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NHKは『とと姉ちゃん』のモデル・大橋鎭子の戦争反対の思いを描くことができるのか?(リテラ)
http://www.asyura2.com/16/senkyo205/msg/632.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 5 月 07 日 11:00:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

              NHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』番組サイトより


NHKは『とと姉ちゃん』のモデル・大橋鎭子の戦争反対の思いを描くことができるのか?
http://lite-ra.com/2016/05/asyuracom-2222.html
2016.05.07. 『とと姉ちゃん』戦争反対の思い  リテラ


 4月からスタートしたNHK連続ドラマ小説『とと姉ちゃん』が絶好調だ。視聴率はスタートから20%台をキープし、最高24.6%をマーク(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。平均視聴率23.5%を記録した前作『あさが来た』超えも期待されている。

 このドラマの主人公・小橋常子のモデルとなっているのは、戦後、雑誌「暮しの手帖」を創刊した大橋鎭子氏。「暮しの手帖」といえば伝説の編集長・花森安治氏(ドラマでは唐沢寿明が演じる)が有名だが、女性に向けた生活雑誌をつくろうと最初に提案したのは、この大橋氏だった。

『とと姉ちゃん』でも描かれているように、大橋氏は早くに父を亡くし、それからは母と2人の妹との生活を守るために奮闘。親交のあった作家・柴田錬三郎はそんな大橋氏のことを〈仕事はもちろん、日常茶飯事にこれほど重宝な人間は、またとあるまいと、おもわれるオール・マイテイの女だつた〉と評している。

 ファッションページでは自らモデルをつとめ、着物から直線裁ちでつくることができる普段着を提案。「誰にでも必ず出来る」料理記事や、「暮しの手帖」の代名詞ともいえる消費者目線の「商品テスト」企画、そして戦後、市井の人びとの生活に寄り添う雑誌をつくってきた大橋氏。じつは、この雑誌の誕生には、花森氏と大橋氏の確固たる思いがあった。

 それは、「戦争に反対しなくてはいけない」というものだ。

 まず、大橋氏が女性のための出版物を、というアイデアをもったのは、終戦直前のことだった。

〈戦時中の青春期、彼女は防空壕に身を潜め、平和な時代が訪れたなら、何をして生きようかと考えました。男の人に使われる仕事では、家族みんなを養えない。わたしは自分で事業を起こして、家族を幸せにしよう。そうだ、女性のために、暮らしの知恵が詰まった本を作るのはどうだろう〉(暮しの手帖社『暮しの手帖別冊 しずこさん』より。以下同)

 大橋氏は真珠湾攻撃が起こった1941年に日本読書新聞社に入社。そのときの編集長・田所太郎氏に、終戦後、女性のための出版がしたいと相談したところ、花森氏を紹介された。大橋氏の話を聞き、出版を手伝うとその場で決めた花森氏は、数日後、「君がどんな本を作りたいか、まだ、ぼくは知らないが、ひとつ約束してほしいことがある」と大橋氏に話したという。

「それは、もう二度とこんな恐ろしい戦争をしない世の中にしていくためのものを作るということだ。戦争は恐ろしい。何でもない人を巻き込んで、末は死にまで追い込んでしまう。戦争に反対しなくてはいけない。君はそのことがわかるか」

 またあらためて詳しく触れたいが、花森氏は戦中、大政翼賛会の宣伝部に属し、かの有名な「ぜいたくは敵だ!」というスローガンも花森氏の作だったといわれる。花森氏は、自分には戦争への責任がある、と感じていたのだ。

「君も知っての通り、国は軍国主義一色になり、誰もかれもが、なだれをうって戦争に突っ込んでいったのは、ひとりひとりが、自分の暮らしを大切にしなかったからだと思う。もしみんなに、あったかい家庭、守るに足る幸せな暮らしがあったなら、戦争にならなかったと思う」

 この花森氏の言葉に、大橋氏も頷いた。〈女の人のための雑誌を作って、温かな暮らしを大切にすることを提案し、二度と戦争をしない世の中にしたい〉という思いから、「暮しの手帖」は生まれたのだった。

 こうした思いは、当然、誌面にも反映された。暮らしの提案だけではなく、1968年8月1日に発行された号では、読者から手記を募って「戦争中の暮しの記録」を特集。それは、〈特別な人や大きな事件ではなく、名もない市井の人々が、戦争の間、どんなふうに生きていたのか、どんな苦労をしてきたのか、その小さな事実をひとつひとつ残しておかなければならないという思い〉から生まれた企画だ。一号まるまる使った大特集にしよう、と言ったのは、大橋氏だったという。

「戦争は悲しい」。これは84年に発行された「暮しの手帖」2世紀91号(「暮しの手帖」は100号ごとに1世紀とカウントする)の記事タイトルだ。戦地に送られて命を落とした人、空襲によって被害を受けた人、そして他国で人びとを傷つけ、同じ思いをさせてしまったこと──何を切り取っても戦争は悲しい、その一言に尽きる。

 だが、そんな当たり前のことが、いまのこの国では当たり前ではなくなってきている。「有事に備えて戦力を強化しよう」という声は大きくなり、自衛隊員は遺書を強要され、総理大臣はじめ時の政権は先の戦争を美化しようとさえしている。

 そんな時代にあって、大橋氏や花森氏が「暮しの手帖」創刊に込めた思いを、いま一度振り返ることは重要だ。ひとりひとりの暮らしを大切にしたい。でも、武器を手にして威嚇したり攻撃することでは決してわたしたちの暮らしは守られない。だから戦争はいやだと反対しつづけるのだ。

 前述した特集「戦争中の暮しの記録」は、1969年の終戦の日に単行本化されたが、そのあとがきに、こんなメッセージが綴られている。

〈たとえぼろぼろになっても、この一冊だけは、これからあとに生まれてくる人のために残しておきたい〉

 大橋さんは83歳まで社長を、92歳まで社主を務め、2013年に93歳でこの世を去った。前掲書『暮しの手帖別冊 しずこさん』では、〈わたしたち社員は、誰も彼女を「社長」や「大橋さん」とは呼ばず、「しずこさん」と呼びました〉と書いてある。──『とと姉ちゃん』は、戦争の体験から生まれた「暮しの手帖」という雑誌と、“しずこさん”の思いをどこまで描くことができるのか。期待して見守りたい。

(水井多賀子)

 

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コメント
 
1. 日高見連邦共和国[1373] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2016年5月07日 11:40:56 : tsXSIcNyYQ : k2SCtJak7u8[14]

まあ、“無理”だと思います・・・

2. 2016年5月07日 11:48:58 : kvUgogWjPs : VFxVB_xFW1Y[22]
前のドラマは『銀行制度』の美化に使われた。反吐が出る。
戦争の話では兵隊にとられた従業員のことを『お国の為だから仕方ないですね』と一言で片づけていたのは見た。おいおいと思ったけど、全話見たわけではないので、戦争の恐ろしさをちゃんと描いていたのかどうかは知らない。

戦争否定が朝ドラの必須要素だったと思ってたが、もし今回完全無視されたなら、明らかに籾井の差し金によるものだろう。

心配はいらない。今回もまた、五代友厚のような役どころにいい男を入れれば、女どもから批難の声は出ないだろう。


3. 2016年5月07日 12:00:40 : w9iKuDotme : S@BYVdB2dgc[2105]
南スーダンで少年兵を殺すだけの簡単なお仕事です。
https://twitter.com/touzailine05/status/728426658286338048/photo/1

ぜったいにトラウマになるだろうな。あるいは戦闘中毒。


4. 2016年5月07日 15:06:52 : 3VbCQUYwdw : N6p_TNO57dI[308]
籾井臭ふんぷんと臭う前作だった。
子供を産んではお国のため、女子の教育もお国のため。
主人公の学校において教育科目に家政科とか、国文科だの要するに修身の域を出ないと嘆く女学生の疑問もあっさりスル―。
まあいいんじゃない、の空気。
働かない夫にも、そこは男をたてての旦那さま、常にいとしい旦那さまから話が外れることなく終わった。

明治元勲は常に理解があり、素晴らしい人物像。
何より癖ものと思ったのは明治期数度の戦争があったにもかかわらずその影は薄く、姉の息子が応召される場面が唯一。
かつて御馳走さんでは一般国民の受ける戦争被害について多くの描写があったが、
その一つが海軍を志願した次男の戦死である。
同じ役者を使い同じく次男坊の設定で戦地へ赴くのであるが、それが事もなげにひょっこりと還ってくる。
いったい何のために挿まれたストーリーだったか。
勘ぐれば戦争に行ったとしても全員が不幸になる訳じゃないよというメッセージを忍ばせたかったのかとも思う。
いや、大いにありうる。
どうやら籾井がお気に入り肝いりで、視聴率が上がったのがよほどうれしかったらしく「逆に大河の方はさんざんだったのが」これで大いに憂さを晴らしたNHKがメディア各方面に流したらしいニュースがネットを始めいたるところで目につきうんざりだった。


5. 2016年5月07日 19:58:34 : xQoZn42Pr2 : 2ydlNWODHRI[387]
無理だろ

6. 2016年5月08日 17:27:35 : Tt0uTzH0a2 : z@wAMLqS500[5]
無理だね。
前作の「あさがくる」の主人公のモデルも婦人会が当初戦争遺児の救済が目的だったのが、だんだん戦死の顕彰のような運動に変質したことにかなり批判的だったらしい。
でもそんなことドラマに出てきたか?

7. 2016年8月14日 15:22:34 : va08gOPL3I : 5@3e5qOxUoU[2]

筆子ジャーナル

何でも捨てる私が暮しの手帖社の『すてきなあなたに』は断捨離せずに持っているわけ

2015.03.30
http://minimalist-fudeko.com/suteki-na-anatani/ 抜粋


"
>私の心にふかくしみこんでいった、いろいろのことを、そのときどきに思い出しては、すこしずつメモにかきとめることを、はじめました。
"
>そのメモを中心にできたページが「すてきなあなたに」なのです。

かみさまの白い本

5/1/15

すてきなあなたに

Posted by Azusa K.
http://whitebookofmygosh.blogspot.jp/2015/05/blog-post.html 抜粋


>久しぶりに読んでみると
日本語の美しいこと…
日本の「正しい」礼儀正しさの美しいこと…
それがまぶしくてまぶしくて
思わず涙が出てきました。

>今現在、普段にはとても使われない言い回しが多いですが、
なんだかそれが妙に温かくて、
愛する人達と暖炉の前に集まっているような
陽だまりの中で風と鳥の声を聴いているような
言いようも無い安心感に包まれました。

すてきなあなたに単行本– 1994/9

大橋 鎮子(著)
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%99%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%AA%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AB-%E5%A4%A7%E6%A9%8B-%E9%8E%AE%E5%AD%90/dp/4766000048

えむえむNEWS

とと姉ちゃん小橋常子のモデル|大橋鎭子・花森安治の生涯と結婚
http://話題・.com/oohashi-hanamori.html 抜粋


>除隊後は、大政翼賛会(たいせいよくさんかい)に籍をおいて、国策広告を担当。
当時の代表的なキャッチコピー「欲しがりません 勝つまでは」は花森が考案したものと言われているが、実際は
応募された作品の中から花森が採用した。

>森さんは、『女性の気持ちを理解するため』に髪をのばして、おかっぱ頭になり
スカートをはくようになりました。そしていつしかその姿がトレードマークとなります。

>そのためか、時には女性に間違われる事もあったといいます。

>花森さんは男性ファッションとしてスカートの選択肢があるべきと主張。
現在、男性のスカートは『メンズ・スカート』として認識され、お洒落で個性的な男性が好むファッションです。

>花森さんは、日本のメンズ・スカートを取り入れたファッションの先駆者的な存在とも言えるかもしれません。


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