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民進党政調会長 山尾志桜里(やまお・しおり)1974年生まれで宮城県仙台市出身。東京大学法学部を99年に卒業後、2004年から07年まで東京、千葉、名古屋地方検察庁で検事として勤務。09年の衆院選で、民主党公認で愛知7区から出馬し、初当選。
アニーで社会人デビューした山尾議員が、検事から政治家に転身した理由〈週刊朝日〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160428-00000204-sasahi-pol
週刊朝日 2016年5月6−13日号より抜粋
民進党の新しい“顔”となった山尾志桜里(しおり)政調会長は、田原総一朗氏との対談で、政治家になった理由について語った。
* * *
田原:政治家は弁護士出身が多いですが、山尾さんは検事出身です。なぜ、なったんですか?
山尾:私、最初の社会人デビューはミュージカル「アニー」の子役なんです。早く夢を見すぎたのか、中学1年で子役を卒業して、次の目標が見つからなかった。そんな中で学生のときに裁判の傍聴に行って、目の前に手錠をした人がいる法廷の景色に衝撃を受けたんですね。そのときの検事は正義の味方に見えて、私の次の目標はここかもしれないと。それで司法試験を受け始めたんです。
田原:検事は容疑者を罰さないといけない、覚悟が必要な仕事でしょう。
山尾:生まれや育った環境が逆なら、私と被告人の座っている場所が逆だったんじゃないかと思うことがありました。社会の理不尽を強く感じ、政治家を目指すきっかけにもなったんです。
田原:そう感じたのはどんな事件だったの?
山尾:私の職場の近くの河川敷に青いテントを張って暮らしていた60代のホームレスの女性が殺害される事件がありました。容疑者は3人の中学生と無職の成人男性。取り調べた中学生は普通の子どもと変わらない表情で、なぜ周囲が犯行を止められなかったのか疑問に思った。無職の男は仕事がなく、居場所を求めて中学生らと結託して犯行に及んでいるし、60代の女性は殺されるまでそんな場所に居続けねばならなかった。教育の問題、若者の仕事の問題、社会のセーフティーネットの問題などが凝縮された事件だと感じました。
田原:政治家になって社会を変えたいと思ったわけだ。でも、4年ほどで検事をやめるのは早いと思いませんでしたか?
山尾:私、司法試験に6回落ちて、7回目にようやく合格したんです。社会人になったのが遅かった分、何か一つの職業を突き詰めてみたくて。検事より政治家と決めたからには、早くスタートしたかった。
田原:山尾さんなら自民党から出られたでしょう。
山尾:私、自民党に投票したことないんです。落選中も含め、これまで1ミリも自民党に行きたいと思ったことはありません。自民党は「自己責任」や「自助」を誇らしげにうたう政治。でも私が検事の世界で感じたのは、みんなが自分の努力の足りなさに対して自分で責任が取れるほど人は強くないということでした。自民党とは相いれない。
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