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与野党とも課題を残した2つの補欠選挙 共産党の「暴力革命」論も論争に
2016.4.26(火) 筆坂 秀世
北海道5区の衆院補欠選挙で自民・公明連合と野党連合が全面対決し、自民党候補が勝利した。写真は各候補の演説が行われたJR札幌駅前(資料写真、Wikimedia Commons)
野党連合の限界が見えた?
注目された4月24日投票の2つの衆院補欠選挙が終わった。
京都3区は自民党が候補者を立てず不戦敗だったが、北海道5区は「自民党、公明党連合」対「民進党、共産党、社民党、生活の党の野党4党連合」の与野党全面対決の選挙だった。結果は僅差で自民党候補が当選した。
得票結果を見ると、4野党の連合が大きな力を発揮したのか否か、なかなか微妙である。自民党・和田義明氏の得票は13万5842票、得票率52.4%だったのに対し、野党連合の池田真紀氏は12万3517票、得票率47.6%であった。僅差であることに間違いはない。
だが2年前の衆議院選挙ではどうだったか。自民党の町村信孝氏が当選したのだが、得票数は13万1394票、得票率50.9%だった。これに対し、当時の民主党と共産党候補の得票数を合算すると12万6498票、得票率49.0%だった。
実は2年前の選挙の方がさらに僅差であった。政党連合の構図は今回とは違っていた。民主党には、鈴木宗男氏率いる新党大地がついていたが、今回は新党大地が自民党側についた。ただ、野党の側も民進党、共産党、社民党、生活の党の4党が連合を組んだ選挙であり、勝てる要素は十分にあったはずである。
選挙情勢もTPPや自民党議員の失態など、野党側に有利な面が大いにあった。ところが2年前より野党側は票を減らし、自民党は票を増やしたのである。新党大地の影響もあったであろうが、野党連合の限界が垣間見えた選挙でもあったということだろう。
無党派層を取り込めなかった自民党
どの世論調査を見ても明らかなように「政党支持なし」が圧倒的多い。時事通信が今年4月に行った世論調査では、政党支持率トップの自民党が23.9%に対し、政党支持なしはその3倍近い63.6%を占めている。
この政党支持なし層が今回どのような投票行動を行ったのか。共同通信の出口調査によると実に73%が野党連合の池田候補に投票しているのだ。朝日新聞の出口調査でも68%が池田候補に投票している。圧倒的に無党派層は野党連合候補を支持したということだ。
選挙での投票率も無党派層の行動によって大きく左右される。投票率が高くなればなるほど無党派層が投票行動を起こしているということだ。その無党派層の3割前後しか獲得できなかったというのは、自民党にとって深刻な事態である。
同時に野党側から見れば、無党派層の圧倒的多数を取り込めないと自民党には、勝てないということでもある。
その意味では、双方に課題を残した選挙と言えるだろう。
自民党は「共産党は暴力革命政党」と攻撃
3月22日、鈴木貴子衆議院議員(無所属)の質問主意書に対し、政府が、共産党は「現在においても、破壊活動防止法に基づく調査対象団体である」と指摘。共産党が戦後に合法政党となって以降も、「日本国内において暴力主義的破壊活動を行った疑いがあるものと認識している」「警察庁としては、現在においても『暴力革命の方針』に変更はないものと認識している」とする答弁書を決定した。
そうしたやり取りもあって、選挙では自民党などから「共産党は暴力革命政党だ」というたぐいの攻撃が行われた。
これに対し、山下芳生当時書記局長や小池晃現書記局長らは「共産党は一度も暴力革命という方針を決めたことはない」と反論している。小池氏などは、「だいたい、志位委員長とか、私の顔を見てほしい。暴力革命の党に見えますか? 極めて平和的な人間だ」などと述べている。
鈴木氏や自民党が、ことさらに共産党は暴力革命の政党だと強調するのは、民進党との間で亀裂をつくり出すことや、保守層の離反を意図してのことであろう。
ただ、これへの共産党の反論が「共産党は一度も暴力革命方針を決めたことはない」とか、「私の顔を見てくれ」というような情緒的な反論では、到底、世間の納得を得ることはできないだろう。
まず「私や志位さんの顔を見てくれ」などというのは、有権者を小馬鹿にしているとしか思えない。政党の正体を党員の顔を見て判断しろ、などというのは無責任の極みであり、まったく誠実さに欠ける発言である。
まぎれもなく暴力革命を掲げていた
もともと日本共産党は1922年(大正11年)に非合法政党として誕生した。もちろん議会に進出し、そこで多数派を占めることなど論外であった。だがそのもとでも革命を目指していた。
ただし、100年後に革命が実現するようにという思いで、当時の党員が共産党に入党したわけではない(共産党が誕生してすでに90余年になる)。当時、共産党に入党することは激しい弾圧を覚悟し、命を賭けることだった。それでも少なくない若者が共産党に入党したのは、日本でもロシア革命のように社会主義革命を起こせると思ったからこそである。
では、当時の非合法に置かれた状況でどうやって革命を成功させるのか。方法は暴力革命しかなかった。
戦前の共産党の綱領的文書に「日本における情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ」というのがある。ここには、「革命的情勢の存在する時、なかんずく天皇制の転覆の瞬間において、全国にわたり広範に、労働者農民ソビエトを樹立すること、ブルジョア=地主的独裁の国家機構の完全なる粉砕(警官、憲兵、陸海軍の士官の武装解除、労働者農民の武装、プロレタリア赤衛軍の創設、議会や中央および地方の権力機関の解散、労働者農民による官吏の選挙制の実施、等々)のために闘争すること」とある。まぎれもない暴力革命方針である。
警察庁が指摘する「綱領―日本共産党の当面の要求」(51年綱領)では、「日本の解放と民主的変革を、平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがいである」と述べ、同時に決められた「軍事方針」では、「占領制度を除き、吉田政府を倒す闘いには、敵の武装力から見方を守り、敵を倒す手段が必要である。この手段は、われわれが軍事組織をつくり武装し、行動する以外にない」「われわれの軍事的な目的は、労働者と農民のパルチザン部隊の総反抗と、これと結合した、労働者階級の武装蜂起によって、敵の兵力を打ち倒すことである」等々と述べられている。
そして、実際にこの方針に基づいて火炎瓶闘争などを行った。「暴力革命方針を持ったことは一度ない」などという鉄面皮なことをよく言えるものである。
共産党は破壊活動防止法(破防法)の調査指定団体にされていることに文句を言っているが、そもそもこんな法律が作られたのは、共産党が「51年綱領」に基づいて、暴力的破壊活動を行ったからに他ならない。これに文句をつける前に、自らの誤りをまず率直に認めることこそ先決であろう。
否定するなら過去の誤りを認めよ
かつて共産党は、マルクス・レーニン主義を理論的基礎に据えるとしてきた。マルクスもレーニンも暴力革命を不可避と主張し、実際に行ってきた。この理論を基礎とする政党が、「暴力革命方針を一度ももったことがない」などというのは、もはや「共産党は共産党ではなかった」と自己否定をしているようなものである。
現在の共産党は暴力革命を否定している。現実問題として武装など不可能である。ましてや平均年齢が50歳代か、60歳代というのが共産党の現状であろう。暴力革命どころではない。だがそれでも、このことが問題にされるのは、共産党自身が明確に方針転換を説明してこなかったからである。あるいは過去の誤りを自らの責任として総括してこなかったからである。その意味では、自らまいた種なのである。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46687
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