議席を倍増させる。そして33年1月に首相に就任。すると、すぐさま議会を解散して3月5日に総選挙を行った。反対勢力を抑圧したヒトラーは選挙に勝利。3月23日に悪名高い「全権委任法」を議会で成立させ、世界で当時、最も民主的とされたワイマール憲法を形骸化して独裁体制を築いたのだ。
護憲派の泰斗である樋口陽一東大名誉教授と改憲派の重鎮・小林節慶大名誉教授が対談した「『憲法改正』の真実」(集英社新書)には、こんな記述がある。
〈ナチスが台頭したときのワイマール憲法は、国民主権に基づく民主主義でした。いきなりクーデターでナチスが出てきたわけではないのです。民主主義的な選挙によってナチスが第一党になり、首相になったヒトラーがワイマール憲法そのものを実質的に無効化してしまった〉
〈ナチスが一挙に第二党になった一九三〇年選挙から一九三三年選挙までの三年足らずのあいだに四回も繰り返された選挙の機会に、破局に向かう方向を押し戻す力を有権者が失ってしまった〉
国民の支持を得て政権を握り、解散権を使って独裁に持ち込む。かつて麻生財務相が「ナチスの手口に学んだらどうかね」と発言して物議を醸したが、“合法的”に独裁に移行することもできる。そういう意味では、民主主義は決して万能ではない。反知性主義がポピュリズムで強大化すれば、民主主義が独裁を後押しすることになってしまう。それで国がおかしな方向に行っても、それは“国民の意思”ということになる。米国の大統領選でドナルド・トランプがまさかの本命候補に躍り出たことも、そういうポピュリズムの横行を象徴している。有権者の側も試されているということだ。
■「死んだふり解散」と似た空気
往々にして、民主主義は狂うことがある。それ単独では危うさをはらんでいる。だからこそ、憲法で権力を縛る立憲主義が重要なのだが、それを真っ向から否定するのが、この国の首相なのである。国権の最高機関である議会を軽視し、「オレが憲法だ」と言わんばかりの態度で国民無視の独断専行を続け、一昨年の閣議決定から安保法の成立に至る過程で憲法を骨抜きにしてしまった。そしてまた、解散権を乱用しようとしている。国会答弁で「私は『立法府の長』であります」と言ってのけたのも、三権分立を理解していないからとしか思えない。
「政治の私物化もここに極まれりで、自分が一番エライと勘違いしている。政権維持のためだけに政局的に解散権が使われることは、憲法学者として納得がいきません。こんなふうに短期間に解散・総選挙が繰り返されれば、日本でもナチスの独裁と同じことになりかねない。国会軽視はすなわち国民軽視です。首相が解散に踏み切った場合、国民はその是非をマジメに考えなければいけません」(斎藤文男氏=前出)
ここ数日、自民党内からも同日選をほのめかす声が上がっているが、安倍首相は「解散は考えていない」と言うばかり。中曽根内閣の「死んだふり解散」と雰囲気は似ているが、総選挙の費用は1回約600億円かかるといわれる。
アベノミクスの失敗で日本経済はメタメタ、熊本地震も収束の気配はない。こんな状況で本当に同日選をやるとすれば、自分の都合しか考えていない人でなし政権と言うほかない。
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