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東日本大震災、そして福島第1原発事故から5年
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2016.03.11 きっこのブログ
2011年3月11日に発生した東日本大震災から、今日で丸5年を迎えるということで、しばらく前から、テレビやラジオ、新聞や雑誌など、様々な媒体が震災関連の特集を行なって来た。そして、その特集の多くが、被災地の現状と復興の進捗状況を伝えるものだった。
あたしはテレビのない生活をしているので、主にラジオの特集を聴いていたけど、特に印象的だったのが、7日の文化放送「くにまるジャパン」の中での、月曜日のパートナー、加納有沙アナのレポートだった。「くにまるジャパン」では、今週、各曜日のパートナーの女子アナが、それぞれ被災地や仮設住宅などを取材して、現地の人たちの声を紹介するという特集を行なっているけど、月曜日の有沙ちゃんが1番バッターだった。
有沙ちゃんの母方の親戚の人が、福島県のJR常磐線富岡駅前で「大東館」という旅館を営んでいて、有沙ちゃんも子どもの時に何度か泊りに行ったことがあると言う。でも、今回の震災で津波の被害に遭ってしまい、その上、原発事故の放射能汚染で富岡町は避難区域に指定された。そして、今回、この旅館を取り壊すことが決まったため、その前に、有沙ちゃんは思い出の旅館を取材に行ったのだ。
有沙ちゃん自身、約20年ぶりに会うという旅館のご主人と奥さまと一緒に、津波の被害を受けてから5年間、そのままになっていた旅館へと足を踏み入れた。ラジオだから音声だけのレポートだけど、有沙ちゃんの細かい描写から、ガレキで荒れ果ててしまったロビーの様子や、津波がそうとう高い位置まで押し寄せたことが伝わってくる。
「ガレキ、ガレキって言っても、当事者の自分らからしたら、思い出の詰まった思い出山だからね」
ご主人の「思い出山」という言葉を聴いて、あたしは涙が止まらなくなった。少ない言葉からも、数々の思い出のある大切な旅館を取り壊さなくてはならないご主人の無念さが伝わって来て、あたしは胸が苦しくなった。有沙ちゃんはレポーターに徹して、なるべく感情を出さないように淡々と伝えていたけど、それが逆に、被災した人たちの多くの思いを聴く者に届けてくれた。ラジオは音声だけだけど、有沙ちゃんがツイッターに旅館の画像をアップしてくれたので、以下、紹介させてもらう。
加納有沙 @alissa_kano
私の親戚は福島県富岡町で旅館を営んでいました。そしてあの震災で津波と原発の被害を受けました。【あれから5年】止まっていた街がようやく動き始める。思い出のある旅館の取り壊しを前に、揺れる思いをリポートします。
加納有沙 @alissa_kano
福島県JR常磐線富岡駅前にあった親戚の営む旅館【大東館】小さい頃、フロントでかくれんぼしたり、大きい製氷機からこっそり氷をとって食べるのが好きでした。先週の土曜取り壊されたそうです。これが震災から5年の今。これからです
加納有沙 @alissa_kano
東日本大震災で津波・原発被害を受けた富岡町で、自分の旅館が取り壊される前の気持ちを伺ったとき『ガレキ、ガレキっていっても、自分らからしたら【思い出山】だからね』の言葉。とてもとても胸に刺さりました。あそこにあるものは人の気持ちが、人生が宿ったものばかりでした。
‥‥そんなワケで、今日は「いかがお過ごしですか?」は割愛して行くけど、震災から5年を迎えた現在、被災地の復興はどれくらい進んでいるのだろうか。3月3日付の河北新報の「<震災5年>首長「復興進んだ」76%」(http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201603/20160303_71028.html)という記事は、次の導入から始まっている。
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「東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島3県の計42市町村長を対象に河北新報社が行ったアンケートで、復興が「まあまあ進んだ」と答えた首長は32人と76.2%に上った。10人が「あまり進んでいない」「遅れている」「評価できない」とした。」
この部分だけを読むと、ずいぶん復興が進んでいるようにも感じられるし、記事の見出しだけを読んだ人は、さらにそう思うだろう。でも、この記事を最後まで読むと、復興がほとんど進んでいない町や村が複数あることも分かる。
この河北新報の調査は、岩手県12人、宮城県15人、福島県15人、計42人の首長を対象に行なわれたが、岩手県の首長の大半が復興率を「59〜90%」と高い数値を回答したのに対して、宮城県の首長は「30〜80%」と、上下に大きなひらきがある。そして、福島県では、田村市、楢葉町、広野町、川内村の首長4人が「50〜80%」と比較的高い数値を回答したのに対して、浪江町、双葉町、飯舘村、葛尾村の首長4人は「10〜20%」と極めて低い数値を回答している。
岩手県の被災地の復興が比較的進んでいて、福島県の復興が遅れている。また、福島県の中でも、80%も復興が進んでいる地域がある一方で、未だに10%しか進んでいない地域もある。これは、福島県内で復興が遅れているの町村名を見れば分かるように、原発事故による放射能汚染が復興の妨げになっているからだ。
‥‥そんなワケで、加納有沙ちゃんがレポートした旅館のある福島県富岡町は、震災直前の人口が1万5937人で、震災で315人の人たちが犠牲になった。そして、現在は、福島県外に避難している人が4322人、福島県内に避難している人が1万839人、計1万5161人が今も辛い避難生活を余儀なくされている。原発事故による放射能汚染という人災によって、ほぼ全町民が避難していて、自分の町へ戻ることも制限されているのだから、復興が進まないのは当然だろう。
富岡町と同じく、全住民に避難指示が出ていた楢葉町は、原発事故から4年半を迎えた2015年9月5日に、政府が避難指示を解除した。全住民に避難指示が出ている自治体では初めての解除で、政府はこれをモデルケースとしたかったようだ。でも、避難指示の解除から半年が過ぎた現在、楢葉町に帰還した住民は459人だけで、これは全町民7089人のうち、わずか6%にすぎない。そして、帰還した459人のうち、7割近くが60歳を超える高齢者だ。
現在の楢葉町には、1軒のスーパーマーケットと2軒の食堂とプレハブ小屋の仮設郵便局があるだけで、他に商店は何もないという。そして、町のいたるところに、放射性廃棄物が詰め込まれた黒いフレコンバッグが山積みされている。こんな状況で、「避難解除したから帰還してください」と言われても、たとえ帰りたくても帰れない人たちが大半だと思う。楢葉町に帰還した70代の男性は、「この町の人口や経済が回復する見込みはほとんどありません。結局、この地域は消滅するのです」と寂しそうに語った。
でも、政府が避難解除を宣言したとたんに、大きく変わってしまうことがある。それは、仮設住宅や親類の家などに避難している町民が「自主避難者」にされてしまうということだ。政府の避難指示に従って避難している人たちは、状況に応じて最低限の補償などが受けられるけど、「自主避難者」は自分の意思で避難しているのだから、国も自治体も東電も何の補償もする必要はない、ということだ。政府が避難を解除すれば、その地域から避難していた人たちに対する加害者の補償責任は消滅し、加害者である東京電力の負担が減るという構図になっている。
‥‥そんなワケで、震災から5年を迎えた今回、いろいろな媒体の復興に関するレポートや記事を見聞きしたあたしは、復興にも「格差」があることを知った。そして、その最大の要因になっているのが、原発事故による放射能汚染という人災であることも分かった。原発事故で避難を余儀なくされた人たちは16万人以上もいるけど、このうち、現在も福島県内の仮設住宅などで生活しているのは全体の10%程度で、大半の人たちは県外に家と仕事を見つけて新たな生活を始めている。つまり、もう故郷に戻ることを諦めた人たちなのだ。安倍晋三首相は震災から5年を迎えた会見で、「私は被災地を30回も視察した」とドヤ顔でノタマッて「復興は進んでいる」と豪語していたが、官僚が用意した「復興の進んでいる自治体」ばかりを漫遊して自画自賛を続けるのではなく、一度でもいいから富岡町や楢葉町、双葉町や浪江町や飯舘村を視察して、原発という間違った国の政策が、どれほど多くの人たちの人生をメチャクチャにしてしまったのか、この事実を深く胸に刻み、二度と同じ過ちを繰り返さないようにしてほしいと心から思った今日この頃なのだ。
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