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雑感。聖火台の問題
http://blog.livedoor.jp/analyst_zaiya777/archives/52789118.html
2016年03月06日 在野のアナリスト
参院情報監視審査会が、審査結果において特定秘密に関する政府の運用について、判断しない方向を示しました。そもそもこの審査会は、政府の恣意的な運用を防ぐために設置されたもので、判断しないということは存在意義がない、ということ。それどころか、特定秘密保護法自体、監視者がいなくなるのであって、存在理由が満たせるのか? ということになります。報告書は正式決定され、公表されることになりますが、そのときにこの審査会の立ち位置、日本における特定秘密保護法の存在について、改めて議論されることになるのでしょう。
新国立競技場に聖火台がない、という問題が発生しました。森喜朗大会組織委員長は「馳文科相の責任だ」とし、舛添都知事は「JSCが考えるもの」とし、遠藤五輪担当相は「セレモニーの一環で考えるもの」とし、馳文科相は「競技場外になるとJSCは思い込んでいた」とし、JSCは「大会組織委員会が設置、検討」とします。順繰りにいくと、みんなが「誰かの責任」と述べているだけで、当事者意識がないばかりか、責任逃れに終始している。屋根に木材を用いるため、消防法ではその下で火をつかえない。それこそ聖火台が暖炉か、ストーブになれば設置できるのかもしれませんが、周囲を囲われた聖火台になれば五輪初のことになるのかもしれません。
どうしてこんなことになるのか? 明らかに船頭多くして…といった状態が、そうさせるのでしょう。主体的に責任を負う組織がなく、かといって誰もが口をだせる立場にいる。都合よく口をだしても、都合が悪くなると逃げてしまう。責任がないのに口をだせるのですから、五輪が利権にしか見えなくなってくる。そうやって五輪が食い物にされている構図がここにあります。
勿論、これは政府の責任です。船頭を整理するのが政府の役目、責任と権限の所在をはっきりさせていないからです。ザハ案の採用のころから、同じ間違いをずっとくり返しており、修正していない。ザハ案をとりやめ、公募にしたのも政府なのですから、現在の案の責任は政府が負うべきでもあります。きちんと公募の条件を提示していれば、少なくともこうした問題はでてきていないのですから。新国立競技場は、何も五輪のためにあるものではなく、五輪でも使用できるように条件を提示するのは、大会組織委員会か五輪担当相,の責任でしょう。少なくとも、五輪のためだけに存在する組織、責任者なのですから、その成功のために最大限の配慮、目配せをしなければいけない立場でもあります。この両者には担当能力がないことが歴然です。
以前も指摘しましたが、安倍政権は指導力がある、とされているのに、でてくる問題はどれも『指導力のなさ』を示します。指導力を発揮してザハ案をやめてみたら、この為体なのですから。本当に指導力があって、問題解決能力がある政権なら、少なくともこうした問題をくり返してはいけないでしょう。五輪担当相、大会組織委員会、文科省、JSC、東京都、船頭多くして先頭を行くものなく、問題があると互いに罪をなすりつける戦闘をはじめる。その船を束ねる立場にいる政府が、扇動に躍起となるばかりで実際の能力がない、専横をくり返すのですから、成功の見込みは低くなるのでしょう。すべての組織、立場の選別からはじめ、その存在について精査し、交通整理をしないと、五輪は浅慮により失敗するでしょう。五輪の聖火台=聖・課題になりつつあるのでしょうね。
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