しかし、こういうのを商売でやる女性がいるのかな?:性的サービスを逃れようと入浴を拒んだ慰安婦は、木に逆さに吊るされ、 ライフルで殴られ、乳首を切り取られて、 最後に膣から銃で撃ち抜かれて殺害された。 激しく抵抗した慰安婦の1人は、胴体と頭を別々の馬に縛り付けられ、 他の慰安婦の面前で引きちぎられて殺された。
日本兵は「慰安婦」が妊娠すると、容赦なく殺しました。 そのような女性の中に、ボンニョという女性がいました。 ある日、日本兵は「慰安婦」たちをみな庭に集合させ、 みんなの見ている前でボンニョを木に吊るし、軍刀で彼女の腹を切り裂いたのです。そして、出てきた腸や胎児をめった切りにして、私たちの首に掛けたのです。 性病にかかり、50人の日本兵に病気を移した韓国人慰安婦の1人は、灼熱の鉄棒で膣を消毒された。 オ・ズンイとう女性が、梅毒にかかったことを知らせなかったため将校にうつったという理由で殺された。 彼女は口に布を詰められ、焼いた鉄の棒を子宮に入れられて即死。引き抜いた棒には肉がこびりついていた こんなことがあった。私の隣の部屋にいた全羅道出身の知らぬ間に妊娠した。 彼らは妊娠しているのもかまわず性行為を強要し、ついには性行為の最中に 流産した彼女のおなかを日本刀で切り裂き、出てきた胎児をごぼう剣で刺し殺し、 妊婦までも殺したのである。
○オ・チョンヘという女性が、将校によって子宮に鉄の棒を押し込まれて殺された
○オ・ズンイとう女性が、梅毒にかかったことを知らせなかったため将校にうつったという理由で殺された。 彼女は口に布を詰められ、焼いた鉄の棒を子宮に入れられて即死。引き抜いた棒には肉がこびりついていた ○鄭さんの口にゴムホースが押し込まれ、水が注がれた。膨れ上がったお腹の上に板が乗せられ、 兵隊がシーソーのように踏みつけた こんなことがあった。私の隣の部屋にいた全羅道出身の知らぬ間に妊娠した。彼らは妊娠しているのもかまわず性行為を強要し、ついには性行為の最中に流産した彼女のおなかを日本刀で切り裂き、出てきた胎児をごぼう剣で刺し殺し、妊婦までも殺したのである。
日本の敗戦も濃厚になってきたころ、軍人たちは、私たちが朝鮮語で話したりすると神経質になって、「日本が負けると言っただろう」と執拗に迫り、日本が負けることになったら「お前ら皆殺しにする」と言って脅した。 ○火のついた煙草を鼻や子宮に入れる
○将校が「おれは、飽きたからお前がやれ」と言ってシェパードをけしかける ○戦闘で負けた腹いせに慰安婦に銃を乱射して殺したり、穴を掘って入れ、手榴弾を投げ込む ○妊婦の腹を裂き胎児を刺し殺した後、妊婦も殺す ○慰安婦150人を並ばせて斬首 日本の敗戦が決定的になったころ、血迷った彼らは、朝鮮人と中国人の慰安婦ら150名くらいを2列に並ばせて、「かかれ」と小隊長が号令をかけた。両端から日本刀を振りかざした兵士らが襲いかかり、皆殺しを始めた。飛び散る血の雨に私は意識を無くして倒れた。私には3、4日くらい時間が過ぎたように思う。意識を取り戻してみたら、その血の海の中で、私のほかに2名が生き残っていた。
はうようにして近くの中国人の家に助けを求めに行った。「私は朝鮮人です。助けてください」と必死に叫んだ。 中国人は数日間かくまってくれて、中国服を一着くれた。それを着て朝鮮人の家を探して行き、そこでしばらく世話になった。8月15日の解放は、その朝鮮人に教えられた。 9月になってどうしても故郷の両親に会いたくて、世話になった朝鮮人の家族に旅費を借りてやっとの思いで故郷に帰ってきた。しかし、両親は既に死亡していた。 私が日本人からもらったものは病気だけ。子宮はメチャメチャにされ、心臓は悪くなり、腸も悪くて下痢ばかりして、今でも病院に通っている。 日本軍の通った中国大陸の隅々には、犠牲になった朝鮮女性の血がしみこんでいる。このことを知ってもらいたい
日本人は占領地域でこういう事ばかりやっていたんだよ: 日中戦争証言 車河堡 王さん(69歳)柳河口
1回だけ見たことがあります。強姦したのは普通子どもには見せないんです。 1回見たのは、若い女性に沢山水を飲ませて、お腹を膨らませたり、 鉄の棒を火で焼いて、赤い鉄の棒を乳房に当てたり、女性の生殖器に差し込んだり、 あるいは銃剣の先を焼いて乳房や生殖器をえぐり取ったりしました。 http://www.jade.dti.ne.jp/~kaworu/syogen/syakaho.html 日中戦争証言 劉寨子 王さん(64歳)さんの話
1972年の日中友好国交回復に対して、この地域の人はみんな反対しました。
私たちは、つらい経験したのに、どうして今更友好などという言葉を言い出して関係を回復するのか。 政府は何回も説得して、 「当時は軍国主義のやったことで、日本人民、日本国民たちとは友好関係を持っていかなくてはだめだ。戦争は、普通の人民の責任ではない。」 と教えられた。 しかし、今も気持ちとしては、今になってもやはり「日本」という二文字を聞いたら「憎む」という気持ちが湧いてきます。 私の考え方では、このような歴史はいつまでも次世代、どんな世代になっても忘れてはいけないことです。私はわりと若いですから、当時の詳しい話は次の夏さんに教えていただきたいです。 http://www.jade.dti.ne.jp/kaworu/syogen/ryujya.html#ou78 ニューギニアで旧日本兵が行った残虐 ウエワクの約2百人の集会ではロレンス・イフィンブイさん(70代・男性)が、 「日本兵にブタを持ってこなければ母親を殺すと脅されたので、ブタを工面して持っていくと、 日本兵は母親をレイプし、殺しました。 それも胸だけをカットして、ゆでて食べるという方法です。 母は出血多量で死ぬまで、そこに放置されました」 と語った。 「日本兵の宿舎でセックスの相手をさせられました。 兵隊の階級には関係なく、多くの人の相手をしました。 約10人ぐらいの未婚女性がいましたが、疲れてできないと拒否して殺された者もいる。 第一キャプテンの名はウエハラ、第二はワギモトでした。 わたしは幸い宿舎から逃げ出せました。何ヶ月かわからないけど、長い間でした」 というのはウルゥプ村のカミ・ドマラさん。証言する彼女に寄り添う夫は日本軍のケンペイ(憲兵) として働かされ、暴行を受けたという。 すでに被害登録は約6万5000人にのぼるという。ちなみに現在のパプアの人口は390万人。 登録者は約60人に1人になる(登録者はニューギニア島東部だけではなくラバウルなど周辺の島々を合わせた数)。 最も多いのは「武器や食料の運搬に駆り出された」約2万6000人だが、 人肉食犠牲者1817人、 胸を切断され死亡した女性19人、 性器を蛮刀でえぐられて殺された女性8人、 強姦されて殺害された女性5164人 ____ 日本兵による人肉食事件
1946年6月、フィリピンのインパソゴン村でその事件は起きた。 村で評判の美人である若妻(20歳)が、日本兵に捕らえられ、刃物で切り殺された。 日本兵は全裸にした女を、バナナの葉の上に横たえ、解体作業を行った。 切り取った肉片とトウモロコシと雑草でスープを作って食べたということである。 日本兵によって、同様な行為が、各地で行われた。(「棄てられた日本兵による人肉食事件」) インタバス村、いや現在分かっている日本兵の人肉食も氷山の一角であり、フィリピン以外のほかの地域でもごく日常的に行われたというのですから、恐ろしいですね。 なお、この食人の発生した地域には野生の鹿が多数生存していたという。
敗残兵は鹿を捕まえることができず、人肉に走ったのだろうか? それとも、鹿肉より美女の肉の方が旨かったのであろうか・・・ 尚、これほどの事件を一般日本人は殆ど知らない。
この事実は1993年にTBS、テレビ朝日が簡単に短い時間で報道しただけで、新聞にも発表されなかった。 放送されなかった理由として、あまりにも悲惨な事件であったこと、遺族会からのクレーム等である。 しかし、こういった事実はあったのである。 http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/78306030.html 日本軍はルソン島やパナイ島、レイテ島などの島々を占領すると、すぐに各地で「慰安所」作りを始めました。 朝鮮人や台湾人、日本人女性を送り込んだだけでなく、未成年者も含めて、 地元のフィリピン女性を無理やり慰安所に連行しました。 さらに各駐屯地の部隊がたびたび女性を拉致・監禁し、強かんを繰り返しました。
フィリピンを占領した第14軍に、強かん・略奪などが多かったことは 陸軍中央でも問題にされたほどでした。 http://fightforjustice.info/?page_id=2620
[32初期非表示理由]:担当:アラシ
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