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議会軽視の安倍政権はさながら「超然主義」を唱えた薩長藩閥政府ー(田中良紹氏)
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16th Mar 2016 市村 悦延 · @hellotomhanks
民主党と維新の党が合流する新党の名前が「民進党」に決まった。
民主党側が「立憲民主党」を提案し、維新の党が「民進党」を提案して世論調査を行った結果、
「民進党」の支持が高かったのだという。
フーテンは新党が安倍政権と真っ向から対峙するのなら、
日本の近代政治史の中で薩長藩閥の官僚支配に対抗した自由民権運動から「民権」を頂き
「民権党」にしてはどうだろうと個人的には考えていた。
安倍総理が長州の出身だからという訳ではないが、
第二次政権誕生以来の安倍政治を見ていると議会軽視の姿勢がはなはだしい。
それは「超然内閣」と称して議会が何を言おうが聞く耳を持たなかった
明治の薩長藩閥政治を想い起させる。
特に昨年の安保法制に関わる国会審議は歴史に汚点を残すものだったとフーテンは思う。
以前から書いているようにフーテンは憲法改正論者である。
広島、長崎への原爆投下や大都市への無差別爆撃に対する報復を恐れた米国が、
日本を永久支配するために作った欺瞞に満ちた米国製平和憲法に代わり、
日本人が自らの頭と自らの手で日本製平和憲法を作るべきだと考えている。
しかし昨年に安倍政権が行った集団的自衛権の行使容認はまるで日本の自立とは真逆で、
米国議会に媚びへつらう一方、自国の国会審議では意味不明の答弁を繰り返すだけで、
全く国民の声を聞こうとせずに法案を強行可決した。
議会には内閣をチェックする機能がある。
特に多数党が内閣を組織する議院内閣制の場合は野党の少数意見を聞くようにしなければ
議会の存在理由がない。
従って選挙で多数になったから多数決で押し切るという政治を議院内閣制の英国では決して行わない。
少数意見を取り入れ修正を施すところに議会の意味はあるのである。
ところが安倍政権のやり方はまるで英国議会とは異なる議会軽視のやり方だった。
こんな政治をフーテンは見た事がない。
あるとすれば薩長藩閥政府の「超然主義」の時代にさかのぼるのではないかと思った。
官僚支配ではなく議会主導の政治を主張した自由民権運動の源流は坂本龍馬である。
龍馬は慶応3年に「船中八策」で、徳川に代わる新時代は議会政治で運営されるべきだと説いた。
それは明治天皇の「広く会議を興し万機公論に決すべし」という「五箇条の御誓文」に反映されるが、
それをさらに発展させた政治思想を龍馬は「藩論」という小冊子に著している。
そこで龍馬は当時の西欧世界も実現していない普通選挙を主張した。
すなわち庶民も含めた男女全員が選挙に参加するのである。
ただ庶民に直接権力者を選ばせれば過ちを犯す危険性がある。
そこで龍馬は選挙を二度行うよう主張した。
つまりアメリカ大統領選挙で国民が選挙人を選び、選挙人が大統領を選ぶのと同様のやり方である。
そして龍馬は薩長の武力倒幕に反対し大政奉還を幕府に進言した。
それを徳川慶喜が受け入れた事で龍馬は慶喜を初代議長にする人事構想を練った。
ところがその直後に龍馬は暗殺され、薩長は武力で幕府を打倒する。
こうしてできた明治政府は薩長出身の官僚が支配する政治体制になり、
龍馬が主張した議会制デモクラシーは日の目を見る事がなかった。
薩長藩閥の専制政治に不満を持つ勢力の中から龍馬の思想を実現しようと自由民権運動が起こる。
その主張は「議会開設運動」となって盛り上がり、明治23年についに衆議院選挙と議会開設が実現した。
ところが薩長藩閥政府はその前年に黒田清隆総理が「超然演説」を行い
「政府は超然として政党の外に立つ」と宣言し、
自由民権思想から生まれた政党の声に耳を傾けない姿勢を示した。
第一回衆議院選挙は、
15円以上の税金を納めた25歳以上の男子だけが選挙権を持つ国民の1%による選挙だったが、
それでも民権派が過半数を超えた。議会が予算の削減を求めると政府はその声を聞かず、
民権派議員の切り崩し工作を行って、政府の主張を押し通す。
フランスで啓蒙思想を学んできた中江兆民は衆議院議員だったが、
この国会を見て憤慨し議員を辞職する。
明治政府の「超然主義」は大正デモクラシーの時代まで続き、
「不偏不党」が美徳で政党政治は偏ったものと考える風潮を国民に植え付けた。
現在でも日本が他国と異なるのは「支持政党」を持たないのが普通で、
地方首長選挙などの候補者はほとんどが「無所属」を名乗る事である。
それは明治以来の政党政治に対する偏見が日本の政治土壌に深く根付いているせいだとフーテンは思う。
そしてこの国の官僚支配が長く続いた原因の一つに
民権派に対する「政治とカネ」のスキャンダル攻撃がある。
民権派の政治家は政治主導で税金の分配を行おうとする。
すると決まって政府に操られた新聞が「利益誘導型政治」と批判するのである。
戦前は義憤に駆られた庶民のテロが民権派政治家を襲った。
「政友会」を率いた星享や原敬などの有能政治家はそれで暗殺された。
戦後になると暗殺はないが、田中角栄元総理を逮捕したロッキード事件など、
「政治テロ」と呼ぶにふさわしい事件が有能政治家を失脚させる。
フーテンはかつて角栄氏に「なぜ年長の福田赳夫氏に先を譲り、
後から総理にならなかったのか」と問うた事がある。答えは官僚政治との戦いだった。
角栄氏が仕えた佐藤栄作氏は官僚出身政治家である。
角栄氏は日本が高度成長する中で官僚機構の肥大化が顕著となり、
財政負担が大きくなることを見通して、行政改革の青写真を作った。
佐藤総理に進言すると反対しなかったが、
後で気づくと角栄氏の構想はことごとく骨抜きにされたという。
その時にどうしても官僚出身でない自分が総理にならなければと思ったというのである。
政治の対立軸として、冷戦時代には「右」か「左」かというイデオロギー対立があった。
それが「改憲」か「護憲」か、また「対米自立」か「対米従属」で争われ、
冷戦後には「大きな政府」と「小さな政府」という対立軸が言われるようになった。
しかしフーテンが見てきた日本政治の実態は、
「官僚主導」か「政治主導」かが明治以来の今なお続く最大の軸である。
2009年の政権交代は「政治主導」を実現するためのものだった。
しかし余りにも稚拙な民主党政権の政治技術によって安倍自民党政権が復活する事になり、
その安倍政権はひたすら米国と霞ヶ関に媚を売る事で政権を永らえさせようとする。
それに対抗する「民進党」は「国民とともに進む」という意味らしいから、
やはり坂本龍馬を源流とする自由民権の「議会制デモクラシー」を実現する政党であってほしいと
フーテンは思う。
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