テレビ朝日、報道ステーション、古館伊知郎、古賀茂明への信頼は地に堕ちている。 テレビ朝日よ、報道ステーションよ、古館伊知郎よ、古賀茂明よ、キャスター変えたぐらいですぐに信頼回復できるほど世の中は甘くない。 「古館伊知郎」とは何だったのか 2016年4月 平均視聴率13.1% 2016年3月31日、12年間に及び報道ステーションのキャスターを務めた古館伊知郎氏が降板した。毀誉褒貶のあった古館伊知郎氏であるが、12年間の平均視聴率は13.1%とメディアの多様化が進むなか、報道番組としては健闘したと言ってよいだろう。 しかし、この13.1%という平均視聴率こそ、報道ステーションの本質を読み解く鍵がある。奇しくも13.1%という視聴率は、直近の2014年12月の衆議院選挙において、共産党と社民党が獲得した比例区の得票率13.8%とほぼ同じだ。 30%、40%という視聴率を目標とすれば、番組が偏向していては視聴者が集まらないため達成できない。しかし13%程度の視聴率であれば、偏向していても達成できる。というか、偏向していたほうが番組の差別化に繋がり、一定の層から安定的な支持が得られる。 いわば絶対的な信者という優良顧客を囲いこむことができる。差別化による安定的な顧客の確保はマーケティングの鉄則であり、報道ステーションのポジショニングは、マーケティング理論に従えば完璧だ。 例えば、2015年5月1日に北朝鮮の人権状況をテーマにした国連の討論会で、北朝鮮の外交官が脱北者の証言を遮り、米国の人権侵害を糾弾する不規則発言を7分間にわたって続け、議事を妨害したといったハプニングがあった。 多くのメディアが北朝鮮外交官の異常性をクローズアップする中、古館伊知郎氏はこうコメントしている。 「北朝鮮の言ってることは何言ってんだと正直思うんですけど、一方でアメリカがまりにも人権、人権と言うと、アメリカは無人機で誤爆をして亡くなってしまった方の人権はどう思っているのか、言いたくなる時もあるんですけどもね」 北朝鮮の人権問題についてさえも、アメリカ批判の道具としている。こうした発言について、9割近くの日本人は「北朝鮮の人権問題なのに、なぜアメリカを批判するの?」と疑問には思うものの、あえて目くじらを立てずに聞き流す。 一方、1割強の共産党・社民党支持者は、古館伊知郎氏のアメリカ批判に「してやったり」と胸がすく思いをして、「よし、明日も報道ステーションを見よう」という気持ちになる。見事な差別化戦略に感服するまでだ。 実は最も資本主義的 差別化の他に報道ステーションの特徴として挙げられるのが、エンターテインメント化だ。 ニュースをそのまま読み上げるのではなく、効果的なBGMや悪代官のようなナレーションを巧みに活用し、ストーリーを展開する。 安倍政権や官僚、アメリカという「悪」を徹底的に叩いて懲らしめる。 閣僚の失言や年金情報流出などの行政の不祥事、アメリカのISIL掃討の空爆といったニュースを古館伊知郎氏はしかめっ面をして批判し、時に悲壮感さえも漂わせていく。 それを見た共産党や社民党の支持者が溜飲を下げる。視聴者もストーリーが分かっているので、古館伊知郎氏のコメントが予測できる。予測通りのコメントが返って来るので、ニュースを理解したつもりになる。報道ステーションという番組が、一定の層にはカタルシスになったことは間違いない。 もちろん、テレビ局とて民間企業であり、上場企業である以上、営利を追求し、株主に還元することは否定されるべきことではない。視聴率を稼ぐことは、株式価値の最大化を目指す上場企業としては当然だ。 資本主義のあり方をただす古館伊知郎氏であるが、その実、報道番組づくりにおいては最も資本主義的に行動しているというのは、何とも皮肉な話である。 しかし、放送局は普通の民間企業とは違って免許事業者でもある。電波を負託している国民からしてみれば、特定の層にだけ受ける報道は決して納得できるものではない。 格安での電波利用を国民が認めているのは、放送は利潤追求だけでなく公益性を担っているからであり、その公益性を担保しているのが放送法4条で定めた公平性であり、正確性である。報道番組であれば尚更だ。特定の層を狙って報道番組を制作しているとすれば、国民全体の利益には適わない。 「ISIL寄り」の特異性 検証・報道ステーション http://ameblo.jp/terasaki2015/ こうした観点から、私は2015年1月から1年3カ月の間、報道ステーションの全番組を録画し、研究者の視点から分析し、アメーバ・ブログにおいて「検証・報道ステーション」として300回以上、連載してきた。ここでは、公益性、公平性、正確性の3点に絞って分析の一端を紹介したい。 まず公益性については、2015年1月に発生したISILによる邦人殺害事件が参考になる。 報道ステーションでは事件発生以降、ISILとの交渉に後ろ向きな政府に対して苛立ちが目立っていた。事件発覚直後には、古館伊知郎氏は「テロとの戦いと人質の解放を敢えて切り分けて、こちらを進められないかとの考えの方もいらっしゃると思うんですけど」(2015年1月21日)とコメントする一方、ISILの蛮行については非難しなかった。 当日の主要紙の社説は、ISILへの非難一色だった。朝日新聞でさえ、「イスラム国 許しがたい蛮行だ」と批判する社説を掲載していると考えれば、古館伊知郎氏のスタンスは見事に差別化されている。 さらに2日後の2015年1月23日には、2カ月後の2015年3月27日に番組を批判する舌禍事件を起こす古賀茂明氏をゲストコメンテーターとして招聘し、古賀茂明氏は政府批判を展開した。 「イスラム諸国の人たちも、『いや日本って結局アメリカなのか』みたいな『ジャパン・イズ・ザ・ユナイテッドステイツ』みたいな、ですね。 それに対して我々は、例えば『いや安倍さんはそういう印象を与えちゃったかもしれないけど違うんですよ』と、ジュスィ・シャルリー(私はシャルリー)ってプラカードを持ってフランス人が行進しましたけれども、私だったら『アイ・アム・ノット・アベ』というプラカードを掲げて、『日本人は違いますよ。そんなことじゃない。ほんとにみんなと仲良くしたいんです。決して日本を攻めてない国に対して攻撃するとか、敵だってことを考えない国なんです』というのをしっかり言っていく必要がある」 公益性の観点で問題なのは、古賀茂明氏が「ジャパン・イズ・ザ・ユナイテッドステイツ」であるとか、安倍総理があたかも「日本を攻めてない国に対して攻撃するとか、敵だと考えている」かのように表現している点だ。 中東の国の中で、日本をアメリカと同一視している国はない。日本外交も中東には相当気を使ってきた。今も尚、対日感情は良好だ。安倍総理が援助を申し出た「ISILと戦う国」もまたイスラム諸国だ。 にもかかわらず、日本とアメリカを同一視したり、安倍総理がISILを攻撃したりするかのような古賀茂明氏の発言は、ISILの行動に火に油を注ぐようなものだった。 何より「アイ・アム・ノット・アベ」の発言を聞いたISILは、ますます自分たちの主張が正しいと誤解したかもしれない。古賀茂明氏の発言が国内の協力者などを通じてISILに伝わり、「人質を殺害しても、日本国民は安倍総理の責任だと考えるので自分たちは支持される」との誤った解釈がなされた可能性すら否定できない。 世界基準から大きく外れる 人質となったジャーナリストの後藤健二氏は国民の願いも虚しく、2015年2月1日に殺害された。その2日後の2015年2月3日の放送では、朝日新聞論説委員の恵村順一郎コメンテーターがこう述べた。 「リスクを最小限にするためにも、国会審議での検証とか、あるいは政府での検証とかが大事になってくると思います。その論点の1つが、安倍首相が日本人2人が拘束されているのを知っていて中東を訪問し、イスラム国と戦う周辺諸国への支援を強調されたことだと思います。 首相の言う支援は非軍事の人道支援ということで説明されましたんで、それは理解できるんですけども、『戦う』という言葉を使う必要があったのかどうかということが議論になってくると思います」 古館伊知郎氏も、「これは政府に対しても国会にしても我々マスコミにしても、検証がいかに大事かということが今後のためになりますね」と同調している。 しかしこれはおかしな論理で、1987年5月に発生した、朝日新聞阪神支局が右翼に銃撃されて記者1人が殺害された赤報隊事件について、「朝日新聞の記事が赤報隊を刺激していないか検証する必要がある」とコメントしているようなものだ。 なるほど、確かにISILの2015年1月20日の犯行声明では、安倍総理の中東での声明を激しく批判し、身代金を中東支援の金額をもとに2億ドルに引き上げている。ということは、安倍総理の声明や中東支援についての批判は、テロリストが主張する批判と同じであり、テロリストの立場に立ったテロリストの論理になる。 テレビは放送法を守れ! http://ironna.jp/theme/434 ウェイブサイト「iRONNA」に掲載された「テレビは放送法を守れ!」という記事の最後に、「日本のテレビ局は『政治的公平』を求める放送法を遵守していると思いますか?」というアンケートがあり、結果は「遵守している115票、遵守していない6900票、どちらでもない74票」(2016年5月1日 19:51現在)でした。回答者の実に97.33%が、「遵守していない」と答えたこのアンケート結果は、テレビ放送局経営陣の遵法精神が、いかに一般視聴者とズレているのかを如実に物語っていると思います。 やっぱり「偏って」いる 報道ステーションのテロリストを刺激したほうが悪いという論法は、どう考えても道理に合わず、それこそテロリストの思う壺だ。 テロが発生した際、テロを利用した政権批判はテロリストを利することになるために控えるというのは国際社会の鉄則だ。 2001年にアメリカで起きた9・11テロの際にも、当時、野党であったアメリカの民主党は全面協力を表明し、直ちに大統領に軍事行動の権限を与える議会の決議に賛成した。 2015年1月に発生したISILによる邦人人質事件においても、日本の民主党や共産党でさえテロリストを利する政権批判は慎むよう、トップが徹底していた。 民主党の岡田代表は事件発覚直後、記者団に「政府の足を引っ張るようなことになってはいけない」と政府への全面協力を表明した。 共産党の志位委員長も、「安倍政権の存続こそ言語道断」などとテロに関連して政府批判を展開した同党の池内沙織議員に対して、「政府が全力を挙げて取り組んでいる最中だ。今、あのような形で発信することは不適切だ」と厳重注意した。 古賀茂明コメンテーターの「アイ・アム・ノット・アベ」発言をスルーした古館伊知郎氏との違いは大きい。 報道ステーションは、安倍総理の声明を問題視するなどテロリストと同じ言い分で政府批判を展開しようとしていた。テロさえも政権批判に利用したという事実は罪深く、そうした姿勢が国民の支持を得ていたとは言い難い。 テロリストは自らの立場や主張、言い分をテレビが垂れ流すことで、すでに所期の目標を達成している。国民の電波が国民の命を奪う集団に利用されるということは、断じてあってはならない。ISILによる邦人人質殺害事件の報道ステーションによる報道内容は、公益性の観点から私は問題があったと思っている。 反対派の意見が9倍 次に、公平性について見てみたい。 例えば戦後70年談話についての報道を見ると、談話が発表された2015年8月14日の放送では、総理談話肯定派の藤岡信勝氏のインタビューが僅か50秒であったのに対し、スタジオに呼ばれた否定派の保阪正康氏は、14倍以上の11分50秒にわたって「正直言って失望しました」「どこか傍観者的、言葉は失礼ですが、地に足がついていないというのがかなり強い印象を受けます」などと批判を続けていた。 また、それに先立った2015年2月25日の放送では、社会党の村山元総理へのインタビューを特集した一方、村山談話に批判的な論客へのインタビューは行われなかった。 辺野古移設問題についても、2014年の沖縄知事選挙では、県外・国外移設を主張した翁長知事の36.1万票に対し、辺野古移設を容認した仲井眞前知事が26.1万票、県民投票で決めるとした下地氏が6.9万票であったことが物語るように、沖縄の民意は多様であるにもかかわらず、報道ステーションでは反対派の主張が圧倒的に多く取り上げられる。 安保法制についても、コメンテーターは反対派を中心に構成されており、賛成派にはたまに金曜日の特別ゲストとして外交評論家の岡本行夫氏が招かれるだけで、公平性が保たれているとは全く言えない状況だ。 中央公聴会について伝えた2015年9月15日の放送では、与党推薦の公述人の発言は55秒しか放映されなかったのに対し、野党推薦の公述人の発言は149秒にわたって放映していたことが象徴している。 TPPについても、大筋合意が実現した2015年10月5日の放送において、TPP参加でメリットを受ける側のインタビューが6秒(1人)であった一方、デメリットを被る側のインタビューが54秒(3人)と、時間にして9倍もの格差があった。世論調査では賛成派のほうが多いにもかかわらずだ。 放送法第4条では、第2項で「政治的に公平であること」、第4項で「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」が定められている。報道ステーションは第4項については、番組のスタンスとは反対側の意見についても、言い訳程度ではあるが取り上げていることから、違反しているとは言えない。 しかし「公平」とは、「かたよらず、えこひいきのないこと」(広辞苑第六版)である以上、上記の例が示すように反対意見を取り上げる機会が極端に少ない報道ステーションは公平性が保たれているとは言い難く、放送法第4条第2項については違反状態にある、と私は考えている。 意図的な歪曲も 最後に、報道の正確性についてまとめてみたい。放送法第4条第3項では、「報道は事実をまげないですること」が求められている。この第3項は「報道」という冠をつける番組においては正確性は必須要件でもある。 私はここで、生放送での言い間違いや記憶違いを糾弾するようなことはしない。人間である以上、誰もが間違えることや忘れることはあるからだ。ここで問題となるのは、意図的と疑われる歪曲である。 例えば2015年4月24日の放送で紹介された、同局が2015年4月18日、19日に実施した世論調査だ。 「日本の同盟国などが攻撃を受けた場合、日本が攻撃されたことと見なして、反撃することができる集団的自衛権を、実際に使うことができるようにする法案」という限定がない集団的自衛権の是非を問う世論調査の結果をもって、政府が進めている存立危機事態に限定する集団的自衛権が世論の支持を得ていないかのように伝えるのは意図的な歪曲であり、悪質だ。 また2015年9月3日には、アメリカのオディエルノ陸軍参謀総長から「現在、ガイドラインや安保法制について取り組んでいると思うが、予定通りに進んでいるか?何か問題はあるか?」と訊かれた自衛隊の河野統合幕僚長が、「与党の勝利により、来年夏までには終了するものと考えている」と返答した会談メモが共産党に流出。 国会の委員会で取り上げられた件については、報道ステーションでは、河野発言のうち「与党の勝利により」と「考えている」という部分をカットし、「来年夏までには終了する」という部分だけを映像とナレーションで引用するという場面があった。 あたかも、河野統合幕僚長の意思で安保法制について米軍幹部と密約してきたかのように印象づけた編集は、意図を持った歪曲だと言えよう。 沖縄基地問題についても、2015年10月29日の放送では「在日米軍の74%は今も沖縄に集中」と表現しているが、74%というのは在日米軍基地のうち米軍専用基地に限定した場合の比率であり、自衛隊との併用基地を含めた在日米軍全体の基地の比率は実際には23%であり、正確性を欠いている。 経済報道は不正確 報道ステーションで不正確な表現が特に多いのが、経済報道だ。2015年5月20日のGDP速報では、在庫は減少しているのに「在庫が増えた」と表現する一方、同年11月16日のGDP速報では在庫投資の減少が最大のマイナス要因だったにもかかわらず、「(マイナス成長の)原因は設備投資」と報道している。 酷いのは2015年11月30日の放送で、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の運用比率を見直す以前の2014年4月から株価は上昇していたにもかかわらず、GPIFの株式の運用比率を引き上げた2014年10月以降の推移だけを画面に表示して、「この(GPIF運用比率見直しの)影響なのか、低迷していた株価は上昇」と誤った表現をしている。 また2015年5月28日には、後日、経歴詐称疑惑で番組を途中降板したコメンテーターのショーン・マクアードル川上氏が、円安の影響について、価格効果や外国人観光客増加などの影響を盛り込まず、単に輸入と輸出のドル建て比率の差をもって「1円違うと大体、日本全体では1930億円マイナスになります」などと、円安はGDPを押し上げるというマクロ経済モデルとは逆の試算を紹介している。 これらの不正確な表現、あるいは歪曲は、普通であれば起きるはずのない不自然な間違いだ。喩えて言えば、目の前に堅固な橋があるにもかかわらず、遠回りして朽ち果てた木橋を渡って川に転落するようなものだ。 この技巧的な瑕疵は、番組のストーリーに合うように言葉や数字を選択して視聴者に示す「印象操作」と指摘されても仕方があるまい。 「安保法制を潰したい」「沖縄基地問題をクローズアップしたい」「アベノミクスを見直させたい」という熱い思いを肌で感じるが、こうした報道手段は正確性を欠いており、公共の電波を用いたテレビ報道としては不適切だ。 このように、報道ステーションは「公平性の観点では偏り」「正確性の観点では歪曲」が問題になると指摘できよう。 これらの特性を残したまま、公平性や正確性が求められる「報道」というタイトルを掲げるのは、公共の電波を使用する放送としては無理があるというか、不適切であると考えらえる。 高市発言に”逆ギレ” 報道ステーションによる報道番組の偏りが指摘される中、2016年2月に高市早苗総務大臣による電波停止発言が議論になった。この問題は、高市総務大臣が2016年2月8日の国会答弁で、放送局が「政治的に公平であること」を定めた放送法の違反を繰り返した場合、同法第4条違反を理由に電波法第76条に基づいて電波停止を命じる可能性について、「行政が何度要請しても、全く改善しない放送局に何の対応もしないとは約束できない。将来にわたり可能性が全くないとは言えない」と述べ、マスコミが大反発した問題だ。 古館伊知郎氏は高市発言に対してこう述べ、怒りを露わにしている。 「第4条は自律的に放送局側が政治的公平性を図る努力をすべきであるという話であって、これが罰則規定の方向に、そこだけを捉えていくということは全く納得できない」(2016年2月15日) 「放送法第4条に関しましては、倫理的な規範であると認識しておりますし、やはり現在の政権の考え方に沿う放送をやることがイコール放送法上の公平性、公正かというと私は違うというふうに考えております」(2016年3月24日) しかし電波法第76条では、「総務大臣は、免許人等がこの法律、放送法若しくはこれらの法律に基づく命令又はこれらに基づく処分に違反したときは、3箇月以内の期間を定めて無線局の運用の停止を命じ、又は期間を定めて運用許容時間、周波数若しくは空中線電力を制限することができる」と明記されている。 法律上、放送法違反が続けば電波を停止することができるという立て付けになっている以上、法律を所管する高市大臣の答弁に瑕疵はない。むしろ、「倫理的な規範」と解釈する古館伊知郎氏のほうが「法の支配」に反している。 さらに、倫理的規範であるべきと主張するのであれば、電波法の改正を訴えるのが王道であり、解釈の歪曲によって主張するのは如何なものか?また古館伊知郎氏は、「現在の政権の考え方に沿う放送をやることがイコール放送法上の公平性、公正」ではないと言うが、論理の飛躍も甚だしい。 放送法で求めているのは「政治的に公平であること」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」であって、政府の考えに沿うことではないことは明白だ。国民の電波を独占的に使用する以上、偏向報道は許されないという立法趣旨だ。 自らを伝説の騎士と信じ、巨人に見立てた風車に突進するドン・キホーテを想起せざるを得ない。そもそも電波停止発言に反論する前に、まずは自らの番組が公平性や正確性を定めた放送法第4条には違反していない、と表明すべきではなかったのか?それができなかったのは、古館伊知郎氏に「放送法第4条に違反している」というやましい気持ちがあったからではないのか? 有罪か無罪かを争わず、有罪であることを前提に量刑のあり方について被告が主張しているようで、拍子抜けをしてしまった。 他人に厳しく自分に甘い 古館伊知郎氏が「罰則規定の方向は全く納得できない」と反発した2016年2月15日は、長野県軽井沢町で発生した15人が死亡したスキーバス事故から約1カ月が経った日でもあり、同日のニュースの中で古館伊知郎氏は、バス業界に対して「ある部分、業者の方に申し訳なくても、規制をしてダメな業者さんは撤退してもらう」とコメントしていた。 まさに、「他人に厳しく自分に甘い」という報道ステーションの特性が垣間見られた放送だった。 マンションの傾斜問題やスキーバス事故が起きれば、当番組は規制緩和に事故の一因を求めて政府の介入や規制強化を促しているにもかかわらず、放送業の歪曲、偏向などの不正については政府介入は必要なし、とするのは明らかに矛盾している。 傾斜マンション問題では杭打ちを行った建設会社には15日間の営業停止、スキーバス事故を起こした運航事業者は免許取り消しという厳しい処分が下されている。もし外部の圧力に頼る必要はないと言い張るのであれば、外部から圧力がかかる前に、国民が納得する形で公平性や正確性を担保するための内部統制を整備する必要がある。 放送局各社が出資したBPO(放送倫理・番組向上機構。命令、指示など強制力なし)などで国民が納得できると思っているのだろうか?それであれば、マンション業界もバス業界も、業界団体が指導すれば済む話になってしまう。 電波停止で自浄作用を 放送法第4条と電波法第76条の条文を素直に読めば、違反があった場合には政府は電波を停止できる。しかし私は、そのような事態になる前に、自らが自浄作用を発揮すべきだと考えている。 死者まで出たアフタヌーンショー事件にせよ、政権交代が実現した選挙で発生した椿事件にせよ、報道ステーションによる原子力規制委員会の田中委員長発言の歪曲報道にせよ、1度たりとも不祥事について自ら電波停止という厳しい処分を科すことはなく、結果、何度も同じような不祥事を繰り返しているテレビ朝日という会社に自浄能力があるとは思えない。 考えてみてほしい。例えば飲食店が食中毒を起こせば、その飲食店は営業停止になる。談合が発覚すれば指名停止になる。耐震偽装が発覚しても営業停止になる。政府の差配で電波を停止されるのが嫌であれば、他業種以上に襟を正すことが必要だ。 国民にとっても政府の差配に頼らず、放送局が自らを厳しく律するほうが望ましい。そのためには、まずはやらせや歪曲報道、捏造報道、偏向報道などの不法行為があった場合には、立証が難しい故意か不作為かといった問題には逃げずにその事実に正面から向き合い、自らに対して電波停止といった厳しい処分を下すべきだろう。 国民の負託があってこその報道番組は、負託に応えられているか、検証し続けることを忘れてはならない。 臨場感溢れるプロレス実況中継やF1実況中継で名を上げた古館伊知郎氏は、もともとは右でも左でもなかったと思われる。ただ、視聴率を稼ぐには差別化が必要で、差別化するためには番組に色をつけなければならない。 朝日新聞社系列である同局としては「右」(親自民・親米)という選択肢はなく、必然的に「左」(反自民・反米)に舵を切らざるを得ず、古館伊知郎氏自身も番組開始から11年間にわたって朝日新聞所属の5人のコメンテーターの解説を隣りで聞いてきたことで、「門前の小僧習わぬ経を読む」と言われるように、朝日新聞的な思考や思想・信条が身に付いていったものと考えられる。 偏っているほど差別化が可能となり、面白いニュースショーを作ることができる。それを実践した古館伊知郎氏は卓越した表現力だけでなく、抜群の経営感覚をも持ち合わせている稀有の名キャスターであったことは間違いないだろう。 2016年4月11日から、若くて爽やかな顔立ちの富川悠太アナウンサーが後任のキャスターに就いた。キャスターが変わったことで番組も変わる、という考え方もあるかもしれない。 番組の体質は変わるのか しかし、キャスターというのは番組を構成する1つのコンポーネント(構成要素)だ。重要なコンポーネントであることは間違いないが、番組というものはチーフプロデューサーのもと、ディレクターなどの番組スタッフ、そして報道記者の集合体で作られる以上、キャスターが交代したことをもって番組全体が変わるというのは早計だ。 古館伊知郎氏は自身の出演最終日の放送において、こう語った。 「人間がやってるんです。人間は少なからず偏っています。だから情熱をもって番組を作れば、多少は番組は偏るんです。しかし、全体的に程よいバランスに仕上げ直せば、そこに腐心をしていけばいいのではないか、と私は信念を持ってます」 しかし実際には、これまで見てきたように、報道ステーションの編集手法は、古館伊知郎氏の偏りを是正して「全体的に程よいバランスに仕上げ直す」どころか、偏向に拍車をかけている状態だった。今しばらく、放送法が求める公平性と正確性を犯していないか検証を続ける必要がある、と私は考えている。 アフタヌーンショー https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%BF%E3%83%8C%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BC#.E3.82.84.E3.82.89.E3.81.9B.E3.83.AA.E3.83.B3.E3.83.81.E4.BA.8B.E4.BB.B6.E7.99.BA.E8.A6.9A.E3.83.BB.E7.AA.81.E7.84.B6.E3.81.AE.E7.95.AA.E7.B5.84.E7.B5.82.E4.BA.86 椿事件 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%BF%E4%BA%8B%E4%BB%B6 9月10日放送分の報道ステーション(テレビ朝日)での報道について 原子力規制委員会 平成26年9月11日 https://www.nsr.go.jp/news/h26fy/0911.html
[32初期非表示理由]:担当:要点がまとまっていない長文
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