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※日経新聞連載
[迫真]苦闘する野党
(1)「政権倒す塊がいる」
28日午前、国会内の旧民主党控室に木製の看板がかかった。毛筆で「民進党」の文字。代表の岡田克也(62)は「さあやるぞ、という感じだ」と意気込みを語った。国会対策委員長に就いた安住淳(54)も国対委員室に看板をかけ「看板倒れに終わらないようにがんばる」と笑顔を見せた。
民進党が27日に都内のホテルで開いた結党大会は、祝賀ムード一色とはいかなかった。旧維新の党代表の松野頼久(55)は壇上で民主党との合流の経過説明を終え、言葉を継いだ。
「維新は弱小政党のくせに『党名を変える』とか『解党だ』とか失礼なことを申し上げた。すべて政権を狙うためという思いで、お許しいただきたい」。異例のおわびは合流に至る激しいやりとりをうかがわせた。
□ □
2012年12月の衆院選で民主党が野党に転落した後、二大政党の一翼を再構築する動きは進まなかった。今回の合流のベースになったのは、岡田と旧通商産業省の3年後輩で旧知の仲である維新前代表の江田憲司(59)とのパイプだった。
江田はかねて政界再編を訴え、岡田に「清水の舞台から飛び降りてください」と促した。岡田は「自分は1990年代にそんなことはやり尽くした。もう再編は一切やらない」と繰り返した。
変化が起きたのは昨年夏。政府は安全保障関連法案の早期成立に動き、野党に焦りが強まった。
岡田は7月30日、都内のホテルのバーに江田を呼び出した。「一緒に新党をつくろう」。江田は変化に驚いた。だが提案には続きがあった。「ただし大阪系の議員を分党させてください」
民主内には安倍政権との協力姿勢をにじませる維新の最高顧問、橋下徹(46)に近い議員への不信感が根強かった。江田は「切らなくてもいいじゃないですか。うちとしてはのめない」と拒んだ。岡田は8月4日に江田や松野と会い、改めて思いを伝えた。「民主と維新が1つになってまとまらないと自民党には対抗できない」
維新内では民主党との協力を探る松野らと、国対委員長の馬場伸幸(51)ら大阪系議員が対立。8月末に分裂状態に陥った。岡田が求めた環境は整ったが、今度は分裂騒動で協議が停滞した。
岡田は松野らとの話し合いと並行し、民主内の調整を本格化する。しかし、ここでも解党に慎重な幹事長の枝野幸男(51)らリベラル派と、新党を求める元外相の前原誠司(53)ら保守派との板挟みとなる。
岡田は周辺に「民主党の解党は500近い地方組織を解散し、収支を締めるなど手続きが煩雑だ」と漏らし、解党は困難との判断に傾いていく。
協議は越年し、今年2月に入っても停滞した。松野が「このままならうちは共産、生活、社民と一緒に民主抜きでやりますよ」と迫ると、岡田は「これで決裂すれば互いに打撃が大きい」と一段の譲歩を促した。
両党の解党にこだわっていた松野が江田に「形式よりも党名の一新のほうが国民の目に新しく映る」との考えを伝え、最終的な活路が開けた。維新を民主が吸収する代わりに、民主が党名を変更する――。2月23日に大筋合意にこぎ着けた。
旧民主内には党名変更や出戻り組への不満がくすぶる。党名変更に反発し、寺田学(39)は合意の直後に広報委員長の役職辞任届を提出した。前首相の野田佳彦(58)は3月上旬、寺田をこう諭した。「お前の気持ちは分かるよ。でも安倍政権を倒す塊をつくらないといけないんだ。我々は魂を売ったわけではない」
□ □
結党大会を2日後に控えた25日夜、国会近くのホテルの日本料理店。「およそ1カ月で何とかここまでこぎ着けることができました」。岡田は前代表の海江田万里(67)や元農相の鹿野道彦(74)ら党顧問に経過を報告した。岡田はノンアルコールビールを手に珍しく高揚していた。
海江田が「衆参同日選になってもいいんじゃないか」と水を向けると、岡田は「その可能性は十分ある。まずは4月の2つの衆院補選に勝つ」と決意を示した。
民主党政権の負の遺産に区切りをつけ、非自民勢力を結集する新たな受け皿がようやくできた。しかし有権者の支持を得る政策や選挙体制づくりはまだスタートラインに立ったにすぎない。
(敬称略)
◇
民進党が始動した。衆参同日選もささやかれる中、「自民1強」の現状を変えようと苦闘する野党の動きを追う。
[日経新聞3月29日朝刊P.2]
(2)「あくまで始まりだ」
民主党と維新の党が合流で大筋合意した2月下旬。元外相の前原誠司(53)は国会内の一室で代表の岡田克也(62)と向き合った。前原は「よくここまでやっていただきました」と語りかけ、「これはあくまで野党再編の始まりですよ」と念を押した。岡田は淡々と「自分もそう思っている」と応じた。
前原はかねて「1強多弱」の現状打破に向けて、幅広い勢力が参加した新党結成を岡田に促してきた。「何を自民党との対立軸にするかの旗を掲げれば、好き嫌いなくその大義の下に集まれる」というのが持論だ。
昨年11月初旬、東京・銀座のバーに前原ら保守派の3人が集った。「年明けに通常国会が始まると新党どころじゃなくなる。年内にやらないとなあ。岡田さんに伝えるよ」。前原は気脈を通じる政調会長の細野豪志(44)、元防衛副大臣の長島昭久(54)と申し合わせた。
しばらくして前原は岡田に会い、決断を求めた。「仮に何もしなければ参院選は厳しい結果になる」と迫る前原に、岡田は「名前だけ変わっても仕方がない。最後は任せてほしい」と真意を明かさなかった。
同じ保守派でも前首相の野田佳彦(58)は、維新代表の松野頼久(55)らに複雑な思いを抱いていた。昨年夏、野田は岡田や維新前代表の江田憲司(59)らと意見交換した。「互いに解党して過去と決別し、新党をつくろう」と促す江田に、野田は「江田さんが代表ならいいが、松野さんならちょっとな」と漏らした。2012年夏、野田政権が決めた消費増税に反対して離党した経緯があるためだ。
今年1月30日、岡田が「新党結成も選択肢」と宣言した民主党大会の夜、野田は貸し切りにした東京・銀座のジャズバーに自身が率いる「花斉会」メンバー約15人を集めた。「誰より民主党に思い入れがあるのが岡田さんだ。その岡田さんが言うんだから支えようじゃないか」。維新の「出戻り組」の合流を認める考えを伝えた。
不満はくすぶっている。民進党は幹事長の枝野幸男(51)らリベラル系が執行部に残り、政調会長だった細野は外れた。結党大会後、細野は「ちょっと左に寄りすぎだが、執行部はこれで勝負する覚悟を決めたんだろう。俺はしばらく黙っているよ」と漏らした。
民進党はこれから7月の参院選の公約作りを本格化する。安全保障政策などを巡って摩擦が強まる恐れはある。
(敬称略)
[日経新聞3月30日朝刊P.2]
(3)「選挙はギブ&テーク」
2月16日昼、国立国会図書館の一室。共産党委員長の志位和夫(61)が社民党党首の吉田忠智(60)に語りかけた。「民主党はこちらが候補を降ろすのを当然だと思っていませんか。本来はいくつかの選挙区で少数政党に気を使うべきです」
「自民1強」に対抗するため7月の参院選で候補者調整を求める共産に民主はつれない態度をとり続けた。志位はこうも話した。「選挙協力はギブアンドテーク。候補者を降ろして一本化するには大義名分がいります」。吉田は「当然のことですね」とうなずいた。
他党と一線を画してきた共産が現実路線にカジを切るきっかけは、2014年の衆院選だ。改選前の8から21議席に躍進したが、与党が計326議席と圧勝。勢いを得て昨年、安全保障関連法の成立に動いた。「うちが躍進しても安倍政権が多数を握り続けては意味がない」。志位は危機感を募らせた。
昨年9月18日、安保法成立の直前に内閣不信任案の共同提出で一致した野党5党の党首会談。「もしこれが通ったら出した人で政権をつくるんですよ」。志位の言葉にどよめきが広がった。法成立を受け、志位は同法廃止をめざす連立政権「国民連合政府」構想を打ち出した。
共産の積極姿勢に民主では警戒感が広がった。
元防衛副大臣、長島昭久(54)は10月、民主代表の岡田克也(62)に「うちにプラスになりません。利用されるだけじゃないですか」と慎重な対応を促した。安保政策などで溝が大きく、安易な協力は野合批判を強めかねない。党内には「実質的に選挙協力を得られればそれでいい」と考える議員が多い。
今年2月19日、共産は安保法の廃止法案を民主を含む野党5党で共同提出した。志位は協力の環境が整ったと判断し、「国民連合政府」構想を脇に置いて32ある1人区の大半で候補を取り下げる考えを表明した。
「立てないで待っているのに」。民進党の結党を2日後に控えた3月25日、共産党書記局長の山下芳生(56)は野党幹事長会談で、衆参同日選を視野に次期衆院選でも秋波を送った。だが民主幹事長の枝野幸男(51)は「どうぞ立ててください」とそっけなかった。
共産は28日、衆院選の候補者擁立を進める方針を確認した。「人のよい対応をしすぎた。でも共闘関係は崩れない」。共産内は民進への不満と期待が入り交じっている。
(敬称略)
[日経新聞3月31日朝刊P.2]
(4)「統一名簿が必要だ」
3月2日夜、東京・北青山の日本料理屋「浅田」。生活の党共同代表の小沢一郎(73)が日本酒を片手に民主党代表、岡田克也(62)に訴えた。「参院選は統一名簿で戦うべきだ。野党がもっと大きな塊をつくり、国民の期待に応えないといけない」。岡田は「党内事情もあるのでちょっと難しいんです」とつれない返事だった。
小沢は2日後、国会近くで社民党幹事長の又市征治(71)と向き合った。口にしたのは民主への強い不満だった。「このままだと消費増税を再延期し衆参同日選をぶつけてくるぞ。『オリーブの木』をやらないと勝てない。それなのに民主党という政党は誰も判断しない」
「オリーブの木」はイタリアの政党連合にならって中道・左派勢力を結集させる構想だ。複数の政党で比例代表の統一名簿を作れば、生活や社民も存続できる。衆参合わせて5議席の生活は7月の参院選で改選2議席を維持できないと、政党交付金を得る政党要件を失う。
今年の元日、東京・深沢の私邸で開いた恒例の新年会。かつて100人超の国会議員を集めた会への今年の現職の出席者は約10人だった。小沢は最近「必ずしも合流せにゃならんちゅうわけじゃない。野党の協力体制がしっかりできることが国民の感動を呼ぶんだ」と周囲に語った。
参院選に党の存亡がかかるのは社民党も同じだ。3月上旬、国立国会図書館。机の上にお茶だけが置かれた部屋で、党首の吉田忠智(60)は民主代表の岡田に直談判した。「参院選を統一名簿で戦えませんか」。岡田の答えは「統一名簿をつくるのは新党をつくるのと同じ。衆参同日選になると統一名簿はできません」とにべもなかった。
社民党は2013年参院選で比例代表の1議席しか得られず、比例の獲得票は10年参院選からほぼ半減した。党幹部は「現在の実力では次の獲得議席はゼロだ。国政政党としては消滅だ」と危機感を募らせる。
党最大の支援労組、自治労の幹部は2月上旬、又市に民主と維新の党の合流について「社民党も協議に加わるべきだ」と促した。又市は「参院選までに地方組織の合意を取り付けられない」と首を横に振った。
生き残りを懸けたさらなる野党再編はあるか。「岡田さんが本気なら私も決断する覚悟がある」。吉田は最近、周辺に語ったが大同団結への道筋が見えているわけではない。
(敬称略)
[日経新聞4月1日朝刊P.2]
(5)「橋下さんがおらんと…」
3月7日、東京・平河町の都市センターホテルの会議室。おおさか維新の会の法律政策顧問、橋下徹(46)が憲法プロジェクトチームの会合で持論をまくし立てた。「教育の無償化は憲法に明記すべきだ」「憲法26条のこの単語はおかしい」
約20人が出席。2時間超に及んだ会議で橋下の存在感は圧倒的だった。「まず3分の2を取ろうじゃないか。中身の調整や妥協はその後でいい」。憲法改正が発議可能な参院勢力の形成へ与党との協力も訴えた。
橋下は昨年5月、大阪市長として命運をかけた大阪都構想の住民投票が反対多数となり、政界引退を表明した。
橋下が率いた維新の党は野党再編をめざす代表の松野頼久(55)らと、安倍政権との連携に意欲的な大阪系の対立が激化。橋下は10月末、盟友の大阪府知事、松井一郎(52)や片山虎之助(80)とともに約20人の国会議員でおおさか維新を旗揚げし、松野らとたもとを分かった。
大阪府知事・市長ダブル選挙でおおさか維新が勝利した直後の11月末、東京・赤坂の居酒屋。幹事長の馬場伸幸(51)と国会対策委員長の遠藤敬(47)は12月の橋下引退を前に党の先行きを案じた。「ここで踏ん張らなあかん」「役割分担して頑張ろう。それがでけへんかったら党がしんどくなる」
同党は野党共闘とは一線を画し、安倍政権に「是々非々」で臨む。だが年明けの通常国会では存在感が低下し、他の野党から「野(や)党でも与(よ)党でもないどっちつかずの『ゆ党』だ」と批判の声が漏れる。
首相官邸は野党分断の思惑もあって改憲志向のおおさか維新に秋波を送る。「橋下さん、どうするの?」。2月初旬の夜、官房長官の菅義偉(67)は馬場と遠藤に皇居近くで中華料理を食べながら尋ねた。「出たら面白いのにね。でも参院選には出ないか」。遠藤が「直接言うてくれたらいいじゃないですか。僕らが言うより効きますよ」と応じると菅は笑顔をみせた。
馬場は自らに「橋下さんがおらんと『維新スピリッツ』は実現でけへん。しばらく自分らだけで選挙を勝ち抜き、戻ってくるまでに基盤を固めておくしかない」と言い聞かせる。与野党それぞれとの距離感とあわせ、「橋下頼み」からの脱却が当面最大の課題だ。
(敬称略)
永沢毅、宮坂正太郎、飯塚遼、学頭貴子、林咲希が担当しました。
[日経新聞4月2日朝刊P.2]
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