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舛添さん、都知事ってそんなに偉いんですか? 「決まりを守っている」で済む話ではない5つの論点
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48580
2016年05月04日(水) 佐々木信夫(中央大学教授、法学博士) 現代ビジネス
「都知事」について残念な報道が相次いでいる。
海外に出掛けると一度に5000万円も使うという「海外出張」問題、今年は3億円以上の予算が組まれているという。そして毎週末、東京から100kmも離れた自己所有の「温泉別荘」へ公用車で通う「別荘問題」。ガソリン代だけで400万円余のカネが消えるという。
「都知事って、そんなに偉いんですか?」という声が他の知事、知事経験者からも聞こえる。会見で繰り返した「決まりを守っている」で済むのか、公私混同も甚だしい。この件に関して、舛添都知事、貴方は間違っている。
■都知事ってどんな存在?
国民の1割、1300万人が暮らす東京。外見上豊かだとされる東京だが、内側には生活に大きな格差を抱え、貧困との戦い、孤老死の増大、少子高齢化、インフラの老齢、木造密集地の存在、首都直下地震の恐怖など、先行きに様々な不安を抱え、暮らしているのが東京だ。
大企業本社の7割、日本の政治、行政、経済、情報、教育、文化など多くの高次中枢機能を束ねる東京。一方で、東京一極集中こそ地方衰退の諸悪の根源とされ、地方創生が最大の政治テーマになっているのが現状だ。
そうした中、身を切る改革どころか、公人である都知事の放漫な贅沢三昧、公私混同の振る舞いが次々と明るみに出てきた。これまで誰も知らなかったのか、それとも関係者は大なり小なり似たようなものなのか。
ここにきても、もう1つの都民代表の政治機関である都議会からはあまり反応がない。来夏の都議選を恐れて口をつぐむのか、不思議である。少なくとも国会でもこの種のことなら野党はすぐ反応するはず。
127議員からなる都議会、何のための都民代表か。こうした振る舞いを容認しているとすれば、都議の日常も似たり寄ったりなのではないか。石原都政前半の財政再建以後、この10年、都政から「身を切る改革」論議など一度も聞こえない。
都議会の重要な役割は、知事ら執行機関の日常を都民に代わり監視し、執政のあり方を質すことである。なぜ動かない。
都知事の存在が他の府県知事と一つ違うとすれば、都知事は都民の代表であると同時に皇室、国会、省庁、司法機関など首都機能を預かる「首都の顔」であるということ。だから日本の首都・東京、そのトップである都知事はよく「もう一人の首相」にも擬せられる。
ただ、それが舛添氏のような行動につながるとすれば、それは「首都の恥」ということになる。
■都知事は誰でもできる、しかし誰でもはなれない
筆者は5年前、『都知事―権力と都政』(中公新書)という本の「まえがき」で、都知事のことをこう表現した。
――都知事は誰でもできるという説がある。しかし、それは誰でも「なれる」という話ではない。何百万票という有権者の支持を得なければ、都知事にはなれない。首相が国会の中だけで選ばれるのと違い、都知事は都民の多くの支持がなければ、その地位には就けない。それにはビックネームとカリスマ性が必要となる。
しかし、いったん都知事になると、ごく普通の知事でも務まる。石原慎太郎、青島幸男とこの16年間作家出身の知事が続いたが、行政について詳しくない知事でも都政は動いた。
もちろん、この12年間都知事を務めた石原慎太郎が傑出した政治家であることを否定はしない。ワンマンであろうが独善的であろうが、石原知事はリーダーとして強さを発揮した。しかし、だからといって石原慎太郎が知事として特に優秀だという話はあまり聞かない。
普通の知事がやっても東京は繁栄する。それは特に都知事の力量でも、都庁官僚の力量でもなかろう。多くの高次中枢機能が集積する東京の立地条件、中央集権という体制が東京の繁栄をもたらしている。都知事がオリンピック招致で百数十億円のカネをムダにしても、銀行税でカネ集めに失敗しても、東京都は決して潰れない。
都庁官僚に任せておけば一定の行政水準は保たれる。ヒト、モノ、カネ、情報が集まる大都市東京は、“集積が集積を呼ぶ”メカニズムの中で栄えているのだ。
もとより、だからといって東京都政の経営がやさしいということではない――。
■ここ数年、東京の政治がおかしい
その後、この3〜4年、どうも東京の政治はおかしい。今から4年前、「猪瀬君で十分だ!」と啖呵を切って任期半ばで都政を放り出した石原慎太郎氏のあと、都政、いや都知事は東京の政治の混乱要因になっている。
空前の430万票を得たと舞い上がった猪瀬直樹氏、1年そこそこで5000万円の政治資金問題を説明できず辞任。急遽その後任知事となった舛添要一氏、2年経ったら他から「都知事ってそんなに偉いんですか」と指さされる始末である。
公私混同にも「ルールに従っているだけ」としか答えない舛添氏、もはや公人としての資質自体が問われかねず、この先どうなるか分からない。『現代ビジネス』5月2日公開記事で、田崎史郎氏が書いていたように、「再選に黄信号がともった」のは間違いない。
2020年東京五輪は4年後に迫っている。ことしのリオ五輪はブラジル大統領の職務停止やジカ熱の流行など混乱が続くが、この体たらくから肝心の東京ももう一度、都知事選で「仕切り直せ!」という声が大きくなりかねない。
■なぜ、そうした行為に出るのか
都民の生命、財産を守り、巨大都市の経営を委ねられている都政の最高責任者。12兆円財政、17万人公務員を率いる都庁トップが、海外出張のたびに桁違いの5000万円近い出張旅費を使う。
かと思えば、日本にいる時は毎週末のように金曜午後2時過ぎには執務先の都庁を離れ、100kmも離れた神奈川県湯河原の自分の「温泉別荘」へと公用車で消える。
そもそも都知事というのはその程度の執務体制で職務を全うできるポストなのか?
豪華海外出張についても、毎週のような別荘暮らしについても、『週刊文春』の報道まで誰も知らされていなかった。
知事の日常動静を知らせる「公開日誌」にもない。別荘で公務をしているというなら、なぜ公開日誌に書かないのか。やはりプライベートな生活ではないか。
一連の報道について、本人は会見を開き「ルールに従っている」と繰り返すばかり。この釈明会見をテレビ、新聞等を通じて見ている全国の国民はどう感じているだろうか。
「ああ東京は金持ちなんだ」「都知事ってすごい権力者なのだ」「なぜ今まで誰も何も言わないんだ」「どうせ何を言っても変わらない」等々、さまざまな思いで見ているのではないか。
はたして、都民の何割がこの行動を容認しているだろうか。たぶんほとんどゼロに近いのではないか。
増税ばかりが喧伝される昨今だが、その前にやるべきことがある。無駄を省き効率性を高め、公務への信頼を回復すべき時期に、身を切る改革どころか、私利私欲の塊のような行動が続く。都政は緩んでいる。しかも、どうも本人に反省の意識などない模様だ。
あるいはここはツッパリどころと、厚顔を貫こうとしているのか。誰も後継者はいないと見てのおごりか。
しかし、代わりはいくらでもいることを意識した方がよいのではないか。誰でも務まるポストであるという説によれば。世の中はそんなに甘くない。リコール(解職)請求など有権者の反撃が始まるかもしれない。それだけみな怒っている。
■何が問題なのか、どうすべきかーー5つの論点
@ 公用車使用のルールは適切か?
都知事には専用車、専任運転手付き、要人警護のSPもつく。専用車について東京都の規定では、「公務」と思われる業務に使用することは時間、場所に制限はない。発着点のいずれかが公務に関わる場合は、距離や時間に関わらず使用が認められる、とされる。
だが、社会常識的な「使い方」というものがあろう。宴席などで夜10時以降になる場合、ふつうはハイヤー等を自費で用意するものではないか。
まして、100kmも離れた別荘に行くのに使う感覚はどうか。要は税金の使い方の問題だ。納税者に説明のつかない使い方は公人としてふさわしい使い方ではない。別荘を「公務」の場所と抗弁しても、理解されまい。公私混同が甚だしいというのが普通の感覚だろう。
問われているのは「ルールを守っているか」ではなく、その使い方が社会常識からみて「妥当性があるかどうか」だ。
舛添氏の「ルールに従っている」発言を聞いていると、都知事ではなく、都職員が抗弁しているように聞こえる。雇われている職員と、都民を代表し、職員を雇いルールを守らせて仕事をさせる都知事はまったく立場が違う。都民に代わる公選職の自覚がどこまであるのか、疑わしい。都政の経営者として失格ではないか。
加えて「都の規定では」といっても、この規定自体、100kmも離れた他県にある個人の別荘を執務場所だという知事が現われるなどとは、全く想定していないはず。舛添氏の行動はまさに「想定外」。
公選知事の役割は、仮に規定にあっても、それがルールとして時代に合うかどうかを判断し、合わないなら随時改正することではないのか。
知事が動かないなら、都議会が直ちに議員立法で条例改正へ踏み切るべきだ。それは局長らが使用している黒塗りの車の使い方も含めて。こういうと議員ら自身に跳ね返ることを恐れ腰が引けるかもしれないが、ここは都民の代表、都民の税金の使い方の話。都民代表として堂々と綱紀粛正を進めるのだ。この場面、議員諸氏は逃げるべきではない。都議会の出番だ。
もっとも、今回の舛添都知事の報道と抗弁を見聞きした都議会議員や都庁の幹部たちが、税金の使い方、経費の使い方について、「都知事がああなのだから我々もある程度問題ない」と、考えても何の不思議もない。トップがあれでは、「部下」に示しがつかない。いったい、誰がタガを締めるのか。
A 都知事が毎週末に東京から離れることの問題はどうか?
別荘問題は公私混同以外にもう一つ大きな問題がある。危機管理の最高責任者としての役割を果たせるかどうかだ。
1300万人都民の生命と財産を守る仕事が基本的な政治家・都知事の役割。首都直下地震やテロなどの想定外事態が発生しても、即座に対応できることが不可欠だ。物理的に100kmも離れた、他県の温泉地で毎週末過ごすやり方でその職責を果たせると言えるか、とてもそうとは思えない。
週末の別荘滞在については、都庁内部からも不安視する声は強い。「緊急無線があるので」と舛添氏は繰り返し抗弁しているが、熊本地震の事態を目の前にしてもそう言えるか。まして5年前の3月11日の事態は忘れたのか。道路も鉄道も全く動かなくなる。都市インフラは寸断され、通信回線もパンクする。
知事経験者の中には「緊急ヘリ」を湯河原に送ればという声もあるが、何を言っているのか。なぜ湯河原なのか。都知事の公邸がそこにある訳ではない。まったくの個人の別荘、セカンドハウスではないか。危機管理意識の弱い都知事は不適格、都民は大きな不安を持つ。
もし個人的に別荘を使いたいなら、それは夏休みか正月休みではないか。それが常識である。安倍首相らもそうしているではないか。
B 知事の外遊時の出張費用の使い方はどうか?
そもそも、20人近いスタッフをつれ、大名旅行をする必要がどこにあるのか理解できない。しかも飛行機はファーストクラス、宿泊はその国の超豪華一流ホテㇽを使い、1回5000万円の支出をするようなカネの使い方は、過去の知事にはいないはず。
石原慎太郎氏が一度観光都市づくりを名目に海外の島めぐりをしたとき類似の支出(約2000万円)をしたことがあったと思うが、マスコミの指摘後、大幅に修正した。簡素で必要最小限のスタッフのみで海外に出るようになった。
法外な経費の使い方について、「身を切る改革」を実践してきた前大阪市長・元府知事の橋下徹氏は、「舛添さん、都知事はそんなに偉いんですか?」「ルールに従っているというのは官僚答弁。不合理なルールはどんどん変えないと」とツイートしている。
詳しくは、筆者も近著『地方議員の逆襲』(現代新書)に書いたが、毀誉褒貶はあっても、橋下氏が、経費節減はじめ、税金の無駄遣いを「身を切って」改革してきた一点は事実、間違いなく評価に値する。
橋下氏や松井府知事のツイッタ―によると、大阪府知事、市長は公用車使用や出張費の計算が日本一厳しくなったという。
たとえば、米国欧州の大都市で29000円、シンガポール以外のアジアの都市は19400円。国内の都市部の宿泊は、1泊13200円。国内出張の飛行機はエコノミーが基本、グレードアップは1000円自腹、海外はビジネスクラスだという。
ちなみに、都条例では、知事の宿泊費上限は出張先で異なるが、最高で1泊4万200円。ただし人事委員会の承認を得れば上限を超えられるとしている。舛添氏はこの例外規定を使っているようで、就任した14年2月以降、宿泊費はすべて条例の上限を大幅に超え、最高はロンドンの1泊19万8000円。15年度末までの8回の出張で延べ10都市のホテルに宿泊し、うち7都市はスイートルームを利用したとされる。
昨年10月、ロンドン市長が大阪、東京などを訪ねたとき、航空機はビジネスクラス、ホテル代は4泊で12万4000円とされる。
神奈川の黒岩知事は英国出張でも上限以下の1泊3万2200円など。近隣3県知事は海外でもビジネスクラスのみなのに、都は知事がファーストクラス、一部職員もビジネスクラスを利用。
こうしてみると、もう都の旅費規定は時代感覚に合わないのではないか。もちろん、例外規定を一般化する舛添氏のような使い方なら、どう規定しても抜け穴を探すかも知れないが、そんな知事感覚が都民の理解を得られるとは到底思えない。
舛添氏がスイートルーム利用の理由に挙げている「要人が突然訪ねてくると失礼になるから」など、論評にも値しない。単なる口実に過ぎない。
C 舛添知事の都政の在り方はどうか?
こうした批判がいろいろ出てくる背景には、もうひとつ舛添都政の評判が芳しくない点も関わっているように思う。
いまの舛添都政は「顔が見えない都政」ではないか。やたら、韓国、中国、イギリス、フランス、アメリカなどの海外に出る時だけ目立つ。五輪を大義としているようだが、何のための出張かもうひとつピンとこない。
アメリカで赤いオープンカーに立ち沿道に手を振ってもいいが、その前にやるべきことは、東京の生活都市づくりと経済都市づくりの両面を睨んだ「大都市経営」ではないか。福祉の美濃部都政、マイタウン東京構想の鈴木都政、ディーゼル車規制の石原都政といった、過去の知事の特徴づけからすると、舛添都政は何と名付けたらよいのか。
身を切る改革が求められる時代に、私利私欲を最大限追求しているようなカネの使い方なら、「放漫体質の舛添都政」のレッテルを張られかねない。
D 舛添都政2年の評価をどうみる?
任期4年の知事の行政を半分の段階で評価するのは時期尚早かも知れない。ただ、あえてコメントするなら、都知事選時に推薦母体であった、自公与党との関係を良好にしようと腐心(気を使う)してきたことは事実。しかし、今は怪しい。
当初無難な滑り出しであったが、上昇気流に乗ってきたかといえばそうとは思えない。依然、低空飛行、“期待感、存在感なき”舛添都政の印象をぬぐえない。
施策的に、@五輪関係のプロジェクトチーム設置や国立競技場経費等の見直し、A待機児童対策、B総合計画の策定、C活発な都市外交など、いろいろしてはいるが、成果はよく見えない。
要は「何をしたいか、はっきりしない舛添都政」ではないか。14年余続いた石原都政の、「東京から日本を変える」といった国と対決する姿勢とも違う。むしろ国に寄り添う形で安倍政権と良好な関係を保ち、2期8年を視野に、2020年五輪成功に注力する色彩が強い。
東京の構造的な問題、都政の本来果たすべき役割に本腰のリーダーシップが見えない。地方から声高に叫ばれている東京一極集中批判にも耳傾けずの感が強い。
■いますぐルールを改め、身を正すべき!
舛添さん、貴方は間違っている。
都知事のような公人は365日24時間勤務に近く、休みはないに等しいが、公用車をのべつ幕なしに使うのは問題だ。公私の分別をつけ、海外出張費の問題を含め、普通の都民感覚に戻すべきだ。いまの状況は自己規制・自己規律が弱すぎる。
人間だから休める場は必要だ。としても、それは100q離れた別荘ではないだろう。必要なら、都心ないし都心に近い所に自費で用意すればよい。知事在職中は公人として別荘通いはやめるべきだ。
下手な言い訳を続けるのではなく、一刻も早く一般の方々が『そうだ!』と思ってもらえるようなカネの使い方に変えるべき。ヨソの知事さん方もそうしている。
都民のみではなく、貴方のことは全国の国民が見ている。もちろん都の職員も、都議会議員も見ている。「都知事は別格だ! 俺はそれだけのことをしている」などと考えていたとしたら、それは驕りであり、大きな間違いなのだ。
今からでも遅くはない。ルールを改め、身を正してはどうか。
佐々木信夫(ささき のぶお)
中央大学教授、法学博士。大阪副首都推進本部特別顧問。1948年岩手県出身。早稲田大学卒業、早稲田大学大学院政治学研究科修了、慶應義塾大学法学博士取得。東京都庁勤務を経て、94年から中央大学教授、現在に至る。2000年〜01年カリフォルニア大学(UCLA)客員研究員。慶應義塾大学、明治大学、日本大学各講師。現在、政府の地方制度調査会委員、日本学術会議会員、大阪府・市特別顧問など兼任。専門は、行政学、地方自治論。著書に『人口減少時代の地方創生論』(PHP)、『新たな日本のかたち』(角川ssc新書)、『東京都政』(岩波新書)、『日本行政学』『現代地方自治』(学陽書房)、『都知事―権力と都政』(中公新書)、『道州制』(ちくま新書)など多数。テレビ、新聞、雑誌などのコメント、地方各地での講演も多数。近著『地方議員の逆襲』(現代新書)では、地方創生のための地方議員、地方議会制度の大胆な改革案を提言して話題に。
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