http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/430.html
Tweet |
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52134004.html
2016年03月25日 「ジャーナリスト同盟」通信
<戦争をあおった悲しい過去>
3月23日午後、上海市の顧村公園という大きな公園を散歩している時、近くに、日本でいう「上海事変」の戦争記念館があることを知った。急いでそこに向かった。以前、見学したこともある宝山製鉄所のある場所にほど近い公園内である。松沪抗戦記念館である。幸い見学者はほかにいなかったため、ゆっくりと展示資料とにらめっこすることが出来た。そこに1枚の朝日新聞の古紙のコピーが展示されていたのを見つけた。日中戦争をあおっている1面見出しが、大きく踊っていた。
<「殊勲の将士 日章旗仰ぎ男泣き」>
「猛攻2月 殊勲の将士 日章旗仰ぎ男泣き」「大場鎮を遂に完全占領」が1面のトップ記事の大見出しである。
日本軍の上海上陸は、1937年7月7日の北平、現在の北京の盧溝橋事件からほぼ1か月後である。日本軍の手際よい早さから、盧溝橋での1発の銃声が、日本軍の挑発で起きたことを裏付けている。
8月13日に上海市宝山の揚子江(長江)入り江から上陸した日本軍と防戦する中国軍の死闘は、12月2日まで繰り広げられた。3か月にわたる激しい戦闘を物語っている。
朝日新聞のこの記事は、この間に発行されている。中国では松沪会戦と呼んでいる。
蒋介石率いる中国軍は総勢75万、日本軍は25万、装備で勝る日本軍が勝利して南京へと侵攻してゆく。この戦闘で中国軍30万、日本軍9万が死傷する。中国軍の抵抗の強さを物語っている。ただし、戦略のまずさもあって敗北した。
<日本軍の三光作戦>
宝山にほど近い農村では、初めて略奪・殺害・焼却という世にも恐ろしい三光作戦が発生している。2242人の平民の8割が殺害、民家を焼かれている。
100人斬りは、南京攻略の前に表面化した。軍刀を手にした2人の少尉の写真も展示されている。
<中国最大の慰安所が上海>
現在も従軍慰安婦問題が、国連を舞台に話題を振りまいている。日本政府が、寝ていた子を起こしてしまったツケでもある。日本外交の大失態でもあるが、世界史に記録するためには、よかったのかもしれない。
慰安所がなんと一番多かったのが上海である。166か所だ。異常に多いのに驚く。上海師範大学には、これの研究センターがあるのも、166か所のせいなのだ。最近、その一つの場所が、住宅建設で破壊するということがわかって、市民の反発も広がっている。
ちなみに中国共産党が指揮する八路軍の上海事務所が成立したのは、37年の8月。盧溝橋事件から1か月後になる。
<黄浦江の軍艦「出雲」>
島根県の出雲大社から命名した戦艦「出雲」が揚子江から、支流の黄浦江に入ったのは、記念館資料によると、37年7月11日である。盧溝橋7・7事件からわずかしか経っていない。
盧溝橋事件と連動した軍事行動であろう。
確か数年前に上海の日本料理店「出雲」「いずも」が閉店したというニュースを記憶している。客が敬遠した理由も、これで判明した。この艦名が、ここにきて自衛艦によみがえったのも、日本軍国主義化の現れとみられている。
<国民の味方を貫いて読売化に抵抗せよ!>
戦後の朝日新聞は、戦前の戦意高揚の新聞を反省して再生したはずである。
筆者は朝日の愛読者の一人であった。中曽根内閣が誕生して、読売が中曽根新聞に変質すると、読売の記事を信用しなくなった。15年ぐらい前から朝日の社説がぐらついたことから、購読を止めてしまった。
友人の弁護士も止めている。自民党のリベラル派の議員も止めた。東京新聞に切り替える人が増えてきている。
昨年の従軍慰安婦報道でのミスから、朝日批判が政府や読売から攻撃されて、さらに社説に元気がなくなってしまった。
「朝日の読売化」である。政府批判を止めたような朝日に魅力はない。何としても、政府監視を止めてはならない。止めれば国民を裏切ることになろう。弱者・国民の側からの姿勢を貫く必要がある。読売化は自滅を意味するだろう。
1945年8月15日を忘却してはなるまい。
この上海戦争記念館は2000年に作られ、しばらくして昨年まで閉館してきたが、戦後70年を期して再館にこぎつけた。
展示品は200点、まだ3000点も残っている。「近く2期工事が始まる」と記念館の説明員が教えてくれた。歴史の直視は人間として必要不可欠だ。
2016年3月25日記(武漢大学客員教授・上海交通大学研究員)
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK203掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。