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財政再建は厚生労働省の解体から始まる
戦時体制から続く家父長主義を清算するとき
2016.5.6(金) 池田 信夫
現在の日本経済が直面している人口問題の最大の原因は戦時中に遡ることができる。(写真はイメージ)
自民党で、厚生労働省の分割論が浮上している。小泉進次郎氏ら若手議員を中心とした「2020年以降の経済財政構想小委員会」で、厚労省のあり方の議論を始めた。小泉氏は「行政のあるべき姿として厚労省が今のままでいいとは誰も思っていない」と組織の見直しに強い意欲を示し、5月中にも分割案をまとめるという。
塩崎恭久厚労相は「行政改革で1つの官庁を狙い撃ちにするのはおかしい」と反発しているが、稲田朋美政調会長は小泉氏をバックアップする構えだ。厚労省の破綻した社会保障システムこそ、財政赤字の元凶だからである。
社会保障の赤字の穴埋めが政策経費の半分以上
社会保障給付は、2015年度で約110兆円。これに対して社会保障特別会計には65兆円しかないので、一般会計から社会保障関係費31.9兆円を支出している。厚労省一つで一般会計の総額を超える110兆円もの予算を管理し、その3分の1が赤字という異常な状態だ。
この社会保障関係費はまぎらわしい名前だが、社会保障特別会計とは別の赤字補填である。これが一般歳出(国債費・地方交付税を除く政策経費)57.8兆円の半分を超えている。急速に進む高齢化で、政策経費の半分以上が社会保障の赤字の穴埋めに食われていることが、財政危機の最大の原因だ。
公共事業のような裁量的経費は、インフラ整備が行きわたれば減り、公共事業費は今は6兆円しかない。それに対して社会保障給付のようなエンタイトルメント(定額給付)は、何もしないと受給者が増えるにつれて増え続け、野党も止めようとしない。
日本の金融資産の60%は60歳以上がもっている。たしかに所得は年金になると現役のときより減るが、資産ベースで考えると、今の年金制度は貧しい現役世代から豊かな高齢者に逆分配している。
しかも高齢者はその資産をほとんど使わず、消費意欲のある現役世代は可処分所得が低いので消費も落ち込む。今の政府債務を返済するには、将来は消費税は30%近くまで上げる必要がある。それに備えて現役世代が貯蓄していることが、今の消費不況の原因だ。
戦時体制でできた「社会政策」
厚生省ができたのは、日中戦争が始まった直後の1938年である。最初に陸軍が、兵士の「体位向上」をはかるための「衛生省」を提案し、それを受けて一般国民の「厚生」の向上をはかるために設置された総力戦体制の一環だった。
大恐慌で農村が疲弊し、これに怒った青年将校がクーデタを起こした。特に大きな衝撃を与えたのは、1936年の二・二六事件だった。このとき広田内閣の社会局長は、次のように書いている。
わが国の経済は非常に発展し、資本家の力は伸びたが、その半面貧富の差がひどくなり、社会情勢は逆に悪化の傾向をたどっているということであった。[・・・] 私は社会局長官として、この社会不安を取り除くため、強力な社会政策を打ち出すべきことを痛感した。(『厚生省二十年史』)
このような「農村社会政策」の一環として国民健康保険ができ、内務省の外局だった社会局が衛生局とともに分離されて厚生省となった。それが設立された5日後には、近衛文麿首相が「爾後国民政府を対手とせず」と表明し、日本は日中戦争の泥沼に入ってゆく。
近衛は戦争に「国民一体」となることを呼びかけて社会政策を推進し、1941年には労働者年金(のちの厚生年金)が設立された。その短期的な目的は戦費調達だったが、最大の目的は産業戦士の士気の向上だった。軍人恩給があるのに労働者には老後の保障がないことを無産政党が批判し、「革新官僚」がそれに応じて年金制度を創設したのだ。
これはイギリスなどの「福祉国家」とは違い、国民を戦争に動員する体制だった。その理論的リーダーが大河内一男で、彼はマルクス的な「疎外」を国家が解決する手段として社会政策を提唱した。厚生省と左翼の家父長主義は、戦前からつながっていたのだ。
厚生省は兵士を増やすために「産めよ殖やせよ」の人口政策を取ったが、これは戦争に間に合わず、終戦直後に(復員兵や植民地からの引き揚げなどもあって)人口は5年で1000万人以上も増えた。これに対して政府は優生保護法を改正して堕胎を解禁したため出生数が激減し、図のように1960年には3分の1になった。
図 人口の増減率(出所:総務省人口統計)
この極端な人口の増減が、70年後の今、超高齢化・人口減少として顕在化している。日本経済が直面している人口問題の最大の原因は、戦時中の人口政策なのだ。社会保障のひずみをつくりだしたのも、国民を「一家」として動員する総力戦体制だった。
労働者が国家に奉仕する時代は終わった
その原型は、戦前の「満州国」にある。ここでは関東軍と満鉄が中心になって計画経済の実験を行なった。その中心になったのが関東軍の石原莞爾と満鉄の宮崎正義で、それを実行したのが総務庁の岸信介だったが、関東軍が南下して戦線が拡大したため物資と人員が不足し、実験は失敗に終わった。
これを岸が戦後の日本で実現したのが、通産省である。国民年金や国民皆保険などの社会保障政策をつくったのも岸だった。このような総動員体制は、戦後復興にはめざましい効果を上げたが、経済が成長経路に乗ってからは、通産省のターゲティング政策は失敗の連続だった。
高度成長で豊かになると、田中角栄は1973年を「福祉元年」と銘打ち、あり余る一般財源で年金支給額を増額した。これによって戦時中に積立方式で始まった年金制度は、実質的に賦課方式に変わっていった。
厚生省は総力戦体制から福祉国家に変貌したが、その社会政策の思想は変わらない。そこに内務省の一部だった労働省が合流し、「正社員」を家長とする家父長主義が今も続いている。これは労使一体で会社という「一家」を守るものだが、正社員の過剰保護が労働生産性を落とし、日本経済を衰退させている。
厚労省が正社員にこだわるのは、彼らの払う社会保険料が社会保障を支えているからだ。その負担率は(会社負担分を含めて)所得の30%近く、所得税と消費税の合計より多い。これを払わない契約社員などは、厚労省にとっては「非国民」なのだ。
しかし非正社員が4割に達し、遠からず正社員との比率は逆転するだろう。そうなったとき、国が雇用から年金まで個人の一生を管理する家父長主義は維持できなくなり、社会保障も財政も破綻する。
まず年金と医療と介護を分離し、それぞれ厳格な独立採算で管理して、社会保障関係費を廃止すべきだ。労働政策は経産省に移し、雇用を流動化して労働生産性を向上させる必要がある。労働者が「お国のため」に奉仕する総力戦の時代は終わったのである。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46781
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