恨むなら昭和天皇を恨めよ: アメリカは日本政府に何度も米軍を沖縄から撤退したいと頼んでいたんだよ。 しかし昭和天皇や日本政府が金はいくらでも出すから出て行かないでくれと泣いて縋ったんだ:
海兵隊の沖縄駐留「日本が要望」元駐日米大使 http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=83067 【平安名純代・米国特約記者】米元副大統領で、クリントン政権下で 駐日米大使を務めたウォルター・モンデール氏が1995年当時、米軍普天間飛行場の返還交渉で、 日本側が在沖縄米海兵隊の駐留継続を望んでいたと述べていたことが12日までに分かった。
同年に発生した少女暴行事件の重大性を米側が認識し、海兵隊の撤退も視野に検討していたが、 日本側が拒否し、県内移設を前提に交渉を進めていたことになる。 モンデール氏の発言は米国務省付属機関が2004年4月27日にインタビューした口述記録に記載。 1995年の少女暴行事件について「県民の怒りは当然で私も共有していた」と述べ、 「数日のうちに、問題は事件だけではなく、米兵は沖縄から撤退すべきかどうか、 少なくともプレゼンスを大幅削減すべきかどうか、米兵の起訴に関するガイドラインを変更すべきかどうかといったものにまで及んでいった」 と回顧している。 その上で 「彼ら(日本政府)はわれわれ(在沖海兵隊)を沖縄から追い出したくなかった」 と指摘し、沖縄の海兵隊を維持することを前提に協議し 「日本政府の希望通りの結果となった」 と交渉過程を振り返った。交渉相手として橋本龍太郎首相(当時)と河野洋平外相(同)の名前を挙げているが、両氏の具体的な発言は入っていない。 当時、ペリー国防長官は米議会で「日本の全ての提案を検討する」と発言。 ナイ国防次官補(当時)も「兵力の本土移転も含む」と述べるなど日本側が希望した場合は本土移転も検討する意向を示していた。 モンデール氏は、暴行事件で大田昌秀知事(同)に全面的に謝罪。 河野氏との会談では加害者の米兵らを強く非難していた。 同氏は翌96年4月に橋本氏と普天間返還合意を発表。同年12月2日、 「沖縄に関する特別行動委員会(SACO)」の最終報告で普天間飛行場を含む 11施設の返還、県道104号越え実弾演習の本土移転、パラシュート降下訓練の伊江島移転、 嘉手納基地の海軍駐機場の移転・遮音壁の設置などが公表された。 ____
米、在沖海兵隊撤退を検討 復帰直後 機密文書明記 日本が残留望む 琉球新報 11月6日(金)5時5分配信
1973〜76年に米政府がテニアンに米軍基地を整備することを検討していた計画案の文書
米国家安全保障会議(NSC)が1973〜76年に、72年の沖縄復帰を契機とした政治的圧力で在沖米海兵隊を撤退する事態を想定し、海兵遠征軍をテニアンに移転する案を検討していたことが、機密指定を解除された米公文書などで分かった。
遠征軍は米本国以外で唯一沖縄に拠点を置く海兵隊の最大編成単位。米海兵隊は普天間飛行場などを運用しているが、当時米側はその「本体」である海兵遠征軍ごと沖縄から撤退し、テニアンに移転することを想定していた。文書はテニアンに滑走路や港湾などを備えた複合基地を整備する必要性に触れ、同基地は 「返還に向けて沖縄の戦略部隊や活動を移転できる」 とした上で、対応可能な部隊として「最大で遠征軍規模の海兵隊」と挙げている。日米両政府が沖縄を海兵隊の駐留拠点にする理由として説明する「地理的優位性」の根拠が一層乏しくなった形だ。 米軍統合参謀本部史によると、73年に在韓米陸軍と在沖米海兵隊を撤退させる案が米政府で検討され、国務省が支持していた。同文書もテニアンの基地建設に言及しているが、計画は74年に大幅縮小された。理由の一つに「日本政府が沖縄の兵力を維持することを望んだ」と記し、日本側が海兵隊を引き留めたこともあらためて明らかになった。 文書は野添文彬・沖国大講師が米ミシガン州のフォード大統領図書館で入手した。野添氏は統合参謀本部史でも詳細を確認した。 フォード図書館所蔵の文書はNSCが73〜76年に作成した「ミクロネシア研究」つづりに含まれている。海外の基地は「受け入れ国からの政治的圧力に対して脆弱(ぜいじゃく)だ」と分析し、米領内での基地運用を増やす利点に触れている。 一方、米軍統合参謀本部史(73〜76年)は、ニクソン政権が73年2月の通達に基づき太平洋の兵力を再検討、在沖海兵隊と在韓米陸軍の撤退を含む4案を議論したと記している。 国務省は77〜78年度にかけ最大の削減案を支持、軍部は最少の削減を主張した。73年8月、大統領は「現状維持」を選んだ。統合参謀本部史は「沖縄返還で当初予想された部隊移転を強いられることにはならなかった」と振り返っている。(島袋良太) 昭和天皇はアメリカに文書を送り、在日米軍基地について「日本の側からの自発的なオファ」が必要である旨を述べています。「自発的なオファ」とはすなわち、日本側からお願いして米軍に駐留してもらうということです。
こうした昭和天皇の考えが、吉田の外交方針に大きな影響を与えた可能性があります。実際、吉田は日米交渉の節目節目で昭和天皇に内奏しており、あれほど嫌がっていた講和会議への参加を決めたのも昭和天皇に拝謁した後でした。 昭和天皇は沖縄についてもアメリカに自らの見解を伝えています。いわゆる「沖縄メッセージ」です。そこでは、米軍による沖縄占領が25年から50年、あるいはそれ以上継続されることを望む旨が述べられています。 http://www.asyura2.com/15/senkyo187/msg/352.html 昭和天皇はマッカーサーとの会見で、駐留米軍で日本を共産主義から守ってくれと頼み、戦力の不保持を謳った憲法9条と国連が日本を守るのだと逆にマッカーサーから諭されたと言われている。
その昭和天皇は、米国が沖縄および他の琉球諸島の軍事占領を継続することを希望し、そのことが米国の利益になり、日本を保護することになる、という考えを示した(いわゆる天皇メッセージ) この昭和天皇の安全保障観は、豊下楢彦教授の名著「日米安保条約の成立ー吉田外交と天皇外交」(岩波新書)で書かれた吉田茂の天皇外交への恭順と見事に照合する。 吉田茂もまた芦田と同じく外務官僚だった。 もういいだろう。 この産経新聞の大スクープ記事がいわんとするところは、戦後の日本の安全保障体制は昭和天皇と外務官僚によってつくられ、米国にそれを要望してできた国策であるという事だ。 http://new-party-9.net/archives/2236 戦力を保持しない日本の安全保障は駐留米軍に委ねるべきだと戦後の日本政府が最初に打ち出したのが、占領期の昭和22年9月、芦田均外相下の外務省で作成された「芦田メモ」だ。 昭和天皇は講和後の安保体制にご関心
この時期、昭和天皇の最大のご関心も、講和後の日本の安保体制の行方にあった。22年5月のマッカーサー元帥との会見で、「日本ノ安全保障ヲ図ル為ニハ、アングロサクソンノ代表者デアル米国ガ其ノイニシアチブヲ執ルコトヲ要スルノデアリマシテ、此ノ為元帥ノ御支援ヲ期待シテ居リマス」と懇願された(児島襄「日本占領第3巻」)。 「芦田メモ」が作成された同じ同年9月には、寺崎英成・御用掛(天皇の通訳)がGHQのシーボルト外交局長を訪ね、天皇の「沖縄メッセージ」を伝えている。「米国が沖縄および他の琉球諸島の軍事占領を継続することを希望されており、その占領は米国の利益になり、日本を保護することになるとの考え」を示したもので、同局長から米国務省にも報告された(「昭和天皇実録」)。日本の安全保障を確保する手段として沖縄への米軍の長期駐留の意向を天皇自ら示されたものとされている。 http://www.sankei.com/life/news/150719/lif1507190017-n1.html 沖縄の米軍基地 ─「県外移設」を考える (集英社新書) – 2015/6/17 高橋 哲哉 (著) http://www.amazon.co.jp/%E6%B2%96%E7%B8%84%E3%81%AE%E7%B1%B3%E8%BB%8D%E5%9F%BA%E5%9C%B0-%E2%94%80%E3%80%8C%E7%9C%8C%E5%A4%96%E7%A7%BB%E8%A8%AD%E3%80%8D%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E9%AB%98%E6%A9%8B-%E5%93%B2%E5%93%89/dp/4087207900
―本書でもうひとつ、非常に重要な意味を持つのが「天皇メッセージ」に関する部分です。
敗戦直後の1947年、昭和天皇がアメリカに対して沖縄の軍事占領を希望するというメッセージを送っていたものですね。 高橋 当時はすでに今の日本国憲法が施行されていますから、本来ならば天皇は政治的な権能を持っていませんでした。それにもかかわらず、昭和天皇は占領軍に対して、当時の吉田政権の頭越しに自らのメッセージを発しています。その内容は 「日本国天皇は沖縄に対する米国の軍事占領が25年ないし50年あるいはそれ以上にわたって続くことを希望する。それが日本の防衛に役立ち、かつアメリカの利益になるだろう」
というものです。 この極秘文書は1979年に筑波大学の進藤榮一さんが発見したのですが、いまだにその存在があまり広くは知られてないと思います。日本のメディアがこれを大々的に報道するのを自粛しているように感じます。
実際に、日本政府はその後の主権回復と引き換えに沖縄を米軍支配下に譲り渡し、本土復帰を経ても、米軍が沖縄を占領しているような状態が今も続いている。あたかも日本政府は、70年近く前に昭和天皇が希望したように振る舞い、戦後の歴史が展開してきているわけです。 http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/113.html
[32初期非表示理由]:担当:アラシ
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