会員番号4153さんへ どうも私のコメントにお返事して戴いたようなので、こちらでもコメントさせていただきます。つまり、4153さんは、数年前までは「左派的な見解」を持っておられたけれども、現在は「ネトウヨ的見解」に転向したというようなお話ですね? 私の方は実は反対で、かつて右翼系の団体にいたこともあるのです。現在しばしば話題に上がる日本会議の前身のようなものに若い頃、少しだけ関わっていたことがありました。もともと身内が「生長の家」に入っていたので、その青年会員になっていたというだけのことですが。生長の家と日本会議のかかわりについては、こちらで、最近、『日本会議の研究』という著書を出された菅野完さんが詳しく説明されていますので、よろしければご参考に。 宗教右翼(特に生長の家)と自民党 http://togetter.com/li/790067 現在の総裁(教主のことをあの教団ではそう呼びますが、現総裁は初代から数えて三代目のお孫さん)は教団が政治的なことに関わるのをたいへん嫌った方で、御自分が教団内で実力を増して行くにつれ、教団内部で右翼的な政治活動をする人たちを排斥するようになり、ついには教団から追放してしまったようでした。しかし、現在はその追い出された右派の一部が教団の別組織に戻ってきて、現総裁の親族なども味方に付けて総裁に対抗しているらしく、裁判まで起こして経典の版権まで奪ってしまったそうです。(私的には今は信徒でないとはいえ、現在の総裁に味方したい気持ちもあるので、このようなことを書くのもたいへんお気の毒に思うのですが) ともあれ、私があの教団の青年部にいた最後の頃は、現総裁の方針と、教団の内外で右翼的政治運動をして来た人たちとの軋轢はかなり強くなっていたようです。しかし当時、平の青年信徒で教団活動に特別熱心でもなかった私などは、そんなことは何もわかっていませんでした。ところが、先輩達から、良い講演会や講習会があるから来いと言われて行くと、右翼というより「極右」じゃないかと思われるような知識人の講演会や、現在の憲法を否定する講師による、戦前の道徳教育のような講習会だったりして、これには参ったなと思っていると、先輩から「これは教団本部には内緒にしおけ」と言われたり、家族であっても、青年会員以外の、おじさん、おばさんの信徒にその内容を言うなとも言われました。それで、これはやはり何かおかしいぞと気づき、役付きになっていた先輩と少々もめた挙句、結局、教団信徒であること自体をやめてしまいました。 ちなみに私の青春時代はすでに学生運動はすっかり下火になっていましたから、安保闘争時代に左翼の学生団体に対抗して作られた「生学連(生長の家学生連合)」という組織に所属していたという、錚々たる諸先輩方のことは当時はまったく知らず、面識もありませんでした。今思えば、当時はそうした方たちはすでに教団から離れていたらしいのですが、どうも教団に残っていた後輩の青年会幹部たちに外部から影響を及ぼしていたような気がします。 どうにも話が長くなりましたが、私が書きたかったのは以下のようなことです。私が青年会をやめると言った時、その先輩は何故なのかと聞きました。私はその前に聞いた極右の知識人の講演のことをいい、「あの戦争が日本がアジアを解放するための正義の戦争だったとは私は思えない」と言いました。「日本の軍隊は神の心にかなう世界を作るために戦ったのであって、他国の人々に詫びねばならないようなことなど何ひとつしていない。(もちろん、南京虐殺も慰安婦もでっち上げである)」というような話についていけないと言ったのです。(私がなぜ、そう思ったかというと、戦地に言った伯父や近所のお年寄り、そして戦時中は子供だった親たからも、断片的ではあるけれど、当時の状況は多少は聞いていたからだと思います) それまで従順な後輩だと思っていた私が思わぬことを言ったせいか、先輩は青ざめたようになって怒りました。 そして「君には愛国心が無いのか?」というようなことを言いました。でも私は言いました。 「愛国心は持っているつもりです。でもそれはこの国が過去に犯した過ちなど一切、認めないということではありません。先輩も御両親を愛しているでしょう?それは御両親がとても立派な人で、過去に何も悪いことをしたことが無いからですか?過去に人を傷つけたり、何も悪いことをしたことが無い立派な人だから愛せるので、もし悪いことをした人だとわかったら、その途端に愛せなくなるのですか?私はそうは思いません。家族なら、親や子であるならば、たとえ相手が泥棒や人殺しのような悪いことをしていたとしても、それでも愛するのが愛ではないのですが?もし、相手がこちらが恥ずかしくなるようなことをしていたら、親でも国でも、もう愛せないとうのでは、それは愛でもなんでもありません」 この通りに言えたかどうか定かではありませんが、自分としては上のような意味のことを言ったつもりでした。先輩は少しの間、私を睨みつけていましたが、やがて「勝手にしろ」と言ってそっぽを向きました。私は先輩に礼をして部屋を後にしました。(いつか、たまたま鈴木邦夫さんのブログを見ていたら、似たようなことをおっしゃっている部分があって我が意を得たりでした。あの当時は鈴木さんのお名前も知らなかったけれど、鈴木さんもまた元生長の家の信徒であり、生学連のご出身です。しかし現在の言動から察するに、日本会議へ行った人たちとは袂を分かっているのではと思われます) ちなみに私と同じを頃に青年会抜けた女子会員もいたのですが、彼女の話では女子部が主体になって行う妊娠中絶反対の集会に何度か動員され、手伝わされていたそうです。集会には外部からキリスト教の聖職者や著名作家なども講演の演者として招いていたそうですが、その人たちに対しては「自分たちは純粋に中絶に反対する気持ちだけで集まった一般市民の女性たちだ」と名乗らされていたそうです。おそらく教団本部にも秘密だったのかもしれません。彼女はそれに疑問を持ったのと、未婚者や未成年少女の中絶ばかりが取り上げられて(中絶に占める割合は、当時も既婚者の方がずっと多かったらしいのに)かつ、女性の側ばかりが、自由を盾にふしだらで利己的な人間に育っているからだと悪者にされ、男性の側の責任など問わないような話ばかりなのも不公平だと思ったそうです。(こうした点では、むしろ外部から何も知らずに講演に来ていたキリスト教の神父さんなどの方が、よほど公正に現実を見ていたようだと彼女は語りました)むしろ、若い男性たちに、もっと相手の女性の人生を尊重する気持ちを持つようにしてもらえば、悲しい中絶は減るはずだと彼女は思っていて、若い女性と一緒に、若い男性にも相互に相手を人間として尊重する教育をるすべきだと思い、事前の会議でもそれを口にしましたが無視されてしまったそうです。 そして彼女もまた、女子部の役付きの先輩にこう聞いたそうです。「最近の青年会では戦争で死んだ兵隊さんを称えるような話をよくするけれども、その兵隊さんだってかつては赤ちゃんだったはずです。お腹の中の赤ちゃんが殺されるのは、この世で一番悪いことのように言うのに、ひとたび生れて大人になって、戦争に行って殺されるのは悪いことではないのですか?赤ちゃんの命を守るなら、大人の命も守るべきです」と。(たしか、その「市民団体」の名称は「命を守る女性の会」とか言っていたような気がします)でも先輩の女性はそれに対して何も答えることが出来ず、彼女も教団を離れる決心をしたそうです。 今、話題の『日本会議の研究』を読んでいるところです。(著者の菅野完氏御自身は生長の家や、その他の日本会議に習合した団体の関係者であったことはないようですが、よく調べて書かれていると思います)その菅野氏は自らを「保守」であると称されています。安保法制に反対したSEALDSの学生たちも「保守」であると内田樹氏が書いておられました。私自身も、自分は元来、保守的な人間であると思っています。そして「愛国者」でありたいとも願っています。私にとって「愛国」とは、第一にこの国に暮らす人たちの日々の生活が幸せであるように守ること、そしてそのために人々の生活の場である国土を守ること、そして人々が公正で平和な社会生活を営むための「国家体制」を守ることだと思っています。つまり国民のための国土の保守保全であり、国家体制であるということです。(まあ、「人間のためだけの地球ではない」という話もあって、それにも賛成はしたいのですが、今はややこしくなるので、あくまで「国家を形作る人間社会」に限っての話とします) しかし、今の政権は自分たちの理想とする「国家体制」を作るためなら、人々の生活が犠牲になることも厭わないように見えます。さらに、数十年に渡って他国の軍隊に国土の一部である島の、その最良の部分を占領、支配させて置き、そのためにその島に住む日本の人々が苦しむことになっても何と思っていなかったようです。その上、今度は国際的な大企業による国家主権の侵害、ひいては国家そのものの否定や、農業や地場産業と結び付いた民族文化の否定にもつながりかねないTPPを推進しようとしています。(アメリカの大統領候補でさえ、国民の大反対で全員が反対を表明せざる負えなかったというのに)そうした人々のどこに「愛国」があるのか私にはわかりません。私に言わせれば、あの人たちは愛国者でも保守主義者でも、そして「右翼」でもありません。
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