他のスレにも投稿したものですが・・・ 私の闇の奥 [号外] オバマ大統領は反核でない (2010年2月17日) http://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru/e/63e223750a615308be17b7a576e0de98 -----------(一部転載)--------------------------- しかし、私に最も強い印象を与えたのは、「Bulletin of the Atomic Scientists (原子科学者公報)」という大変権威のある定期出版物に掲載された、2010年2月4日付けのグレッグ・メロ(Greg Mello)による論文『The Obama disarmament paradox (オバマ軍縮パラドックス)』です。日本でも、反核関係の方々の多くは読んでおられると思いますが、一般の方々にも是非読んで頂きたいものです。以下には、その始めの部分を訳出します。: ■ 昨年4月、プラハで、オバマ大統領は、大幅の核軍縮を公約したものと多くの人々が解釈した講演をおこなった。 しかしながら、今や、ホワイトハウスは核弾頭出費の歴史で大きな増額の一つを要請している。もしその要請の全額が認められると、核弾頭出費はこの一年で10%あがり、将来にはさらなる増額が約束されることになる。オバマの大盤振る舞いの最大の目標であるロス・アラモス国立研究所は、1944年以来最大の、22%の予算増加を見ることになるだろう。とりわけ、新しいプルトニウム“ピット”製造工場コンプレックスに対する出費は2倍以上にのぼり、今後10年間、新しい核兵器の生産に打ち込むことを明確に示している。 こうなると、オバマ大統領の予算と彼の核軍縮ヴィジョンとは矛盾しないだろうか? 答えは簡単である:オバマがそうしたヴィジョンを持っていた、あるいは、一度だって持ったことがあった、という証拠は何もない。彼はプラハでその趣旨のことは何も言わなかった。そこでは、彼は、“核兵器のない世界を求めたい”という彼の思い入れについて語っただけだ。あの抽象のレベルでは、とても新味があるとは言えない漠然とした希求に過ぎない。その一方で、彼は、アメリカ合州国は“如何なる敵対行為をも抑止し、我々の同盟国の防衛を保障するための安全に守られた有効な核兵器の備蓄を維持するであろう”と言明した。■ 術語の説明一つ。プルトニウム・ピットというのは、水素爆弾(熱核爆弾)の中にある起爆装置で、これで核分裂を起こして、そのエネルギーを使って水素の核融合反応を起こさせます。 上の論文の著者グレッグ・メロは、1989年、ロス・アラモス・スタディ・グループ(LASG)を創設し、以来、核軍縮とそれに連関する諸問題についての信頼できる情報をジャーナリズムに提供する仕事に従事している、元水理地質学者です。ニュー・メキシコ州環境庁の上級役人を務めた経験も持っています。LASGのウェブサイト(http://www.lasg.org/)を見ると、オバマ政権による核兵器関係予算の急激な増大の詳細が分かります。 -----------(転載終わり)--------------------------- 苫小牧福音教会 水草牧師のメモ帳より 歴代自民党政治家たちの核武装発言と原爆投下直後の長崎 http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20120702/p1
-----------(一部転載)--------------------------- 1954年、3月1日ビキニ水爆実験の何と翌日に、科学技術振興追加予算として原子炉築造のための2億3500万円が提出された(この額はウラン元素数字235から取られたとも言われる)。予算提出の首謀者は、改進党の中曽根康弘議員。提案趣旨演説を担当した同じく改進党の小山邦太郎議員は、「近代兵器の発達はまったく目まぐるしいもので(中略)、米国の旧式な兵器を貸与されることを避けるがためにも、新兵器や、現在製造の過程にある原子兵器をも理解し、またはこれを使用する能力を持つことが先決問題である」と、原子力と軍事の問題を露骨に語り、議会を通過した。 1957年5月7日、岸信介首相は参議院予算委員会で「核兵器という名前がつくだけで皆が憲法違反であるというが、そうした憲法解釈は正しくない。今後の発展を見ることなく核兵器という名がつくだけで、どのようなものも駄目だとするのは一律的に言うことはできない」と述べた。彼はまた同年の外務省記者クラブにて、核武装合憲論を打ち出している。すなわち「核兵器そのものも今や発展の途上にある。原水爆もきわめて小型化し、死の灰の放射能も無視できる程度になるかも知れぬ」、「現憲法下でも自衛のための核兵器保有は許される」と。また彼は1958年に東海村の原子力研究所を訪問しているが、そのときのことを回顧録で、「原子力技術はそれ自体、平和利用も兵器としての使用もともに可能である。どちらに用いるかは政策であり国家意思の問題である」と記している。 増田防衛庁長官は1967年12月20日、参議院予算委員会で、「戦術的核兵器は外国に脅威を与えるのではなく、本土を守るためのものなので、保有することができる」と述べた。 高辻内閣法制局長官は1968年2月10日、参議院予算委員会で「核兵器はもってはならず、通常兵器は持っても良いと憲法に規定されていない。憲法に・‥戦力を保有しないという規定がある。しかし、現在、自衛隊法にもとづいて自衛隊が存在している。・‥自衛隊が憲法上、容認されるという解釈、まさにそれが兵器にたいする解釈でもある。すなわち、核兵器とその他の兵器は、憲法上では何の区別もない」と述べた。また彼は、核兵器を防御用と攻撃用に分ける基準はその威力や攻撃力ではなく、それが大陸まで到達できるものであるとしても、日本国民を守るためのものであるならば防御用兵器であるとするのが政府の立場なのか、との公明党の伏木議員の質問に、「大体、そのとおりである」と答弁した。 倉石農林相は1968年2月7日の記者会見で、「若い世代のために平和憲法を修正すべきであり」、「日本も原子爆弾と30万名の軍隊をも持たなければならない」と述べた。 1968年6月13日、自民党の菊池議員は衆議院内閣委員会で、「非核三原則について言うほど馬鹿なことはない。時と場所によって核兵器を持つ必要が生じるものである。もし、日米安保条約が破棄され自力で日本を守らなければだめな場合が到来すれば、原子爆弾も水素爆弾も持たなければならない」と述べた。 1968年3月14日、岸元首相は中部経済団体連合会で、「現実的に近い将来に核兵器がなくなる可能性はなく、今後、現在の通常兵器が過去の竹やりのような存在」になることが予見される実情で「わが国が核武装することは当然である」と述べた。現職の首相から退いた岸氏が個人の資格で述べた発言は、彼が首相に在職中のときの本心をそのまま露わにしたものである。 日本が「非核三原則」を堅持すべきだと主張したことによって「ノーベル平和賞」まで授与された佐藤首相は、1969年6月2日の衆議院本会義で、「非核三原則というのは政策が変わったり内閣が変わったりすれば いつでも変更できるものである」と述べた。このことは、特に深刻に受け止めるべき問題である。 1969年に外務省で作成された『我が国の外交政策大綱』には、「核兵器については、NPTに参加すると否とにかかわらず、当面核兵器は保有しない政策をとるが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持するとともにこれに対する撃肘(せいちゅう)を受けないよう配慮する」という記載がある。 自民党の石原慎太郎議員は、日本が今後、大国と「対決するにあたり対等な外交的地位を確保するためには、昔風に言えば『大鑑巨砲主義』に進むべきであり、現在の『大鑑巨砲主義』は核兵器以外にない」と述べ、われわれが英国やフランス程度の核兵器を持たなければ、相当大きな譲歩をしなければならない事態が必ず生じるであろう」とした(『国防』1969年11月号)。 -----------(転載終わり)---------------------------
|