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2016年04月04日
安倍官邸のファッショ強権支配に悉くぬかずいてきた、所謂、記者クラブメディアは行きつくところに行き着いたと言って良いだろう。そもそも、全国紙の記者も、幹部諸君も、自分たちの名刺を出すことを自慢するような、日本の指導層の人間たちだと云う不遜の気持ちがある。つまり、俺たちはエリートなんだ。それ相当の努力もしたし、生まれつき能力が上なのだから、下々より良い待遇の人生は当然だ。基本的には、日本のエスタブリッシュ層の中にいる人種であり、“世論形成”のリーダーである。
或る意味で眺めれば、安倍官邸の言論や報道に対する姿勢に同調できる体質を持ち合わせていたので、時の流れに身を任せ、融通無碍な態度に終始するのも、それ程、彼らは違和感なく受け入れているフシがある。彼らの人生観や生活感には、支配する側とされる側と云う大きな枠組みがあり、その支配する側の領土に立脚している。ゆえに、そのエスタブリッシュメントの領土内にある地点であれば、東に住んだり、西に住んだり程度の自覚しかない。常に、社会の木鐸であろうとするどころか、既得権領域内で生きていくと決めている人種の集団なのだ。つまりは、支配される側の下々には、情報を流してやっている、そんな心理状態なのである。
今や、全国紙とその支配下にあるテレビ局は、悉く、流れ作業的に情報を読者や視聴者に提供している政府の広報インフラになっている。謂わば、高速道路や新幹線のレールと同じものなのだ。たしかに、官報的要素を持つ媒体もなければならないだろうが、街角に壁新聞のように貼りだしても良いレベルのものである。テレビにおいては、今や、画面に出てくるのは「お笑い芸人」が殆どで、良いとか悪いとかの評価外で時間が流れている。民放のテレビ局にしてみれば、只で視聴できるのだか文句言う筋合いはないだろう?くらいの気分に違いない。
以下の魚住氏の指摘ではないが、全国紙で読むに堪えられる紙面は、社外の人々のコラムやオピニオンだけになっている。芸術文化の情報では、流石に、エリート紙と大衆紙では差異がある。しかし、いずれにしても、紙面の多くが、官報の解説文みたいなもので占められているので、広報インフラの意味合いが強い。その点から行くと、地方紙や夕刊紙には見るべき点が多い。自分たちのメディア媒体に、魂を入れようと努力している姿が、垣間見える。各地方新聞社の経営状況がどのようになっているかハッキリはしないが、いつの日か、地方紙の時代が来る可能性は大いにあるので、孤軍奮闘だろうが、日本のジャーナリズム精神の火を絶やさずに頑張って貰いたい。
筆者がWEB上で、社説等々に目を通すのは以下の地方紙だ。政権の看視役忘れたメディアは、歌を忘れたカナリヤ以下だ。星浩、田崎史郎、後藤健二、どいつもこいつも腐臭漂う食わせ者である。
■東京新聞、中日新聞、神奈川新聞、日刊ゲンダイ、北海道新聞、西日本新聞、中国新聞、京都新聞、新潟日報、信濃毎日、河北新報、岩手日報、秋田魁新報、福島民報、下野新聞、北國新聞、神戸新聞、琉球新報、沖縄タイムス‥等。
≪ 銀座で起きたヘイトデモ、"中立"を装う「朝日新聞」はこう報じた
こんな報道に意味があるのか?
■銀座の「サイレント・カウンター」
3月6日、銀座の数寄屋橋交差点に行った。在特会(在日特権を許さない市民の会)のヘイトデモを取材するためである。 東北角の交番前で精神科医の香山リカさんとばったり会った。
「あら、魚住さん! 久しぶりーっ」。香山さんは相変わらず元気そうで忙しそうだ。挨拶を返す間もなく、彼女はデモコースのほうへ足早に立ち去った。
香山さんは格好いい。彼女はいろんな風圧や中傷を受けながら、体を張ってヘイトスピーチへの抗議行動(カウンター)をつづけている。それで人に何を言われても動じない。生半可な覚悟でできることじゃない。
交差点の四隅には「銀座の街はヘイトスピーチを許さない」などという横断幕やプラカードを掲げた人々が並んでいた。
その数は、数百人。
いつもなら、皆でデモの列に「差別主義者、帰れ!」とハンドマイクで罵声を浴びせるのだが、この日は違う。騒音で商店街に迷惑をかけぬよう、無言でプラカードを掲げるだけのサイレント・カウンターをやるのだという。
銀座では昨年1年間で14回もヘイトデモがあった。それを止めるには商店街の協力が不可欠だ。ところが商店街からは、ヘイトスピーチもカウンターも同じようにうるさいと言われた。ならば一度、ヘイトスピーチの醜悪さを体感してもらったらどうかという話になったらしい。
在特会のデモが交差点に近づいてきた。前後左右を警官に守られている。参加者は総勢60〜70人か。デモの先頭には在特会の桜井誠・前会長がいる。
「おい、そこの左翼。拉致問題はどうするんだ。何とか言え」 桜井前会長はハンドマイクでがなり立て、歩道の人々に食ってかかる。
抗議のプラカを掲げる人々が黙っているから、何でも言いたい放題だ。香山さんも侮辱にじっと耐えている。
■朝日の「中立」
私がヘイトデモを初めて見たのは3年前だ。当時に比べると、参加者は大幅に減った。若者の姿も少なくなり、大半が中高年だ。女性に至っては2〜3人しかいない。
カウンターの人々が、老若男女さまざまな人たちからなるのとは大違いである。
最近、ヘイト根絶の気運が社会に浸透したことの証だろう。
この日のデモを、朝日新聞デジタルはこう報じた。
〈東京・銀座の繁華街で6日、外国人排斥を訴える差別的な「ヘイトスピーチデモ」があり、憂慮する市民グループの呼びかけで、「ヘイト反対」の意思を示すプラカードを無言で掲げる抗議活動が行われた。 日の丸を掲げたデモ隊は「朝鮮学校をぶっ潰せ」「(中国人らへの)国 費留学制度廃止」などと訴えて銀座の大通りを行進。これに対して抗議する市民らは「銀座の街はヘイトスピーチを許さない」「人種差別反対」などと書いたプ ラカードを掲げて沿道に立った。双方合わせて数百人規模の人々が集まり、一部で言い争う場面もあった〉
私は〈双方合わせて数百人規模〉というくだりに驚いた。
ヘイトデモ参加者はカウンターの1〜2割程度にすぎない。〈数百人規模〉の大半は、ヘイトデモに抗議する人々だった。
それを〈数百人規模〉と一括りにし、なぜ、在特会の何倍もの人が抗議したという大事なファクトを報じなかったのか。
記事から感じられるのは、常に中立を装い、面倒な“偏向”批判の矢面に立つのを避けようという意識である。
それが一概にいけないとは言わない。でも、ヘイトスピーチを正面から批判しない報道に意味はあるのか。
そんな朝日とは、かなり違うやり方でヘイトスピーチに取り組んでいる首都圏の地方紙がある。神奈川新聞である。
1月31日、同紙の石橋学記者はカナロコ(神奈川新聞電子版)・オピニオンにこう書いた。
〈きょう31日、川崎市内で12回目を数えるヘイトスピーチ(差別扇動表現)デモが行われる。私は抗議のカウンターに1人でも多くの人が参加するよう呼び掛ける。少数者を攻撃する差別集団を言下に非難、拒絶し、公正とは何かを示すために、である――〉
新聞の中立の装いをきれいさっぱり脱ぎ捨てた記事である。
私は40年の記者生活でこんなふうにデモへの参加を呼びかける記事を見たことがない。
■全国紙か、地方紙か
川崎市では3年前の5月からJR川崎駅前の繁華街周辺で11回のヘイトデモが繰り返されてきた。
その一団が初めて在日コリアン集住地区・桜本に向かったのは昨年11月だった。 在特会はHPで「反日汚鮮の酷い川崎発の【日本浄化デモ】を行います」と告知。集合場所の公園では「川崎に住むごみ、ウジ虫、ダニを駆除するデモを行うことになりました」と宣言し、「半島、帰れ」と叫んだ。
しかしデモ参加者は14人。カウンターが約300人に及んだこともあって、デモは桜本の直前でコースを変更した。
ことし1月31日、再び桜本を狙うデモが計画された。前回より規模が大きい。
石橋記者は前回のデモに衝撃を受けた少年(13歳。父は日本人、母は在日コリアン3世)の言葉を紹介しながらこう続けた。
〈少年は再び抗議の沿道に立つという。(中略)一人にはすまい。絶望以上の希望を見せるのだ。社会を壊す害悪としてヘイトスピーチを非難する。(中略)悪罵で社会の公正がゆがめられたなら、倍なる声で押し戻す〉
この日のデモ(約60人)には、地元住民も含めて約1000人ものカウンターが集まった。
住民と一体のシット・インが功を奏し、桜本への進入は阻止された。神奈川新聞が果たした役割は大きかった。
ここ数年、思い切った編集方針を打ち出す地方紙が増えている。
東京新聞も5年前の3・11を契機に大きく変わった。同紙の反原発報道は全国の注目を集め、菅沼堅吾・編集局長は「あの日々から、私たちは明確な意思を持って新聞をつくっています」(3月18日朝刊)と言う。
さて、10年、20年先の新聞界で生き残るのは、旧態依然の全国紙か、それとも新たな紙面作りに挑戦する地方紙だろうか。
≫(現代ビジネス:わき道をゆく〜魚住昭の誌上デモ・『週刊現代』より)
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