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衆参ダブル選挙は、憲法違反である。(永田町徒然草)
http://www.asyura2.com/16/senkyo205/msg/658.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 5 月 07 日 22:55:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

衆参ダブル選挙は、憲法違反である。
http://www.liberal-shirakawa.net/tsurezuregusa/index.php?itemid=1768
16年05月07日 永田町徒然草


衆参ダブル選挙の有無が話題になっている。“解散”に触れるとくだらない政治家や評論家の発言でも大きく取り扱われるのは昔も今も同じである。しかし、「衆議院の解散・総選挙が何時行われるか」などということは、政治的にほとんど意味がない。その選挙で政府が何を国民に問い、国民がどのような審判を下すのかということが、政治的に意味のある発言なのだ。ところが相変わらず、衆参ダブル選挙の有無を、さも重大そうに発言している政治家や評論家が多くいる。そういう輩に次の小論文を読んで聴かせたいものである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

       衆参同日選は、権力の自殺行為

選挙の技術的利点や党利党略、政界のどから衆参同日選の有無が話題となっている折、国権の最高機関たる国会の一翼を担う衆議院の一員として、権力の論理と倫理の面から考察してみたい。

《 権力の論理 》
「最悪の政府といえども、無政府状態よりましである」
 権力の必要性と存在理由を喝破した言葉である。このこと故に、実に多くの残虐にして理不尽な権力が存在してきたことか!
 歴史は進歩し、被統治者の同意のない統治は許されなくなった。即ち、民主主義である。しかし、個々の統治の行為に、個々の国民の同意を必要としたのでは、統治にはならない。統治=支配の本質は、国民に対し、個々の国民が同意しないことでも強制することにある。
 これが権力の論理であり、本質である。民主主義社会における権力といえども、この本質はいささかも変わらない。

《 権力の倫理 》
 権力の論理・本質がこのようなものであったとしても、いかなる権力といえども、その正当性を求める。正当性の保持に努めない権力は堕落し、崩壊する。権力の正当性保持のためになす努力が、権力に求められる倫理なのである。
 民主主義社会における権力には、他の政治形態に較べ、この倫理が強く求められる。被統治者の同意ある統治が民主主義の本質だからである。

《 わが国の権力の正当性の根源 》
 日本国憲法は、
●国会は、国権の最高機関である(四十一条)
●国会は、衆議院および参議院の両議院で構成する(四十二条)
●両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する(四十三条)
と定める。
 わが国の国家権力の正当性の根源は、衆議院および参議院の選挙の結果に求められる。選挙の結果とは、両議院において獲得された議席数であることはいうまでもない。

《 権力の正当性が瓦解する 》
 衆参同日選挙が行われた場合、衆議院と参議院の選挙の結果は同一とはならないであろう。少なくとも同一となる保証は何もない。それは、選挙制度の違いからして避けることは難しい。
 衆参同日選が行われ、衆議院と参議院の選挙の結果が違った場合、いずれが国民の本当の意思かという問題が生ずる。
 衆議院の選挙の結果が国民の意思だといえば、参議院の選挙の結果は否定され、参議院の権威は失墜する。この逆も同じことである。
衆参同日選は、わが国の権力の正当性の根源たる衆議院もしくは参議院のいずれかの権威を決定的に失墜させるおそれがある危険な行為である。
 内閣が自から求めて衆議院を解散し、衆参同日選を行うことは、権力の正当性の保持に努めなければならない権力者の倫理にもとる行為と断言せざるを得ないのである。
    昭和61年6月
                    衆議院議員  白川勝彦

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  

いきなり小難しい文章を読んで頂いて失礼した。この小論は、昭和61年初夏、中曾根首相が画策していた「衆参同日選挙」(後に"死んだふり解散"といわれる)を批判するために私が発表した意見書である。この「衆参同日選挙」は、結果として自民党の地すべり的¢蜿氓ニなり、中曾根首相以下党執行部の得意満面の中で、すべての批判は葬り去られ、私の主張も歴史のなかに埋没してしまった。

しかし、私の主張はその後も全く変わることはない。衆参ダブル選挙は、私に言わせれば"権力の自殺行為"となる惧れがあり、国家や権力の正当性を何よりも大切にしなければならない日本国憲法下の総理大臣が断じて行ってはならない行為なのである。いま多くの憲法学者が政治や選挙に参加している。その中で衆参ダブル選挙が話題となっているが、そういう人々からも衆参ダブル選挙の法的問題性が言われないのが私には不思議である。ぜひ検討を願いたいものである。

さてアメリカではトランプ氏が共和党の大統領候補に指名されることが確実となった。今度のアメリカの大統領選挙は、今まで以上にわが国だけでなく世界中から関心を集めるだろう。アメリカがどう変わるかは、アメリカ国民が決めることだ。しかし、アメリカがこういう風に変わりたいといっても、世界がアメリカのいう通りになるとは限らない。

ゴールデンウイークもこの土日で終わる。10連休なんて人もいたようだが、そんなに休んで大丈夫な人はごく恵まれた人々なのであろう。アベノミクスなどといって浮かれているのは、安倍首相とその妄信的信者だけである。連休中ヨーロッパとロシアを歴訪した安倍首相が、世界にもアベノミクスが必要だと宣(のたま)ったそうである。「バカも休み休み言え」とぶん殴りたくなる。

それでは、また。

 

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コメント
 
1. 2016年5月08日 08:43:13 : OkXopCDtCI : A8c@zeLIHq8[97]
>「バカも休み休み言え」とぶん殴りたくなる。

だからゴ−ルデンウィ−クに行ったのだろう。
頭がウィ−クな総理だもん。アイムソ−リ。ちゃん ちゃん。


2. jk[641] goqCiw 2016年5月08日 21:31:44 : tceVB0iwr6 : FXeuvvWT7ac[77]
解散権は総理の専権事項であり、嘘つく事も許されると、参議院選挙と同日選挙の有無を評論家、マスコミは当然の如く語っている。

自分は同日選挙には必ずしも反対ではないが投稿者の憲法の条文から権力の行使の論理性、倫理性からその正当性に反するという見解を支持する。

解散権も総理の専権事項とはいえ、その行使には論理的、倫理的正当性を求めるべきと思う。例えば、多くの国民が反対し違憲と言われる安保法案の賛否を改めて争点にして国民に問う様な正当な理由ある場合等に認めるべきである。
況や、嘘をついて抜き打ち解散をするような事は選挙の平等にも反するし民主政治にも反する行為と思う。


3. 2016年5月09日 13:27:31 : w7SikJBrCI : DM3x@Az4RSM[69]
>解散権も総理の専権事項とはいえ、

誰がそのように「いえ、」なのだろうか。その根拠は第7条と「される」が7条を見てもらいたいものだ。天皇の国事行為が10項目記載されていてその3番目に衆院解散があるだけだ。そして「内閣の助言と承認により」と書かれている。これを、御用学者が屁理屈をつけて解散権を首相が持っていると言っているのだ。

しかし、その考え方だと1番目の「憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。」は首相が憲法改正の権限を持っていることになる。こういえば、反論が来て、「いやいやその部分は"公布すること"と明記されているから改憲はできないが、3項はその明記がないから解散そのものを指している」と言われる。それに対して「3項の本来の意味は"公布すること"の意味だ」と言えば「法律の文章なのだから(法律ではなく憲法なのだが)厳密に文章どおりに解釈すべきだ」とかなんとか言って(9条では文章どおりに解釈しない人が)首相の任意解散権を認める詭弁を展開する。

日本国憲法は(国民の民主主義思想の水準は別として)世界に冠たる民主的憲法と言われるが、もし、首相が任意に自分に有利と考えられる時に解散できるのだとしたらそれは「国権の最高機関」の否定であり明らかに民主主義に反することだ。7条解散を肯定する人は「日本国憲法は非民主的憲法だ」と言わねばならないはずだが彼らにその意識はない。要するに自分の頭で何も考えず、マスゴミのいう「解散は首相の専権事項」をテレコのように口ずさんでいるだけで、その専権事項と民主憲法が両立し得ないことに思考が及んでいないだけなのだ。


4. 日高見連邦共和国[1438] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2016年5月10日 17:14:32 : IeaB3HQJJg : 1uIcocViqWs[522]

>>03

パチパチ、正解!!


5. jk[643] goqCiw 2016年5月11日 14:59:42 : tceVB0iwr6 : FXeuvvWT7ac[79]
NO3さんへ

確かに、憲法解釈的に言うと貴方のように解釈もあり、それが正しい解釈かもしれません。
一方、憲法上の解散権は内閣にあリます。しかし閣議は総理大臣が開き、最終的決定権も総理大事にあり、反対する閣僚の罷免も可能です。故に一般的には解散権は内閣総理大臣にあると言われてるのでしょう。

そのうえ、解散権は他国の憲法とは違い日本国憲法では解散権を限定した既定はないといわれてます。そのような解釈で、過去解散が行われて来てるのも事実であり、解散権は総理の専権事項というのも間違いとは言えないと思います。

確かに、解散は衆議院議員の身分を奪う行為でもあり国会の一院としての機能を奪う行為でもあります。他方それは新たに国民の民意を問うという民主行為でもあると言えます。

ですから、解散権が総理の専権事項だとしても、それを行うには権利行使の正当性と倫理性を兼ね備えた民主政治に相応しい理由を調整弁として必要と自分は思っています。


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