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2014年のソチ五輪で会場に掲げられた5つの輪〔AFPBB News〕
五輪史が如実に示す、日本開催がなくなる理由 "大運動会"程度の意義なら、実は失うものが多い五輪開催
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46891
2016.5.20 伊東 乾 JBpress
「スポーツと芸術の平和祭典」として万国博覧会に敷設されたアマチュア競技会というルーツを持つ近代オリンピックは、1896年第1回のアテネ大会から120年、様々な変転を繰り返してきました。
いまフランス、英国を中心に2013年ブエノスアイレスでのIOC総会で東京が2020年の開催地に選ばれた背景にアフリカ票取りまとめの贈収賄が濃厚に疑われ、電通を筆頭とする周辺企業の関わりも国際的には幅広に報道されるようになっています。
そこで「オリンピックとは何であったのか?」「それがどうしてこんなになってしまったのか?」「それは今後、どのようであるべきなのか?」といった基本的なポイントを整理してみたいと思います。
■スポーツと芸術の平和祭典
前回も記しましたが、古代ギリシャでのオリンピア競技会はオリュンポスの神々を祀る宗教祭典で、最古の記録は紀元前776年(以前)というのですから、日本では縄文人しかいなかった時代に端を発し、正確に4年に1度ずつ開催されてきたというのですから、その暦の学問技術水準の高さたるや、大変なものだったと言わざるを得ないでしょう。
オリュンピア競技祭が開かれる1か月の間は、全ギリシャ世界に使いが回り、その間は戦争があっても休戦するという伝統があったと言います。
また闘士競技パンクラティオンではルールが遵守され、特に相手の殺害は厳禁され、殺してしまった場合には月桂冠などの表彰は決して与えられなかった、逆に相手を降参させた直後に絶命したものには、死者に栄光の冠が与えられるといった、壮絶な側面も持っていたことが伝えられます。
日本で考えれば「お相撲」の起源と似ているでしょう。相撲の土俵の上には屋根のようなものが吊り下げられています。昔は柱が立っていましたが、テレビ中継が一般化してから房に取り替えられました。
あれは土俵が神殿の一種、つまり奉納相撲が神様に捧げられるもので、その勝敗は占いの一種と言えるほどに神意に託されたものと考えられていた。公正なものであった1つの証左と思います(お相撲の細かな伝統について通じているわけではありませんので、瑕疵があればご教示頂ければ幸いです)。
古代の神前でもお相撲のほか、神楽舞などのダンス、歌舞音曲の奉納があり、あるいはその技を競うような局面が古代の日本にもあったと思います。歌会なども同様の側面があるでしょう。
古代ギリシャのオリュンピア祭典も同様で、神の前に公正、フェアな勝負としてのスポーツ、そして神を称える讃歌などの芸術の技が披露され、競われ、全ギリシャがその期間中は戦役を離れてともにオリュンポスの神々の前で賛美を共にする、そういう儀礼競技として様々な種目や芸術の「平和祭典」が祝われてきたわけです。
古代オリンピックはローマ皇帝テオドシウスとミラノ司教アンブロジウスがキリスト教をローマ帝国の唯一国教とし(AD392年)、異教である古代ギリシャ教儀であるとして禁止された翌年の393年が最後とされています。
最初が紀元前776年、最後が紀元後392年、その間実に1167年間(紀元0年というものは存在しないので)、両端を考慮して4で割れば292回という気の遠くなるような期間、古代のギリシャ・ローマ世界全体に「つかの間の平和」をもたらす<宗教祝祭>として永続してきたのが、古代オリンピックにほかなりません。
で、このような古代オリンピックと同様、グローバル化が進展しつつあった19世紀末の地球で、再び「つかのまの平和祭典」によって帝国主義列強間の戦乱や紛争を防ぎ、5つの大陸(から「五輪」のシンボルマークが定められたのは第1次世界大戦以後のことで、まさに確信をもって世界)の<平和>のために、万国博覧会と並行して(というより当初はそのおまけのような形で)再開されたのが「近代オリンピック」の本来の動機だったわけです。
それが今のような腐敗に進んだのには、構造的な背景があり、それを理解しなければ現在の商業主義専横の状況の改善は難しいでしょう。
■世界大戦と国威発揚
当初の近代オリンピックは万博の添え物のような存在だったと言われます。初回のアテネ(1896)以降1900年パリ、1904年セントルイス、イレギュラーな1906年アテネ、1908年ロンドン、1912年ストックホルムと進んだ近代オリンピックは1916年第6回ベルリン大会が第1次世界大戦のため中止され、1つの転機を迎えます。
戦後の1920年ベルギーのアントワープで再開された近代オリンピックは、赤十字や国際連盟などと並んで世界大戦後の秩序作りを念頭に再度生まれ変わり、1924年パリと並行してフランス・シャモニーで「冬季オリンピック」が創始され、1928年夏季アムステルダム(オランダ)冬季サンモリッツ(スイス)1932年夏季ロサンゼルス+冬季レークプラシッド(共に米)と進む間に「黄金の1920年代」は世界恐慌を経て混乱と戦争の時代に突入していきます。
ここで<善くも悪しくも>画期的な役割を演じたのが1933年に政権を奪取したナチス・ドイツによる1936年のオリンピック、夏季第11回のベルリン大会と冬季第4回のガルミッシュ・パルテンキルヒェン大会だったわけです。
天才的手腕を持つナチスの宣伝相パウル・ヨーゼフ・ゲッペルス(Paul Joseph Goebbels)らが指導し、スポーツ選手はもとより、およそあらゆる分野のクリエーターが総動員されて作り出された「ベルリン・オリンピック」は、それまでの「万博の添え物から独立したスポーツ大会」というイメージを完全に一新し、膨大な官費を投入、まさに国威発揚の最大ステージとして、凄まじい成功を見せることになります。
前回も記した通り、それ以降のあらゆるオリンピックは内容的にはベルリン大会の二番煎じの模倣以外のなにものでもありません。誰もが当たり前と思っているオリンピックの聖火リレーも、ヒトラーやゲッペルスなどナチス指導陣が案出した意匠というのはご存知でしょうか?
アテネで聖なる火がともされ、それが東ヨーロッパ各国を順次リレーされて、最終的に「第三の千年帝国」ドイツの首都ベルリンのスタジアムにもたらされると、小さなトーチの炎がバッと広がって巨大な灯火となり、天を焦がすという凄まじく印象的な演出は、そのものずばりナチスの産物を現在まで踏襲しているのにほかなりません。
大したアイデアはなく規模だけ水増しして内実は下手くそな縮小再生産しかないので、ソウルのように無計画に飛ばした「平和の象徴」である鳩を聖火で焼き殺してしまったり、二番煎じばかりでろくなことができません。
そしてオリンピック終了後、まさに聖火リレーの順路を逆進してオーストリアから東欧、ギリシャまで、ナチス軍は欧州の東方戦線を広げていった。そういう歴史を知らずして聖火リレーだけ見て喜んでいてはいけません。
私はクラシック系統の音楽の人間で、ロック的な音楽のあり方に疑問を持っています。と言うのも20世紀後半、全世界に普及したロックコンサートなどのポップスイベントはすべからく、ベルリン・オリンピックに端的に見られるナチス・ドイツの大衆動員情宣の模倣に端を発しているからです。
戦後、米国や英国で誕生、成長した、大型アンプを用い大規模な会場で多数の観客を動員するライブ形式は、基本的なアイデアをナチスのビジネスモデルから借用していると言われます。
実際そうすることで戦後のポップスはよく儲かり、メディアの進展とともに瞬時にして全世界に普及しました。
「大衆情宣」という大原則の上に成り立っている、そういう基本的なことを意識せずに、お祭りに陶酔するのがいかに危険か、ホロコーストを筆頭にナチスの政策がどのような結果をもたらしたかを考えれば自明なことと思います。
やや1936年のベルリン大会に紙幅を割いたのは、実はこの次に「初めてのアジアでの開催」として計画された1940年夏の「東京オリンピック」冬の「札幌オリンピック」があるからです。
■幻の東京・札幌オリンピックとそのリバイバル
ナチスによるベルリン・オリンピックの次に計画されていたのは1940=昭和15年、アジアの盟主と見られていた日本で、初めて欧米以外での夏冬の五輪大会でした。
そして、これらは日中戦争、第2次世界大戦のために中止され、夏の大会はフィンランドのヘルシンキに付け替え、冬の大会はスイス、ドイツ、イタリアと幾度も付け替えられながら、結局戦争が終結するまで開催することができませんでした。
ここでの開催地の選定に、IOC(国際オリンピック委員会)の本来の精神を見て取ることができるでしょう。
フランスやドイツ、ベネルクス3国など現在のEU中枢に元来の根を持つ近代オリンピックが、再び世界大戦に突入する危機があった時期、夏の大会は連合国、冬の大会は日本からドイツ、イタリアと枢軸国の都市を開催地に、まさに古代ギリシャ以来の「つかのまの平和」を実現しようとして結局果たせなかった、涙ぐましい努力と失敗を見なければなりません。
結局、第2次世界大戦終結後の1948年にロンドン、52年にヘルシンキと夏の大会が、またスイスのサンモリッツとノルウェーのオスロで冬の大会が開かれた後、56年の冬にコルティーナ・ダンペッツォ、60年の夏にローマと旧枢軸国のイタリアが再びオリンピックの輪に加えられ、待ちに待った形で迎えたのが64年の東京夏季大会、そして72年の札幌冬季大会、そして同じく72年のミュンヘン夏季オリンピックだったわけです。
言わば30年を経てのリバイバルでした。
東京やミュンヘンのオリンピックには際立った歴史的な意味がありました。戦後復興です。第2次世界大戦後の国際秩序は「国連」つまり連合国側の文脈で進められた。その中で皮肉なことに人類史上最速最高の高度成長を遂げたのは、当時の西ドイツと日本だったわけです。
しかしドイツも日本も爆撃で一時は都市が灰燼に帰した。そんな焼跡の町に「世界平和の芸術文化の祭典がやって来る!」というニュースは、敗戦国民だった当事の日本人にどれだけの夢と希望を与え、また現実に都市のインフラストラクチャー整備など、具体的な成長の契機を与えたことか。
首都高速道路を筆頭とする道路整備、東海道新幹線、都心部の再開発、国際空港の整備・・・。
20世紀後半の日本という「国の形」を基本的に整える牽引役を1964年の東京オリンピックが果たしたと言ってもも決して過言ではない。
実は私はこの年に生まれているので、五輪自体は胎児として代々木のスタジアムに両親が行った程度で実際の記憶はありません。
しかし五輪計画を念頭に進められた「環状7号線」沿いの「中野」という田舎に生まれ(当事は近所の農家が牛など飼っていた)、幼児期は汲み取り式だったトイレが水洗に変わり、テレビは白黒がカラーになって驚き・・・という戦後日本の成長の夢を、1964年の東京オリンピック、70年の大阪万国博覧会(Expo70)そして72年の札幌オリンピックが主導していったのは間違いないと思います。
またこの当事、これらの行事はデザインや音楽など芸術面からも徹底した取り組みがなされました。
私たちの分野で言えば国内では黛敏郎、武満徹、湯浅譲二、松村禎三、一柳慧、高橋悠治あるいはまだ若かった近藤譲さん、海外からはカールハインツ・シュトックハウゼンやイァニス・クセナキスといった人々が参加し、大衆受けするイベントといった観点と明らかに一線を画した「人知にとっての芸術の最前線」を問う試みが多数なされました。
この時期に物心のついた私が、50年近く経って今もって(たぶん若い人から見ればそうとう「いまどき」ではない)「前衛」の孤塁を守るような音楽生活となった原点も、この時期のオリンピックと万博にあります。
こうした「戦後」が決定的に変質するのが1972年、ナチスの悪夢から四半世紀余を経て待ちに待たれたはずのミュンヘン・オリンピックで発生してしまったパレスチナ武装組織「黒い9月」によるイスラエル選手団11人の殺害事件、そして冷戦下の共産圏で初めて開催された「モスクワ・オリンピック」と、その反発によって引き起こされた「ボイコット」だったと思います。
これらは一方で開催都市への負担を増やし、他方で政治とオリンピックの特異な結びつきを強化し、1980年代以降のオリンピックが変質、端的に言えば金権体質に変質していく、大きな転機となってしまったと思います。
ミュンヘン・テロ以降今日に至る五輪の変遷は次稿に譲るとして、今回の末尾では今の東京でオリンピックを開いて、いったいどういうメリットがあるか、読者の皆さんにも考えていただきたいと思うのです。
「非国民」扱いされるかもしれませんが、2013年時点で私は「イスタンブール」での五輪開催を支持していました。
善くも悪しくも五輪利権と縁の薄い音楽家・一個人として「初のイスラム圏での五輪開催」には「つかの間の平和」をもたらすうえで、1990年代以降の国際紛争情勢を見るに、明らかにメリットがあると思います。
無論テロの警護などは大変でしょう。しかしトルコであれば(1964年の日本ほどではないにしろ)五輪開催に伴うインフラストラクチャー整備のメリットもあるのではないか、と思われます。
同様のことは2016年のリオ・デ・ジャネイロ大会については、より強くそう思いました。「初の南米大陸での開催」また「新興国での開催」は、やはり様々な困難があるにせよ、歴史的な価値や役割は明らかにあると思います。
ただ、現実のリオでの状況は、聞き及ぶ限り予想以上に難問続出、そんなに簡単なものではなかったのも事実でしょう。
すでに時間切れになっていることから、2020年には何にせよ東京で五輪は開かれる公算が高い。しかしその内実は恐るべき程度に無内容で空疎です。
単にアスリートが競技の技を競うというのであれば、各々の選手権があるわけで、五輪は明らかにそれらの集合体を超えた価値、端的には人類の平和共存とローカル&グローバル社会の繁栄、文明文化の発展推進など、はるかに高い理想をもって創始され、また1964年の東京ではその役割を果たしました。
皆さん、お気づきでしょうか?
1972年にパレスチナ・テロがあって以降、この44年間ドイツではオリンピックは夏冬ともに開かれていません。
この間、悲願だった東西ドイツ統一などもありましたが「オリンピックで国威発揚」などする必要がない以上に、統一ドイツを含むEU経済の心臓部としてドイツは稼働し続けなければならず、五輪開催は得るものより失うものの方が大きい可能性を「ミュンヘン・オリンピック・テロ事件」という巨大な影は投げかけ続けています。
実のところミュンヘンは2018年の冬季オリンピックに手を挙げ、史上初の夏冬双方の五輪を1つの都市が開くという形で1972年のリベンジを図りましたが、韓国の平昌に敗れてしまっています。
2020年の東京である種のテロ事件が起きたら、たぶん本当の日本で開催されるオリンピックは最後になるでしょう。少なくとも50年規模ではもう再び開かれることはない。ドイツの例が雄弁に示している通りです。
むしろ、平和がや安全が確保される限り、国家や都市が発展の契機を待っている新興国や途上国、歴史に資する場での開催が望ましいことは、ご当地エゴや営利目的と無関係にこの問題を見る人すべてが認めるところと思います。
海外の報道は、要求された賄賂をトルコ側は払わず、日本は支払い、その結果イスタンブールが敗退したとも伝えています。
上に記したような「全人類の強調発展」を願ってトルコを推していた関係者の堪忍袋に決定的な火がついて今回の英仏からのリークにつながっている可能性があると思います。と言うのも、現在のような草刈場には、五輪本来の価値も未来も何もないから。
アテネ、北京、ロンドン、21世紀に入ってから開催された五輪が、当地に残したものがいったいどんなものだったか・・・。
通貨危機の元凶まで引き起こすに至っている「五輪なるもの」そのものへの疑問すら、実のところ湧き上がっており、真に意識あるIOC中枢は十分それらに配慮しつつ、体質浄化と建て直しを図っているようにも聞き及びます。
現在国内で、とりわけメディアが宣伝広告する「運動会」ベースの議論とかけ離れた、値引きのない議論を、「サマランチ時代」の腐敗とともに引き続き考えてみたいと思います。
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