http://www.asyura2.com/16/senkyo205/msg/452.html
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「民族であろうとなかろうと彼らの先住性に基づく権利は尊重されるべきである:toriiyoshiki氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/19928.html
2016/5/3 晴耕雨読
https://twitter.com/toriiyoshiki
琉球王国成立は15世紀、薩摩の侵攻は1609年である。
その間は何だったというのだろう?…
その後も「付庸国」とするなら「宗主国」は薩摩で、明治に至るまで中央政府の支配が及んでいた事実はない。
とすると、薩摩が独立国かという問題も生じる。
>琉球歴女 日本において主権国家の概念は『大日本帝国憲法』の成立までありませんでしたから、そこを理解していればもう少し解けそうなものですけどね。
近代の主権国家の概念をもってそれ以前の歴史を規定しようというのがそもそも一種の詭弁である。
明治以前の日本は「独立国」ではなかったのか?…歴代中国王朝はどうか?
もっとも、琉球王国という「国家」が存在していたことと、琉球住民がヤマトとは異なる「民族」であるか、今回国連から提起されたような「先住民族」であるかは直結する問題ではない。
「国家」と「民族」は異なる概念だからだ。
「民族」とは客観的要件だけでは定義しきれない、突き詰めればアイデンティティの問題に帰するからだ。
この問題については以前ブログに書いたので、関心のある方は参照してください。https://t.co/l3LbzLha3t
琉球の人々がヤマトとは異なる「民族」であるための客観的条件は存在していると思うが、「民族」であるかどうかは最終的に彼ら自身がどう認識しているかに規定される。
その点についてぼくは詳らかでないし、そもそもぼくが口を出すことではない。
新聞記事で読む限り、国連の人種差別撤廃委員会などが琉球住民を「先住民族」としたのか「先住民」としたのかは必ずしもはっきりしない(ぼくは原文に当たっていない)。
琉球の人々が「民族」かどうかはともかく「先住民」の定義には該当すると思うが。http://m.huffpost.com/jp/entry/9791804
俺は英語はからっきしダメなのだが(こういったからと言ってフランス語や中国語ができるわけでもない)、peopleという言葉は「民族」という意味でも使われるのかな?…
だとすれば、原文でも「先住民族」と「先住民」(民族定義を回避するための概念と理解)を明確に区別していない可能性がある。
昨夜来いろいろ考えているのだが、人権の文脈で論じるときには、indigenous peopleは「先住民族」ではなく「先住民」と訳すべきではないかと思えてきた。
きっかけはハフィントンポストのこの記事である。http://m.huffpost.com/jp/entry/9791804
この記事を読む限り、国連が沖縄の人たちをヤマトとは異なる「民族」だと認定していることになるからだ。
それには違和感が拭えなかった。
ウチナンチューがナイチャー(ヤマト)と同一民族だと主張したいわけではない。
国連であれ日本政府であれ、当事者の意向を無視して決めることには疑問があった。
昨夜紹介したぼくのブログにも書いたことだが「民族」の定義はなかなか厄介で、客観的な要件だけでは決められない。
最後は当事者のアイデンティティの問題である。
そして、言うまでもないことだが、当事者の意向も一様ではない。
ヤマトと同じ日本人であるというアイデンティティを持つ人もいるはずだ。
だから、国連が沖縄の人たちを「先住民族」だというなら、それはずいぶん押しつけがましい話だと思ったのである。
しかし、「先住民」である(ゆえに相応の権利を尊重せよ)と勧告したというなら話は別である。
実にもっともな話で、一部の人たちが主張するような「分断工作」でも何でもない。
ぼくが理解する限り、indigenous peopleの国際的に認められた定義は、ざくっと書けば「近代国家の成立時点で、それ以前からその土地に居住し、国家内において被支配的な立場に置かれた人たち」である。
琉球処分の経緯ひとつをとってみても、沖縄の人たちはこの条件に合致するはずだ。
だから、この際、indigenous peopleは「先住民」と訳した方がいいのではないか。
民族か部族か、「○○系日本人」ではないか、などというおよそ不毛な議論をする必要がなくなる。
民族であろうとなかろうと、彼らの先住性に基づく権利は尊重されるべきである。
日本政府が琉球を、あるいは公式に「先住民族」だと認めているアイヌを、いつまでも「被支配的な位置」に留めておくことは許されることではない。
そして、ぼくたちマジョリティは、彼らがいまでも様々な局面で差別的な扱いを受けている現実に目をつむるべきではない。
もちろん、民族概念の曖昧さを回避して「先住民」として再定義することは、当事者が「民族」であると自己認識することをなんら否定するものではない。
そのことは確認しておきたい。
>Mark Winchester 正式には、自決権を持つとされている国連憲章と同じpeoples(sが大事)ですから、先住人民となります。上村英明さんはよく「先住住民」とでも訳していいのではと言っています。
専門家からの大変有益な指摘。
ぼくも北海道時代、上村先生の論考から多くを学んできたが、なにせ20年近く前の話なので知識が一寸錆びついているところがある。
indigenous peopleをindigenous peoplesに訂正。
学生時代は本多勝一氏の強い影響を受けていて、氏のマネをしてシェーファーの万年筆を使ったり、NHK入社が決まるとさっそく「受信料支払い拒否の論理」を買って読んだりしたw…
その後、同じジャーナリストの道を歩き出してからは批判的になったが。http://www.sankei.com/premium/news/160501/prm1605010031-n1.html
その後実際にお会いして話す機会もあったが、氏の考え方や文章には事実以前に立場性を重視するようなところがあって違和感を拭えなかった。
その一方で、アイヌ民族に関する報道など、かなり早い時点から取り組んでいることには感嘆せざるを得なかった。
それにしても。
産経がやると「非国民叩き」だとしか読めないところがある意味で凄いな…。
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