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舛添都知事の公私混同はもはや「生活習慣病」だ! そろそろ「店じまい」の時間ですよ 五輪の顔は本当にこの人でよいのか?
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48718
2016年05月25日(水) 佐々木信夫(中央大学教授、法学博士) 現代ビジネス
■公私混同はもはや「生活習慣病」ではないのか
次々と明るみに出る舛添要一都知事をめぐる新事実。一般市民が眉をしかめるような話ばかりで、説明責任を果たさない一連の対応について直近の世論調査も「適切ではない」(83%)、「適切だ」(8%)との結果であり、当初舛添氏を支えた自民、公明支持層でも8割以上が「適切ではない」と答えている(朝日新聞、5月24日)。
同調査が舛添氏の支持率を聞いたものではないが、概ね8割以上の不適切の答えは「不支持」と重なるのではないか。時の内閣が政権を維持できるかどうかを見るモノサシとして、内閣の不支持率が支持率のダブルスコアに達したとき「もはや死に体」とされるが、舛添都政は完全に都民の信頼を失い、足元の支持基盤がなくなったと見ることができるのではないか。
安倍首相も23日の国会で「信なくば立たず」と答弁している。
筆者は5月4日公開の本欄で「舛添さん、都知事ってそんなに偉いんですか? 『決まりを守っている』で済む話ではない5つの論点」という小論で、3月以降明らかになった一連の舛添問題についていろいろ指摘した。
内容は繰り返さないが、要は公私混同があまりにもひどく、12兆円規模、17万職員を擁する日本最大級の自治体組織を預けるトップにふさわしいかどうか、「都知事としての品格が問われている」というのが本質ではないかと思う。
舛添都知事の今後はどうなるか。本人は全く問題ないとのそぶりだが、そもそも首都の知事にふさわしい人物でないのではないか、とてもこれでは持ちこたえられそうにない、と都知事交代といった事態まで想定した議論が出始めている。
知事自身がインターネットオークションを利用して美術品を購入し、「資料代」として政治資金から支出していたという。「海外の方との交流を行う際のツールや、研究資料として活用している」などと弁明するが、どうも話の内容につじつまが合わない。しかも、公金を使ってオークション(競り)に参加するという発想自体おかしくないか。
一度に5000万円を超える豪華海外出張、100kmも離れた自己の温泉別荘に毎週末公用車で通い、ガソリン代だけで400万円も使う、政治資金を家族旅行の宿泊費などに会議費として使うなど、次々に発覚している事実は参議院議員時代からの続きで、「公私混同」にも一連の関係性がありそうだ。
もはや何と説明しようと、同氏の「生活習慣病」は直しようがないのではないか、とすら思えてくる。
■公私混同」という概念を定義すると、こうなる
今回の事態で使われる「公私混同」という概念は筆者なりに整理すると次のようになる。
「公」の論理は「他人のカネを他人(住民)のために使う」ということ、他方、「私」の論理は「自分のカネを自分のために使う」ということだが、そこで「公私混同」の論理は「他人のカネを自分のために使う」ということなのだ。
つまり国民、都民の納めた税金である公金を国民、都民のためではなく、自分のために流用するという意味なのである。
納税者が聞いたら怒る表現だが、役所の中にある体質として「予算消化主義」があるとされる。年度末になると予算をすべて使い切るようなムダな使い方でしてつじつまを合わせるというと行動様式を指す。
役所のカネの使い方、それは公の論理だが、しかし、ややもすると「他人事のようなカネの使い方になりがち」と批判される。無駄遣い、非効率、ムダなハコモノ、不要な公共事業などがそれだ。これが公私混同になると、いろいろな理屈をつけて公金を私的に流用することだが、例えば舛添氏の頻繁に使う「政治活動」に使っているという事をどう理解するか。
しかも、何でも政治活動のため、といってしまえば許されるのか。そんなことはない。政治ってそんなオールマイティな話ではない。国民に代わって代表として行う公共のための活動を政治活動という。
すると、活動内容もさることながら、公金を使った政治活動でどんな成果、どんな利益を国民、都民にもたらしたかが問われる。家族と温泉旅行し間に会議をしたとして「会議費」として公金から支出した行為で、国民、都民にどんな利益がもたらされたか、説明できなければならない。説明責任とはそういうもの。
政治活動といっても、決して政治家の身分を維持するための活動、票田を培養するための活動を意味している訳ではない。あくまでも公共のための活動を指す。
■霞む「世界一の東京をめざす」という公約
ともかく、舛添知事の公私混同の振る舞いを見て世はどう感じているか。13兆円、7万人官僚制という日本に類例のない巨大自治体のトップのこうした姿を見て、1300万人都民に不安の声が広まっている。
都庁内部からも「計算高く、言い訳ばかり」「トップの器でない」「もうやめて欲しい」という声が出、舛添都知事に仕えること自体に都庁官僚も嫌気がさしている様子が伺える。
いろいろ大きな課題を抱える大都市東京、そのかじ取りを任された都政。そのトップである都知事のこの体たらく。この先都政はいったいどうなるのか、「世界一の東京をめざす」というのが舛添氏の大看板だが、その看板自体、うつろに聞こえる。何の説得力もなくなっており、このさき都政の混乱、停滞が心配になってきた。
2020年の東京オリンピック・パラリンピックは成功させなければならない。準備も万端整えなければならない。しかし「五輪都政」が都知事として行うメインの仕事なのか。都政はそもそも都民の生命、財産を守り、広い意味の福祉の向上を目指す営みがメインの仕事。
たまたま2020年に国際的な大スポーツイベントが東京で開かれるという事態への対応であって、都政の全ての仕事領域に「オリンピック」という旗が立つわけではない。
いまから50年前、1964年の東京五輪の際、東京都は主演・東、演出・鈴木という形で五輪を乗り切っている。
つまりIOC委員で東大のスポーツ医学教授出身の東龍太郎を8年間都知事に担いだが、そのための道路整備も含め一般都民のための行政は全面的に内閣官房副長官から副知事に迎えた鈴木俊一に8年間事実上都政を委ねたという話。
舛添都政に無理があるのは、都民が求める都政の幅広い要求とレベルアップに答えるような行政執行能力がない中で、得意の都市外交に「五輪根回し」を理由に海外出張を繰り返すというやり方が、都民からしても「何をやりたい都政か見えない」という強い不満になっている。それを逆なでするような法外なカネの使い方と公私混同の日常を見せつけられると、都政のトップリーダーとして「もう無理では」という話につながるのである。
■問題なのは制度なのか、運用なのか、意識なのか
どうしてここ3、4年の都政はこうなってしまったのか。その政治的混乱はどこから来ているのか。筆者は都知事の辞任、都知事選が繰り返されるところに背景があるとみる。
まず任期2年半を残して「我欲」とも思える石原慎太郎氏の4期目途中での辞任。自身は国政復帰をめざすが大義であったが、後継知事に「猪瀬君で十分だ」と指名までして去っていったが、じつは政治的混乱の全てはそこから始まっている。
忘れもしない2年半前、空前の430万票も得て都知事に就任した猪瀬直樹氏。その就任から1年足らずで辞任に追い込まれた。都議会の追及に「このかばんに5000万円入る」と札束(模型)を議場で詰める姿が全国にテレビの映像で流れた。
地方でも子供たちまで知っている。兵庫県の野々村県議が突然記者会見中で泣きじゃくる、あの号泣議員の姿がテレビを通じて何度も流され続けた結果、いまやそれが地方議員の代名詞のように使われているが、これと同様、5000万円をめぐる映像、これが猪瀬辞任の代名詞のようになっている。
ただ、後任知事となった舛添氏の一連の振る舞いは、猪瀬氏の5000万円の政治資金問題の処理をめぐる事案より、タチが悪いのではないか。指摘されると、公私混同の中から「私」の部分を抜き取り、カネを返すという態度。
見つからなければ返さない訳で、そもそも公人としての倫理観がどこまであるのか疑わしい。都の公金の使い方については役所の「ルールを守っている」の一点張りだが、官僚答弁を繰り返し聞かされている感を免れない。選挙で選ばれた、公人トップとしてのカネの使い方としてどうなのですか、と聞かれても一般都民にストンと落ちる説明はない。要は言い訳の連続である。
舛添氏の釈明を聞いていると、違法ではないかもしれないが、社会常識からして大きく逸脱しているのではと、疑いたくなる。物事の是非を見る場合、それを決めている「制度」(ルール)に問題があるのか、その(ルールの)「運用」に問題があるのか、それを運用する「意識」(本人)に問題があるのか、この3つのレベルで捉えてみる必要がある。
氏の場合、運用と意識に最大の問題があるのではないか。例えば、都の海外出張の宿泊費は上限4万300円と決まっている。ただし例外として、何らかの事情で賄えない場合、割り増しができるとなっている。そうしたルールを逆手に、4倍にも5倍にも割り増しする「運用」の仕方が19万豪華ホテルの宿泊費となる。
言い分は安いホテルだと「都知事の地位が格安にみられる」という理由のようだが、それは「意識」の問題だ。むかし、豊臣秀吉が金蘭豪華な着物を着、金ぴかの大阪城で威勢を張っていたようだが、その話とどこか似ていないか。外交を知り尽くしたような説明をするが、実際は違うのではないか。スイートルームに要人など訪ねてこない。
■歴代都知事の品格、比較するとよくわかる
石原辞任後の都知事をめぐる混乱は、次のようなメカニズムから生まれている。
突然の知事辞任が繰り返され、1ヵ月も経たないまに後継知事選がドサクサのように行われる。補選のような知事選。
政策論争などそっちのけ、1、2名の世に名前が通っている人のみが何のチェックもなく浮上し、メディア主導の選挙が行われ、棚ぼたのように知事就任となる。この繰り返しに都知事をめぐる政治的混乱があるのではないか。
要は本来の東京、都政のあり方を主要候補、政党が時間をかけて論争する「本選」がないまま、都知事が誕生してしまう。ここに悲劇の始まりがある。
舛添氏につらく当たる気はない。品格云々の議論もしたくはない。ただ、都政の歴史から見て首都の顔、都知事は歴代どんな方がなってきたか、少し振り返ってみたい。
戦後に限っても、復興知事の安井誠一郎(3期)、五輪知事の東龍太郎(2期)、革新都政の美濃部亮吉(3期)、財政再建の鈴木俊一(4期)、都市博中止の青島幸男(1期)、東京から日本を変える石原慎太郎(3期半)。
それぞれに何らかの批判が付きまとったが、現在起きているような、みなさんが眉をしかめるような話はない。首都都知事としての品格もあった。
石原後については繰り返さないが、るる述べた通り。どうしてこうも歯車が狂ってしまったのか。今年のリオ五輪もブラジル大統領の職務停止など混乱の中で始まりそうだが、4年後に迫った2020年東京五輪の顔はこれでよいか。
いまや首都の知事、「都知事というポスト」そのものの品格が地に落ちた感を否めない。
■舛添都知事の進退をめぐる5つのシナリオ
記者会見で違法性の有無について「第3者の目に委ねる」と弁護士に調査依頼をすることを明らかにし、すべてそこに逃げ込む答弁を繰り返した5月20日の2時間余に及ぶ会見。
マスコミ各社が全国中継したにもかかわらず、何ひとつ答えなかったその態度。「違法性」もさることながら、公金の使い方、身の振る舞いについて自身に向けられた公私混同疑惑に社会通念上妥当かどうかも答えなかった、「逃げの態度」に舛添株は暴落した。いくら何でも、公人都知事としては誠意をもって説明責任を果たすのが真摯な態度ではなかったか。
付言するが、そもそも自分のカネで雇う弁護士が「第3者機関」と言えるのか。民事事件で原告、被告にそれぞれ雇われた弁護士はどういう行動をとるか。原告の弁護士は目一杯、原告に有利になるよう弁護するし、被告の弁護士は被告の利益を最大化するようにいろいろ証拠を持ち出し弁護する。それが弁護士の職務であり行動様式ではないのか。
すると、舛添氏が調査依頼した弁護士は「違法性は極めて少ない、問題はない」という結論を出すと推論されるが、それが第3者の目なのか。利害関係者の立場に立った調査で都民、国民がそうですかと思うなどと考えているのか。筆者にはとてもそうは思えない。
問題は都民に代わって真相を明らかにできるかどうか、6月1日から始まる都議会の動きに注目が集まる。
それ次第でことは大きく動くか、都民の不信が増幅してしまうかが決まる。考えられる5つのシナリオについて、筆者なりに解説してみたい。
シナリオ1.「都議会与党が舛添氏を擁護する立場で臨むパターン」
7月10日に参院選も予定されている。2年半前の都知事選で自公は舛添氏を担いだ経緯もある。ここで手のひらを返したように「都政に政局」が生まれるような事態は避けたい。そうし政治判断から、表向き一通りの質疑応答には応ずるが、証人喚問などが可能となる百条委員会(仮称:舛添都知事の疑惑を解明する特別委員会)の設置は避けたい。本会議で委員会設置の提案を与党多数で否決する場合。
➡ 世論をふまえた都議会の行動とは思えないが、こうすると都議会で舛添氏の不信任議決は不可能となる。ただ、こうした行動は来年6月の都議選の際、有権者からしっぺ返しを食らうかもしれない。それでも、舛添知事を守ろうで与党会派が一致できるかどうか。
シナリオ2.「都議会で百条委員会まで設置するよう進むパターン」
都議会開会日の翌日から常任委員会である「総務委員会」に舛添氏を呼び、都議から様々な疑惑に関する質問を浴びせ、舛添氏が答弁する。
参考人招致はできるが、偽証罪には問われない。これが数日間続く可能性があるが、世論の動向も踏まえこれでは「疑惑は解明されず」の理由から、国政調査権と類似の権限を持つ、地方自治法百条に基づく特別委員会(いわゆる百条委員会)の設置を本会議で議決する場合。
➡ そこでは、都知事就任前の話とはいえ、正月三が日に千葉県のホテルで家族旅行中に政治関係者を呼んで会議をやり、この費用を会議費として計上した経緯などが質され、政治関係者やホテル従業員など疑惑解明に必要な関係者の証人喚問が行われる可能性もある。そうなっても舛添氏は回答し続けることができるか。納得いく説明が行われるなら、舛添氏にとって百条委員会設置はむしろ「逆襲」の舞台になるかもしれない。しかし、その可能性は低いのではないか。
3年前の猪瀬氏の辞任パターンは、都議会の総務委員会で質疑が始まり、疑惑が深まったとして百条委員会の設置を決める動きに都議会がなったとき、猪瀬氏は腹をくくって辞職した。徳洲会からの5000万円のカネをめぐり都政は空転、服務規程違反、公選法違反疑惑、政治資金規正法違反の疑いが払拭できず、わずか1年で辞職した時である。
舛添氏の場合、わからないが、百条委員会が「辞職すべし」と議決し、本会議で3分の2以上の出席で4分の3の議員が賛成すれば、舛添氏は10日以内にのルールを待たず、すぐ「辞職」の決断をする可能性が高いのではないか。
ただし、居直る可能性も否定できない。都議会の決定が間違っていると考えるなら、都議会解散を断行する道が残る。都議会にどんな弱みがあるか推測できないが、仮に解散し、都議選になった場合でも、新たに選ばれた新議会で3分の2の出席で、今度は過半数の議員が「辞職すべし」に賛成すると、舛添氏は辞職するしかなくなる。
シナリオ3.「都議会の百条委員会設置を察知し、出直し都知事選に臨むパターン」
これには2つ考えられる。1つは都議会の審議が進む前に辞職を表明し、自らの信を問うとして「出直し選挙」への再出馬を表明する場合。もう1つは、都議会の百条委員会での審議も終え、本会議で都知事不信任が可決された場合、10日過ぎても「辞職か」「解散か」を表明せず、自動的に失職するが、その後行われる都知事選に再出馬して信を問う場合だ。
以前、長野県議会から不信任を受けた田中康夫知事(当時)が、地方自治法のある意味「想定していない」この方法によって再出馬し、当選した例がある。
➡ ただ、この「出直し」選は議会の意思が都民有権者の意思と大きくかい離している場合にしか使えない。つまり、都民の舛添支持率は高いのに都議会の思惑で自身をクビにした、という理由付けの元に戦うなら別だが、今回のケースは「殿ご乱心」にでもならない限り、無理ではないか。
シナリオ4.「6月都議会での舛添氏への対応、その結論を不服とし、都民が直接リコール(解職)運動に走るパターン」
本来は有権者の3分の1の署名を集めてリコールにつながる住民投票を請求する制度だが、大都市の場合、要件が厳しすぎるとして、署名数は「人口が80万を超えるときは、80万を超える数の8分の1と40万の6分の1と40万の3分の1を合計した数以上」と定められている。
この規定に沿うと、都民によるリコール(解職)請求は、2ヵ月の間に有権者約1000万人のうち、約150万人がリコールに直接署名し、都の選挙管理委員会に提出、署名が有効となれば、次の段階として60日以内に都知事の解職の是非を問う住民投票が行われることになる。
そこで有効投票の過半数がリコール賛成となれば、都知事は辞職しなければならない。かりに投票率が50%とした場合、251万人が「解職すべし」に賛成しなければ、このシナリオは成立しない。251万人とは、舛添氏が当選した時の票数に近い。こうしたリコールは1000万有権者を有する大都市では前例がなく、手続きにも実施にも膨大なエネルギーと、手間、暇、カネが掛るので相当難しい。
シナリオ5.「高度な政治判断と称して舛添1期終了まで続投させるパターン」
自民党筋などから聞こえてくる話だが、ここで舛添氏を追い込み、都知事選になると新しい知事が4年後の2020年五輪を仕切ることになろうが、4年後の東京での五輪開催は7月となっている。すると、五輪の開会直前に都知事選があるという事態が想定され、仮に再選されようが、いかにも国内事情で国際大会に迷惑のかかる事態になり、それは避けるべきだという判断が働く場合。
➡ 政府筋からも出てくる意見のようだが、果たして都民がそれで納得するか。都知事選の時期をこの秋か暮れになるよう辞職のタイミングをずらせばよいではないかという判断もあろう。仮に1期限りにせよ、12月までにせよ、舛添都知事はレイムダックになるわけで、都政は推進力を失い、混乱することは避けられまい。
■4年で3回も50億円ずつ掛けて都知事を選び直すのか
上記のシナリオ以外に、舛添氏が都議会の開催を待たず、自主的に「辞任を表明」する事態は皆無ではない。それが行われない場合のパターンが上記の5つのシナリオだ。
いずれ、こうまでなってしまった首都の知事。この責任はいったい誰にあるのか。少なくも1ヵ月以上及ぶ都政の空白と2週間余の選挙に50億円もの公費が投入される都知事選となる。3回分だと一般町村の年間予算に当たる。これだけのコストをかけて選ぶ価値のある都知事なのか。実際、それにふさわしい人物が選ばれるのか。民主主義のコストとはいえ、どこか割り切れなさが残る。
舛添氏を代えて、次に来る都知事は「ろくでもないヤツ」とある知事経験者がテレビで言っていたが、そうあってはならない。
次期都知事は、まず公金の使い方に自らも厳しく、「身を斬る改革」を実践できる人、そして1300万都民に向けて公約したことは必ず実行できる政治家であること、13兆円、17万人職員を抱えるノルウェー、韓国規模の一国大統領にふさわしい都政の経営者であること、そして世界諸都市と有効な関係を結び2020五輪を成功裡に終わらせることのできる外交官であること。
これにふさわしい人物は誰か、しっかり議論を煮詰めて都知事選に向かうことが重要である。各政党、都議会各会派、都民有権者の力量が試される場面が訪れている。
佐々木信夫(ささき のぶお)
中央大学教授、法学博士。大阪副首都推進本部特別顧問。1948年岩手県出身。早稲田大学卒業、早稲田大学大学院政治学研究科修了、慶應義塾大学法学博士取得。東京都庁勤務を経て、94年から中央大学教授、現在に至る。2000年〜01年カリフォルニア大学(UCLA)客員研究員。慶應義塾大学、明治大学、日本大学各講師。現在、政府の地方制度調査会委員、日本学術会議会員、大阪府・市特別顧問など兼任。専門は、行政学、地方自治論。著書に『人口減少時代の地方創生論』(PHP)、『新たな日本のかたち』(角川ssc新書)、『東京都政』(岩波新書)、『日本行政学』『現代地方自治』(学陽書房)、『都知事―権力と都政』(中公新書)、『道州制』(ちくま新書)など多数。テレビ、新聞、雑誌などのコメント、地方各地での講演も多数。近著『地方議員の逆襲』(現代新書)では、地方創生のための地方議員、地方議会制度の大胆な改革案を提言して話題に。
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