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2016年05月04日
5月3日は、大型連休の祝日の1日に過ぎないと考える国民が増えているのは事実だろう。悪しき思惑を隠そうともしない安倍政権下においては、凪の中で迎える憲法記念日とは趣を異にする。幾分大袈裟な受けとめ方にも思われるが、国際問題の解決を、強力な軍事抑止力で解決しようと企てたり、衰退気味の米国の穴を埋める代打自衛隊(集団的自衛権行使)の軍事力を高め、平和憲法など帳消しにしようとしている人物が政権に就いている状況なのだから、平和時の憲法記念日とは、色合いは異なる。
各地で、護憲、改憲派が二手に分かれて、憲法記念日の集会を開いていた。改憲派にしてみれば、このような機会は二度と訪れないと云う強い自覚があるので、観察するかぎり必至だ。改憲に賛成する考えの人々の、その目的や変えるべき部分に関しての意見は多様で、その改憲部分の統一は見られない。護憲派は、理屈抜きに“手を着けるな”と云う意思統一があるようだ。各種世論調査などを見てみると、改憲派は40%〜45%、護憲派は60%〜55%程度になっている。筆者は、どちらかと云うと改憲派だが、日本会議系の人々との考えの逆さまで、もっと国家権力を縛りつける憲法に改正する考えに賛成だ。
幸か不幸か、安倍政権と云うナチ手法を踏襲すると、現在の憲法条文では、充分に国家権力の暴走や、官僚らによる、詭弁的解釈論が入り込む隙があるわけで、安倍政権と云う国家権力の濫用の事態を奇貨として、国家権力の解釈余地を縛りつける条文に変えるべき点があると理解している。日本会議的改憲は、自由に軍隊を持ち、どことでも交戦出来る普通の国になりたいわけだから、このような思考経路を根絶やしする為の条項の追加などは検討されて然るべきと考えている。筆者は、特別の平和主義者ではないが、国家権力によって、公共の権利云々などと云うマヤカシで、個人の人権が冒されることは、絶対にあってはならないと考えている。
日本人の人権や自由の積み重ねが、仮に、他国からの侵略を受ける事態になったとしても、それは、日本人が、人権や自由の使い道を間違ったわけだから、潔く侵略に甘んじることになる。つまり、逆の言い方をすれば、政府や行政の裁量で、個人の人権や自由を束縛されても、中国やロシアや韓国、米国が、日本を侵略する可能性はゼロではない。国家権力に権利を縛られて、且つ、侵略されたのでは、浮かぶ瀬もない。仮の話が、今の安倍政権下で、対中包囲網の先遣部隊的集団的自衛権行使した場合、緊急事態法を振りかざし、個人的権利は半分は制限されるだろう。そう云う青天の霹靂な事態が起きないように、国家権力をもっと明確に制限する条文や条項を追加した方が良いと考えている。安倍よりも、もっと酷い政権が現れないと、誰も保証出来ないのだから。
鬼才と呼ばれる憲法学者の石川健治東大教授は、安倍政権の集団的自衛権行使容認閣議決定は、「法学的にはクーデター」と柔らかい表現にとどめているが、日本国憲法の継続性を断絶させた点を重く見れば、「現実のクーデター」なのだと思う。あんなにいとも簡単に「クーデター」が起こせる事態を避けるためには、筆者は「改憲反対」では不足なのだと思っている。現在の日本国憲法の一文たりとも改めない。ただし、“ゆがんだ合法”が、裁量的になされない権力への縛りを、更に追加制約する条項の追加は必要と考えている。
例えば、個別的自衛権は、どこまでも個別であり、集団的自衛権を含まない。憲法解釈を、内閣や法制局等行政官庁が行うことは出来ない。解釈に疑義ある場合は、新設の「憲法裁判所」の判断に委ねる。小室直樹氏の著作の題名ではないが「憲法とは国家権力への国民からの命令である」と云う考えを、更に強化する必要がある。戦争を知らない世代が中心になる日本社会なのだから、尚更だ。スマホなど、ネットで若い世代が興じるゲームの多くには、戦闘シーンが多く、痛みも苦しみもなく、人が死ぬ。こういう時代だからこそ、噛んで含めた縛りは、忸怩たるものはあるが必要だろう。
筆者が心配な点は、安倍政権や日銀の「法螺っちょ」に関わらず、世界経済も日本経済も一層の不況に陥るのは目に見えている。バブルを起こして、好況を装うことが出来ても、所詮バブルだから弾ける。そうなると、金融資本主義の最後の断末魔的方向が加速し、格差の拡大は手がつけられない状況に至る。そうなると、感情の劣化が限界点を超えて、人々は、ヘイト的になり、感情のみで怒りをぶつける対象を求める。或る時は、富裕層に向く場合もあるだろうし、他国に向かうこともある。歴史的には相当危険な水域に入っているが、安倍政権が、その最終地点の「あだ花」であれば、かなりラッキーな範囲だ。
≪「クーデター」で立憲主義破壊
憲法学者、石川健治・東大教授に聞く
3日は憲法記念日。多くの国民が反対した安全保障関連法が成立してから初の記念日だけに、どこか重苦しさが漂う。会いたい人がいた。「現代憲法学の鬼才」と評される石川健治・東京大教授。市民団体「立憲デモクラシーの会」の呼びかけ人の一人である。節目を前に何を思うのか。 【江畑佳明】
ドアを開けた途端、懐かしい本のにおいを感じた。東大駒場キャンパス(東京都目黒区)にある「尾高朝雄(ともお)文庫」。尾高氏は元東大教授の法哲学者で、ここは石川さんの研究拠点の一つ。戦前に出版されたドイツ語やフランス語の哲学書や法学書などが、本棚に並ぶ。古典文献から得た幅広い知識を憲法論に生かす研究姿勢に加え、自著への書評で「鋭敏な時代感覚も持ち合わせている」などと高く評価される。
「再び首相の座に就いた安倍晋三氏の政治手法には、日銀、NHKなどを含め、権力から独立してきた組織にお友達を送り込んで、その自律性を奪うなど、『違憲』ではないにしても『非立憲』的な姿勢が、当初から目立ちました。そこに憲法96条改正論議がでてきたわけですね」。石川さんは政権に対し、厳しい視線を向けているのだ。
実は長年、忠実にある教えを守り、メディアの取材にはほとんど応じなかった。その教えとは「憲法学者は助平根性を出してはならない」。憲法学は政治と密接な関わりを持つ研究分野だからこそ、メディアなどで政治的な発言をするようになると、学問の自律性が損なわれかねない−−という意味だ。師と仰ぐ東大名誉教授で「立憲デモクラシーの会」の共同代表を務める樋口陽一氏(81)から受け継いだ「一門」の戒め。そもそもは、樋口氏の師で東北大名誉教授の清宮四郎氏(1898〜1989年)が説いた。戦後の憲法学の理論的支柱だった清宮氏は、こうも言い残したと、樋口氏から聞かされた。「『いざ』という時が来れば、立ち上がらねばならん」
約3年前、石川さんは立ち上がった。2012年12月の政権発足直後、安倍首相が96条改憲を言い出したからだ。同条が定める改憲発議のルールについて、現在の「衆参両院の総議員の3分の2以上」から「過半数」の賛成で可能にしたいという。「憲法秩序を支える改正ルールに手をつけるのは憲法そのものを破壊することであり、革命によってしかなし得ない行為だ。支配者がより自由な権力を得るために、国民をだまして『革命』をそそのかす構図です」
正直、今が師の教えである「いざ」の時かは分からないが、「ここで立たねば、立憲主義を守ってきた諸先輩に申し訳が立たない」という思いが全身を駆け巡った。
立憲主義とは「憲法に基づく政治」「憲法による権力の制限」を意味する。なぜそれが大切なのか。石川さんは語る。「支配者は自らを縛る立憲主義のルールを外したがるものです。支配者を縛ることは、権力の恣意(しい)的な法解釈や法律の運用を防ぐという意味で、被支配者、つまり私たち国民すべてに利益がある。支配者による人権侵害を防ぎ、法律が国民に公平に適用される社会のために、立憲主義は不可欠なのです」
「立ち上がる」決意を固め、新聞社からの依頼に応じて96条改正を批判する論文を寄稿すると、読者から大反響があった。講演やシンポジウムの演壇にも立ったり、インターネットテレビ番組に出演したりする機会が多くなった。
96条改正は与党内部を含めた多方面の批判を浴びたため、政権は口をつぐんだ。ところがまたも立憲主義を揺るがす事態が起きる。それは14年7月、9条の解釈を変更し、集団的自衛権の行使を一部容認する閣議決定だ。
「法学的には、クーデターです」。眉間(みけん)にギュッとしわが寄った。
「従来の解釈は、国が当然に持つとされる個別的自衛権を根拠にして、自衛隊は9条で定めた『戦力』ではない『自衛力』だ、という新手の論理構成を持ち込むことで一応の筋を通していました」と一定の評価をして、こう続けた。
「他方で、日独伊三国同盟のように共通の敵を想定して他国と正式に同盟を結ぶことは、9条によって否定された外交・防衛政策ですが、日米安保条約が次第に『日米同盟』としての実質的な役割を持つようになりました。その中で『同盟』の別名と言ってよい『集団的自衛権』を日本は行使できない、という立場は、現行の憲法の枠内で論理的に許容される“最後の一線”です。それを破ってしまったら、これまでに築かれた法秩序の同一性・連続性が破壊されてしまう。そういう意味で、正式な憲法改正手続きをとらずに9条に関する解釈の変更という形で、憲法の論理的限界を突き破った閣議決定は、 法学的にみれば上からの革命であり、まさしくクーデターなのです」
昨年の国会に提出された安保関連法案に反対する国民の声は大きく、石川さんも8月、国会前の抗議集会に参加し、マイクを握った。
石川さんはもう一つ大きな問題があると指摘する。解釈改憲と安保関連法の成立は、安倍政権を支持する人々の勝利であり、9条を守りたい人々の敗北だ−と見る構図だ。「いや、そうではありません。私たち全員が負けたのです」と切り出した。「立憲主義は主張の左右を問わず、どんな立場を取る人にも共通した議論の前提です。安倍政権はこの共通基盤を破壊しました。だから私たち国民全員が敗北したといえるのです」
国民が敗者−−。戦後、新憲法のもとで築き上げた共有財産が崩れたというのだ。大切な土台は突然破壊されたわけではない。安倍政権は13年8月、集団的自衛権行使に賛成する官僚を内閣法制局長官に登用した。「法の番人」の独立性を保つため長官人事に政治力を発揮しない、という歴代内閣の慣例を破った。さらに昨秋、野党が要請した臨時国会を召集しなかった。憲法は衆参どちらかの総議員の4分の1以上の要求があれば召集せねばならない、と規定しているにもかかわらず。「基盤」は破壊され続けている。 安保法は「国民の敗北」
最後の一線指摘
熊本地震後には、緊急事態条項を憲法に加えるべきだという声が自民党から出ている。石川さんはまたも立憲主義が脅かされることを危惧する。「大災害のような緊急事態が起こることはあり得るけれども、それには災害対策関連法で対応できます。緊急事態条項の本質は一時的にせよ、三権分立というコントロールを外して首相に全権を委ねること。これも立憲主義の破壊につながりかねない。『緊急事態に対応するために必要』という表向きの言葉をうのみにせず、隠された動機を見ねばなりません」
石川さんは「憲法を守れ」とだけ叫ぶことはしない。「日本国憲法は権力の制限や人権尊重を最重要視する近代立憲主義の上に成り立っています。『政権がそれ以上踏み込めば立憲主義が破壊される』という、越えてはいけない最後の一線はここだと指摘し続けることが、僕の役割だと思っているのです」 憲法学者の毅然(きぜん)とした覚悟と誇りを見た。
■人物略歴
いしかわ・けんじ 1962年生まれ。東京大法学部卒。旧東京都立大教授を経て、2003年から東大教授。著書に「自由と特権の距離」、編著に「学問/政治/憲法」など。 ≫(毎日新聞:特集)
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