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12年間の勉強が2ヵ月半?〜小中高には行かないで大学に行った娘の話.高認篇
6年かけて学ぶはずの算数は3日でクリアできる!〜小中高には行かないで大学に行った娘の話.算数篇
中高で習う数学は12時間でマスターした!! 〜小中高には行かないで大学に行った娘の話.数学篇
Hello! AI-amの吉田 晃子です。
義務教育である小学校、中学校、および高校も魅力をかんじなかったので行かないで(学校側からみれば不登校)、高認から大学受験に挑んだ娘、AI-amの星山まりんさんの話。
12年間の勉強が2ヵ月半?〜小中高には行かないで大学に行った娘の話.高認篇
●突如、大学に行こうと思い立つ●
※正確には小学校入学式と、1年生のあいだはちょくちょく行ってました。
17歳(学年でいえば高3)の夏、突如、大学に行こうと思い立ったまりんさん。
昼食後のコーヒーを飲みながら、まったりとおしゃべりをたのしんでいたときのこと。
「わたし 芸大に行くわ〜」
「あら〜そうなん。ええやん〜。前々からおもってたん?」
「いま! 」
わたしまでが わくわくしだしました。
●小学校から行っていなくても高認(旧大検)を経て大学に行くことができます●
さっそく高卒認定(旧大検)のことを調べています。
高認試験は8月と11月の年2回あり、11月に実施される試験日になら出願は間に合うことを知り、
「おお、ラッキー! 」
即効でインターネットから願書を申し込んだ まりんさん。
コーヒーは冷めたけれど、おしゃべりは 熱くはずむのでした。
●高認を受ける、その心の内はというと●
「ということは……
11月の高認試験で全科目受かったら、間をあけないで大学を受験できるってことやんな?
※12月高認合格発表→翌年1月センター試験→2月大学一般専門試験
おもしろい!! これまでしたことのない遊びやん。
ここはいっちょ来春めざして、『学の冒険』に挑んでみるわ」
転ばぬ先の杖を持たない子育ち家庭に生まれ、デモクラティックスクール(サドベリースクール)で学び育ち、12歳で デモクラティックフィールドのらねこ (以下、のらねこ)を立ち上げた人です。
ハートがキャッチしたやりたいことが、えらく困難とおもわれることであっても、出来るか出来ないか、ではなく、どうやったらやれるか? と掴みきき、具体的に工夫をめぐらせていくのはおてのもの。
遊び心に火がついた。
「たのしみだー」
「たのしみだねー」
「で、なにから する?」
●高認試験まで2ヶ月半●
学校に行かなくても勉強はいくらでもできます。むしろ自分のペースでできるので効率もいいのではないでしょうか。
(学校には行かないで)塾や家庭教師、独学で勉強している子どももいます。
けれども まりんさんは家ででも、スクールででも、科目勉強をしたことがありません。
これまでにテストなるものを受けたこともありません。
たとえば算数。
九九(かけ算)はおろか、足し算から知らない状態です。
英語も知らないです。主語ってなに? be動詞? なにそれ?
道はけわしい。
きつい様はほかにもありました。
のらねこのしごと以外にも、週5日バイトをしている社会人受験生です。
●行動力と実行力●
家庭と、デモクラティックスクールと、のらねこ、これらの共同社会のなかで、どれほど時間がかかっても成し遂げる力を得てきました。
その行動力に足して、15歳から一般企業ででも働いてきた経験は、「時間」が先にあり、かつ、成果を伴わなければならない、利益社会で必要な実行力をも身についていたのでしょう。
目的・目標を明確に設定して、ブレずに力を発揮したのです。
●12年間の勉強が2ヵ月半●
足し算・引き算からはじまって、かけ算・わり算、分数に小数点……。小学校で習う算数は3日で終えました。
方程式をおぼえ、因数分解や不等式もクリアして、三角関数をこえていく。
数学のほか、英語、国語、世界史、地理、現代社会、生物に地学、と、全科目8教科を、勉強期間わずか2ヵ月半で、一発合格をはたしたのです。
勉強期間わずか2ヵ月半って……。
2ヵ月半で8教科って……。
12年間の勉強が2ヵ月半?
それも おしごとしながらでしょ? しかも数学以外は独学ででしょ?
奇跡?
引き寄せ?
イヤイヤ、実力?
●まとめ●
信じる心とか、諦めない心とかいうものは、本来、人間の根本に備わっているものです。
けれども、比べあうことを教える教育経験(学校にしろ、家庭にしろ)がそれらをもぎ取っていきます。
小学校の6年、中学校の3年、高校の3年。この12年で習う教科勉強が2ヵ月半でクリアーできることを知ったいま、ではいったい12年もの月日を使って、させられてきたものはいったいなんだったのか?
ものすごい集中力でもって勉強する まりんさんを目の当たりにして、観えたこと(集中力はどうすれば育つのかなども)を追々に発信していきたいとおもいます。
(関連→小・中・高校へ通わずに18歳で大学へ:星山 まりん)
6年かけて学ぶはずの算数は3日でクリアできる!〜小中高には行かないで大学に行った娘の話.算数篇
●世界一素敵な学校、サドベリーバレースクール●
この本の項目「算数」に、算数をマスターしたいとおもった、サドベリー・バレー・スクール のとある12人の子どもたちが、6年間かけて学ぶはずの算数を、
24時間で習得したことが書かれてある。
1回につき30分、週2回。これが24週。トータルすると24時間だ。
ダニエルさんたちは、ある種の奇跡のようにもおもえた成功に驚き、打ち上げパーティを開くほどのよろこびだったそうだ。
1週間後、初等数学教育の専門家で、長年にわたり公立学校で教えてきたアラン・ホワイトとはなしをする機会があり、驚異の算数のことを語って聞かせた。
ところが、アランは別に驚くべきことでもなんでもない、と言う。
「教科それ自体は、そんなに難しくないんです。
では何が算数を難しく、ほとんど不可能にしているかというと、嫌で嫌で仕方ない子どもたちの頭に、無理やり教科を詰め込んでいく、あのやり方のせいです。
毎日毎日、何年もの間ずっと、少しずつハンマーでたたき込んでいけば、さしもの子どもたちもいずれ覚えるだろう、というあの考え方です。
しかし、うまく行くわけがない。
だから、見てごらんなさい。この国の6年生の大半は、数学的な意味で文盲じゃないですか。
結局、わたしたちがなすべきこと、それは、子どもたちが求めたとき、求めるものを与えることなのです。そうすれば、まあ、20時間かそこらで、
彼・女ら、きっとモノにしてしまいますよ」。
今や、わたしもそう考えています。
(引用:『世界一素敵な学校 〜サドベリー・バレー物語〜』)
と、ダニエルの文はつづき、以 降、サドベリーバレースクールではそれ以上時間がかかったことはないと書かれている。
●算数は3日もあれば習得できる事実●
わたしもいまではそう確信しています。
足し算・引き算からはじまって、かけ算・わり算、分数に小数点……。
小学校で習う算数を、3日で終えたまりんさん。
初日は12時間ぶっ通しでした。翌日は4時間。翌々日は3時間ほど。時間にすれば約20時間です。
つまりは、6年間かけて学ぶはずの算数は、じつは、たった20時間で! わずか3日で! クリアできるものだったということです。
好奇心の虜になれば時計はなくなります。
在るのは、ただただ完全なる集中。
目の当たりにした集中力や吸収力は、すごい!! の一言でした。
●高認試験(旧大検)●
義務教育である小学校、中学校、および高校にも魅力をかんじなかったので行かなかったまりんさんが、大学にいこうと思い立つ。
高校を卒業していない者が大学にいくためには、高校卒業程度以上の学力を有することを認める「高校卒業程度認定資格(以下、高認)」が必要となります。
そうして高認試験に合格すると、高校を卒業した者と同様に、大学試験を受けることができるしくみです。
高認試験の合格に必要な科目数は、8科目〜9科目(※平成25年度まで。平成26年度からは8〜10科目)。
理科系(物理や化学など)の選択方法により、科目数は若干異なります
●学校で身につけるとおもわれていることを、相対化できる実例として示した●
彼女は、数学、英語、国語、 世界史B、地理A、現代社会、生物T、地学T、この8教科を選びました。
この8教科を、2ヶ月半の期間で勉強し、8教科すべてを一発で合格 にもっていったのですが、7+8=? この足し算がわからないレベルでのスタートでした。
それでも20時間たらずで算数をクリアーしたのですから、2ヶ月半もあれば8科目習得はうなずけます。
小中高の12年間の8科目を2ヶ月半で習得したというのは、高校までの科目勉強は、2ヶ月半あれば、マスターできるんだよ、と、学校で身につけるとおもわれていることを、相対化できる実例として示したということでもあります。
●まとめ●
8教科のうち、英語、国語、 世界史B、地理A、現代社会、生物T、地学Tの7教科は独学だったのですが、数学だけは数学の先生から教わりました。
数学のうち、算数はわたしがみたので、3日、約20時間もかかりましたが、プロフェッショナルに教えてもらえば、もっともっと短時間で習得できたとおもいます。
なぜなら、プロフェッショナルに教えてもらった 中学、高校で習う数学にいたっては、わずか12時間で習得 したからです。これスゴくないですか?
中高で習う数学は12時間でマスターした!! 〜小中高には行かないで大学に行った娘の話.数学篇
●中高で習う数学にいたっては12時間で習得しました●
魅力をかんじなかった小中高には行かなかったのですが、大学には魅力をかんじた? 17歳(学年でいえば高3)の夏、突如、大学に行こうと思い立ったまりんさん。
あ、小学校から行っていなくても大学に行くことはできます。
この場合、高校を出ていないので、かわりに、高等学校卒業程度認定(旧大検)の資格を取得します(以下、高認)。そうすると高校卒業者とおなじように、大学を受験できます。
高認試験の合格に必要な科目数は、8科目〜9科目(※平成25年度まで。平成26年度からは8〜10科目。理科系(物理や化学など)の選択方法により、科目数は若干異なります)
彼女は、数学、英語、国語、 世界史B、地理A、現代社会、生物T、地学T、この8教科を選びました。
この8教科を2ヵ月半でマスターしたことは第一話の記事、 12年間の勉強が2ヵ月半?〜小中高には行かないで大学に行った娘の話.高認篇 で。
6年間かけて学ぶはずの算数は、じつは、たった20時間で! わずか3日で! クリアできるものだったことは第二話、 6年かけて学ぶはずの算数は3日でクリアできる!〜小中高には行かないで大学に行った娘の話.算数篇 で綴ったのですが、
なんと! 数学にいたっては 12時間でした。
数学だけは、数学の先生についてもらいました。週1回、1回につき1時間。それが12回です。
●中学、高校の6年間、52560時間のうち●
中学、高校の6年間、52560時間のうち、いったい数学にどれぐらいの時間をつかうのでしょう?
私ごとになりますが、高校で2年生から理系にすすんだため、時間割に数Uや数Vなどが1日3時間(3コマ)とかあった記憶があります。
イヤでイヤでたまらなかった授業は、あまりに退屈で、それこそが時間の無駄づかいでした。
しかも大学は文系に行ったので、受験に数学は必要なかったですし(。>﹏<。)
●数学の予習、復習の仕方●
受験にむけての勉強を始めてからもバイトはしていて(高認やセンター試験の前日もしごとでした)、週に1回、バイトが終わったあと塾に行く。
マンツーマンでの授業を終えると、カフェに入って、いま教わったばかりのところを、1時間みっちりと復習をする。
バイト先も塾も都心だったので、仕事や勉強に最適なカフェは多数あります。
家に帰ってからするよりも、外での勉強のほうが集中して できたそうです。電源やwifiも完備されていますしね。
高認に受かるためだけの数学なので高得点でなくていいんです。
高認は、落とすための競争試験ではないので、合格定員(合格者数)の上限はありません。
●あほ? かしこ?●
6年間で習う算数を、20時間、3日で習得したっていうだけでおどろきなのに、数学にいたっては12時間。
教えてもらっていた先生はプロフェッショナルで、教え方が、非常に秀でていたからですが、それでもやっぱり言葉を失います。
7+8=? この足し算がわからなかった人が、30時間後には、0°≦θ≦180°とする。tanθ=−√3を満たすθの値を求めなさい を解いているんですよ。
●まとめ●
学力とは字のごとく学ぶ力のこと。学ぶ力は生まれて最期までだれもがもっているものです。一生「学生」。
あいかわらず学力低下が叫ばれていますが、大人の側の「与えよう」、「身につけさせよう」とするものと、子どもが今「得たいもの」、「求めているもの」とにズレがあるだけです。
学力なんてものは計れるものではありません。個性や個人差を無視した、1年生の一学期には◯◯を、2年生の二学期では△△、と要求されている「学習指導要領」に縛られていませんか?
人は人生の必要な時期に、必要な人としかつながらないように、自分にとって必要な学びとしか つながりません。
だれもが「学生」なのに、どうして小中高の12年間だけは「生徒」呼ばわりするんでしょうね。
12年間の勉強が2ヵ月半?〜小中高には行かないで大学に行った娘の話.高認篇 AI-am
6年かけて学ぶはずの算数は3日でクリアできる!〜小中高には行かないで大学に行った娘の話.算数篇 AI-am
中高で習う数学は12時間でマスターした!! 〜小中高には行かないで大学に行った娘の話.数学篇 AI-am
私たちの人生の10-12%は何だったのか?
貴重な時間を返して下さい、と、教育行政に携わった自称エリートに聞きたい。
それとも、現代教育とは、教育ではないのを知っていて、”それ”を実践してきましたか?
そのエリートの正体
で、真の教育とは、以下のような定義もできるのではないのでしょうか。
できるだけ個々人の意志を尊重しようとするのが、絶対的根幹であるべきでしょう。
あるべき教育とは、人間教育、情操教育、道徳教育 と 本人が望むような、能力開発の助けと知識の供与がその両輪であるべきなのではないのでしょうか。
初等教育では、思考や創造力、他を慈しむ事や痛みを知る心、より人間が人間であるべきにはどうするべきか、というような、情操・能力部分への働きかけなどがその基本になりうるでしょう。
本人が適している事が何ナノか?探しの手伝い、のようなことにも多少なりに気をくばり、もしそれまでの彼、彼女の興味が何なのか、を見つければ、その領域の知識の供与も試みるべきでしょう。 また、特化した部分だけでなく、できるだけ、幅広い見識をもってもらおうとする機会にも留意すべきでしょう。
私たちが現在受けている教育は、(ある部分が意図的に改竄されている強い疑念があるような、)知識の供与だけでしかないでしょう。
その上、その大部分を記憶に頼ることができる、記憶力がとてもいい人か、ある種の天才的能力のある人に非常に有利に働く社会への適合性のみを図るのが、現代教育の一側面であるのも、間違いないのではないのでしょうか。